マリウスside:現れる君


 内心では焦りながらも顔には出さず、話し掛けてきた知り合いに挨拶だけ返しながらフロア中を探し回る。

 アリアナの父ミレー伯爵と談笑するウォーターハウス伯爵の姿を見た。ならば、帰ったわけでは無いだろう。どこかに居るはずだ。なのに、見つけられない。せめて友人二人のどちらかが居れば、クリスタの場所を訊けるのに。三人揃って消えられてはお手上げだ。


 ……まさか、どこぞの男に、空き部屋か何かに連れ込まれてるんじゃないだろうな? あの人、消えるのは得意だけれど、追い詰められたら逃げられないんじゃないのか? 非力そうだし、大声なんか出せないだろ。蚊の鳴くような声で「止めてください」とか効果の無い対応するんだろ。それで、震えて動けなくなるんだろ。そうに違いないだろ? 絶対そうなってるだろ!


 ぽつりと浮かんだ妄想を、不安が増幅させる。自分でもこれは単なる妄想だと分かっていたけれど、嫌な予感が止まらない。それでもなんとか冷静さを掻き集めて、「でも、友人たちも一緒なら大丈夫だろう」と気を取り直した。


 その時、目の前を、小柄なベアトリーチェが嬉しそうに笑いながら男と腕を組んで横切った。


「えっ」


 続けて、アリアナも。腕は組んでいなかったが、男と二人で親しげに話し込んでいるのをフロアの隅で見つけた。


 ということはクリスタも、単純に、誰かと一緒に居るだけだろうか。


 一緒にいるだけ。


 親しげに?


 腕を組んで?


 頬を染めて?


 想像したら、最悪な気分になった。


「マリウス様、顔色が悪いですよ?」


 不意に、話しかける人物がいた。


「やあ、本当だ。飲み過ぎじゃないですか?」

「それは俺たちだろ?」

「ははははは。それな!」


 こちらは何も言っていないのに、話し掛けてきた方の数人だけで盛り上がっている。

 見ると、学園の剣術クラブで去年まで一緒だった同級生たちだ。熱心じゃなかった上に、あまり上達しないのでつまらなくなったと言い残して辞めてしまった。親しくなかったし、その後も接点は無かったが、そういう輩に限って、催し物の際にはやたらと馴れ馴れしく話しかけてきたりする。


「バルコニーは、人が居なく休めそうですよ」


 もう、振り切るのも面倒だったし、風にでも当たって、少し冷静になるべきだとも思って一緒にバルコニーの方へ歩いて行く。


 夜風が気持ち良い。しかし、冷静になるのは無理そうだった。自分とは目も合わせようとしないクリスタが、他の男と向かい合って、見つめたり、笑いかけたり、する? そんな場面を想像すると、酷く重たい気分になった。


「今年のデビュタントは粒揃いだな」

「でも、ヒューズ侯爵家の令嬢がいない」

「エレナ嬢は来年なんだな。目の保養だよな。あの人」


 どうでも良い輩が、女の話を始める。面倒臭い。今、そういう気分じゃない。


「物凄く気は強いけどな」

「それな」

「実際、どうなんですか? 婚約者殿」

「婚約者ではない」


 置き捨てるように答えた。候補だが王太子の婚約者と目される令嬢に対して、しかも当の王太子の前で、無礼が過ぎる。しかし、こういった輩に時間や労力を割いてやる気にもならない。


「またまたぁ。もう、やることやってるんでしょ?」

「おい、お前らの相手と一緒にするな。侯爵家の御令嬢が結婚前に許してくれるわけ無いし、マリウス様にしても、そう簡単にできるか」

「結婚するまで街の女で我慢ですか?」

「それこそ無理だろ」

「じゃあ、結婚しての初夜は初めて同士になるんですね。大丈夫ですか? 手間取ると、エレナ嬢キレるんじゃないですか?」

「溜め息をつかれるか、舌打ちされるか」

「うわ。やりそう。凹むな」


 黙って聞いていたが、不愉快だった。

 これは、俺に対する意趣返しだ。勉学も半端、武術も半端、剣術クラブすらまともに在席し続けられない小者共が。全てを修め全てを持つ男に嫉妬して、その妬みをぶつけられない代わりに、婚約者を蔑むことで、己の位置まで引きずり降ろそうと言うのだ。


「口を慎め」


 我慢の限界だった。

 なるべく威圧したくはない。顔を見ると睨んでしまいそうで、目を上げずに言い捨てた。それでも、漏れ出た怒りで小者たちは縮み上がって言葉を失くした。


「すみませんでした」


 中の一人が、やっと、といった感じで絞り出す。語尾が震えていた。

 俺は、瞬きを一つして、ゆっくりと息を吐いた。呪いのようなものだ。怒りは収まらないが、 これで冷静さは幾分か戻ってくる。


「飲みすぎたな。そろそろ帰れ」


 視線を上げ、普段に近い声でそう言ってやると、小者共は逃げるようにその場を立ち去った。


 他人に怒りを向けたのは久しぶりだった。王太子が誰かに対して怒るということが、どれほどの影響力を持つか、幼い頃から身を持って知っていた。だからこれまで、喜怒哀楽の怒以外は積極的に表現しても、怒りだけは他人に見せずにきたのに。

 崩してしまった。崩されてしまった。


 悔しいやら、情けないやら、申し訳無いやら、クリスタが見つからないやら…… 色々な感情がごちゃまぜになって力が抜け、手摺りに寄り掛かった。自然と垂れた頭を、手持ち無沙汰にボリボリと掻く。


 もう、帰ろう。


 そう思って顔を上げた時だった。バルコニーの隅に置かれていた茂った観葉植物の後ろから、音もなく白いものが現れた。


「今の怒りは、御自分がからかわれたことに対してでしょうか? エレナが蔑まれたことに対してでしょうか?」


 散々に探し回って見つけられなかったクリスタが、そこに居た。




 

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