Over Rewrite Living Dead 番外SS集
きさらぎ冬青│珍奇兄弟商会
【あの日をわすれて】
大学の出勤日、溜まったレポートの採点やら添削やらを邪魔されず進めたいが為に、自分に割り当てられてる部屋ではなくアキくんの部屋に来た。
本人は抱えてる学生の論文も無事に回収、次第点ということで全員無事卒業または院進決定で安堵しきって本当に呆れるほどグダグダしている。
おれが机を借りている間、スクラブ姿でソファの上でひっくり返り背凭れに片脚を引っ掛けてスマホをいじりながら焼き菓子を食べて、そのゴミをテーブルの上に放り投げて散らかしっぱなし。
「アキくんさ、それ、自分で片付けなよ?おれ知らないからね?」
「ん~、大丈夫」
何が大丈夫なのか。
助教というか小僧をしてる子は本職の画家としての個展で留守にしている。
いつもなら学生の世話から事務的なことから雑務から掃除からだいたいのことはその子がしていて、アキくんは自分が取り組みたいこととか、自分じゃないとできないこととか、自分の肩書や名前が必要なこととかを優先でやっている。
というか、アキくんは仕事というか、自分がやりたいと思うことに関してはものすごい積極的だし自発的に動くけど、それ以外の部分がからっきしダメだ。
よって今、この部屋はこれまで類を見ないほどに散らかっている。
「せめてゴミはゴミ袋に入れてさ、ゴミ袋は帰るとき持って下りれば…」
「いいの、あとでする」
いや、おれは知ってる。やらない。
目の前にあってもやりたくないことに関しては余程困らない限りやらない。
藤川家で一緒に暮らしていた頃とか、アキくんが医大に来て一緒に1DKのマンションで暮らしていた頃は家事とか手続きの手伝いとかでめちゃくちゃ大変だった。
一遍、このまま手出しせず本人に任せたらどうなるのか実験したこともある。
結果は、枕元は本とお菓子とお菓子の殻とで散らかり放題、ベッドの脇には脱いだ衣類の山が聳え、シーツも布団カバーも縒れてずり落ち、ゴミ箱は溢れてコロニーを形成していた。
そもそも中学の終わりから家を出て藤川の母の持ってたマンションに移り住んで、医大に入るまでおれを含む家族を誰ひとり立ち入らせずにいて、いざ一緒に住もうとなっておれが来たときには全然片付いていたんだけど、あれはいったい何だったのか。
誰か片付けてくれるような存在があったことは、その後見たアキくんの乱れた交友関係から察しはしたが、でも、おれが知る限りそういうことをしてくれそうな輩ではなさそうだった。
今更訊くのもどうかと思って、その真相には迫れていない。
「帰りに持ってってあげるから、終わるまでには…」
何か落ちる音がして振り返ると、アキくんはスマホを落っことしたことにも気づかず寝落ちていた。
まったく、やれやれ。
おれは仕事をやっつけてからゴミが積み上がったゴミ箱の袋を引き上げてゴミを回収して、テーブルの上のゴミを回収し、机周りにあったゴミも回収し、ゴミ箱に袋をかけ直し、机の隅で干からびていた使い捨てのカウンタークロスに消毒用エタノールを吹き付けてあちこちを拭いて回る。
そうこうするうち日が暮れてきて、流石に目が利かなくなってきたので照明を点けるとアキくんが目を覚ました。
「あれ…なんか…きれいになってる…」
「なんかじゃないよ。おれが片付けたからでしょ」
おれがぶっきらぼうに言うと、眠そうな顔のまま体を起こし、ちょっと申し訳無さそうに「うん、ありがと…」と言って、頷くように頭を下げた。
ソファから立ち上がって本棚に引っ掛けてあるハンガーからスーツやシャツ一式を下ろして、モソモソ着替え始める。
「そういやハルくんさあ、今日誰かにチョコもらった?」
「え?」
答える前に、悪戯っぽく小首を傾げて訊きながらアキくんがしれっとインナーとスクラブを重ねたまま脱いでそのままソファに丸めてポイしたのが見えたので「アキくん、服」と言って牽制する。
アキくんは「えへへ」と笑って誤魔化しつつ、上半身裸のまま服の塊を拾い上げて、一枚ずつにバラして小さく畳みなおす。
畳みながら「だって今日さー、バレンタインじゃん。ハルくん独身だしあちこち顔出したらもらえるんじゃないの?」とこちらを見る。
おれは最近すっかりアキくんの裸を、胸元のピアスを見ても動揺も欲情もしなくなった。
悔しさとか憤りとか抱えたまま何年もこの体を抱いていたことがもう、すっかり遠くなった。
単純に齢を食ってそういう欲が相応に減衰しただけかもしれないけど、でも、やはりこの華奢な体は抱きしめたいほど愛しい。
もう、人のものになって暫く経つのに。
おれはじっと見ているのも失礼だろうと思い、背を向けて机に戻り、机上に積み重ねていたレポートや答案を片付ける。
「そういうのはもういいよ、あげたり返したり面倒じゃない。気持ちがこもってるのうっかり受け取っちゃったら、その後の対応も気を遣うしさ」
「ふーん」
思ったよりそっけなくアキくんは返事をした。
黙々と着替え、身嗜みをしているのを音や香りで感じながら、帰り支度をしていると、いつの間にかアキくんが間近に立っていた。
振り返ったら30センチもない距離感で立っていたのでびっくりして「わぁ」と間の抜けた声を出してしまった。
「ハルくん、これ」
そうやって手渡された紙の手提げの中には、長方形の箱が入っている。
「実家でよくおれが食べてたやつだよ。フルでチョココーティングされたやつは冬しか売ってないんだ」
ああ、これヨックモックのラングドシャクッキーだ。
アキくんは中学校の保健室で出会ったとき、ネグレクトされて食うや食わずでいたおれにお菓子くれて、お茶まで出してくれたんだった。
あの日のこと、色々なことや感情に押し流されて、思い出さないようにしていた気がする。
「ありがと、これミルクチョコレートがミルクミルクしてて甘くていいよね。最近カカオ何%みたいの流行ってるけど、おれはやっぱミルクチョコがいい、昭和っぽくて」
「でしょ?」
おれの顔を覗き込むように見上げてアキくんが言う。
不実だとわかってても抱きしめたくなって、試しに訊いてみる。
「アキくん、あのさ、ハグしてもいい?」
おれが言うなり、アキくんはおれに抱きついた。
「なんだそんなの、いいに決まってるじゃん」
手提げを机に置いて、そっと抱き寄せると華奢な体からじんわりと体温が伝わり、香水の甘い果実の香りと木々の芳しい香りが鼻腔を擽り、少し目の前が涙で滲んだ。
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