エレナside:見上げるものは


 目的の港町には予定より早く着いた。そこで馬車を降り、今夜の宿を確保すると街に繰り出した。

 土産屋を覗いたり、屋台で買い食いしたり、ただ歩いて、王都とは違う街の雰囲気を楽しんだりする。


 「貴族のお嬢さん、お花はいかが?」などと声をかけられることはあったけれど、それは、学園の制服が上質な物であるからのようで、私が何者かなんて、誰も知らない。侯爵様の娘で、王太子の婚約者候補で、王立学園の女王様であるエレナ・ヒューズは、もういない。今ここにいるのは、何者でもない、何にも属していない、フランシスという風に吹かれて飛ばされているだけの根無し草の私だけ。


 他人の目を気にしなくて良いって、こんなに楽で、こんなに自由なのか、と、感動する。


「海も船も実物は初めて見たわ! 王都ほどの賑わいはないけれど、良い街ね。物乞いみたいな人もいないし、みんな豊かなんだわ」

「物乞いの類は都会の方が生きやすいから。田舎を出て、王都に行くんですよ」

「そうなの?」

「物乞いはいないけれど、スリや盗人は多いですよ。気を付けてくださいね」


 その言葉を裏付けるように、「財布を狙われないように注意してね」と土産物屋の奥さんにも助言された。それから、子供たちが無邪気にお菓子をせびってきた。

 フランシスは慣れているようで上手く煙に巻いていたけれど、口々に「飴食べたい」「あっちにパン屋があるよ」などと言ってスカートにまとわりついてくる子供たちを、私は無視しきれなかった。子供たちに「何か買ってあげる」と言いかける。と、フランシスに手を掴まれて、その場から走って連れ出された。子どもたちを振り切るように走って走って、足が縺れて転びそうになって、ようやくフランシスが足を止めた。


「はあ…… はあ…… ちょっと! どういうことよ…… あの子たちに、何か…… 買ってあげたかった、のに……」


 整わない息に喘ぎながら抗議する。


「駄目ですよ。あの手合いは無視してください」

「どうしてよ」

「金持ちの観光客にたかることを覚えた子供は、碌な大人になれません」


 ぴしゃりと言い切られて、言葉に詰まる。


「でも…… 私、お金は持っているし。なんだか可哀想だし。私一人くらい……」

「親切ごかした金持ちはみんなそう思ってるから困るんです。それに、それを見た大人に狙われますよ。財布を狙われないようにって土産物屋で言われたでしょ。簡単に財布を出すと、次は命ごと狙われますよ」


 ぐうの音も出ない。「わかった。気をつけるわ」とだけ言って、掴まれたままの手を引っ込めようとすると、尚更、ぎゅっと力を込められた。


「このまま行きます。あなたは世間知らずで、頼りなさすぎです」

「世間知らず? 頼りない? この、成績優秀で妃教育まで修めた私が、無能だと言うの? 申し訳ないけれど、国際政治学はアリアナを抜いてトップの成績よ」

「無能とまでは言っていません。ただ、ふらふらしすぎていて危なっかしいんですよ。それに、国際政治は市井の生活には関係ありません。もっとミクロな視点を持ってください」


 ミクロな視点? 何を言っているのか分からず、ただ煙に巻かれたように感じる。

 首を傾げると、フランシスが「ああ……」と呻いた。


「そのあたりは、オフィーリアに聞いてください」

「オフィーリア? それが、これから会いに行く人なの?」


 フランシスは何も答えず、手を引いて歩き出した。その後頭部を見上げて、ふっと心が温かくなる。


 ああ、この角度、マリウスを見上げるのと同じ角度だ。



 

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