一 皮
薄曇りの少々どんよりとした日だった。
「カーライルの新作、見た?」
「見た、見た!」
セヴラがカフェのカウンターで温かいミルクコーヒーを飲んでいると、その背後を通り過ぎる楽し気な女性2人の黄色い声が聞こえた。世間は今、『カーライルの新作』で持ちきりだった。
「
「そうなの!」
なんだか胡散臭い謳い文句だな、とセヴラは眉間に皺を寄せマグを傾ける。
「どうした、不機嫌そうな顔して」
そんな声とともに背後から肩を小突かれて振り返ると、見慣れた顔があった。
「あ、イオリ」
イオリはセヴラの隣に座り、カウンターに肘をついて店員に軽く手を挙げた。
「カルダモンティーをお願いします」
手を動かしながら、目線だけイオリに向けた店員は笑顔で頷く。そしてそのまま流れるような動作で注文されたメニューをこなしていく。
「で、どうした?」
「周囲の話題がカーライルの新作ばっかで、うんざりしてるトコ」
「ハハハ、そりゃ仕方ないよ。彗星のごとく現れ、あっという間に今を時めく有名人御用達のレッテルが付いた新進気鋭のデザイナーなんだから」
イオリはにんまりとした笑顔を浮かべ、その顔のそば右手を広げると、手首をくるくると回し、煌めくというジェスチャーをする。
「くだらん」
セヴラのその言葉に、今度はイオリが眉を顰める。
「セヴ、いくら自分には興味が無い事でも、多くの人を魅了するものに対して、そうやって切り捨てるのはいかがなものかと思うぞ。他人の価値観を頭ごなしに否定するのは良くない」
「そうぉだけどさぁー……」
「で、お前は見たの? その新作」
「あー……、一応?」
『カーライルの新作』は世相を如実に表現した画期的なものだった。
「でもさ。あれ、色々とマズくない?」
「だからだろ。今、色々な犯罪に使われ始めていて、条例や法律がその対応を検討中だって話だよ」
「事前に分かんなかったのかね」
イオリの前に湯気の立ち昇るティーカップが置かれ、イオリはそれを一口飲むと言った。
「分かってたと思うぞ」
「じゃあ、何で先に……」
「多分、分かった上で発表したんだと思う」
「なんで?」
「カーライルだからだろ」
イオリがそう言って悪戯そうに笑ったので、セヴラの眉間の皺はさらに深くなった。
「意味が解からないんだけど」
「見ていれば、分るよ」
イオリはそう言って、涼しい顔で紅茶を飲んでいた。
『カーライルの新作』は最新のホログラム技術を使った投影装置で、
半年後――
「久し振りだな」
「おお、セヴ。珍しいな、こんな所で会うなんて」
イオリは目を丸くした。
「なかなか失礼だな。確かに、こんなハイブランドの店にはそぐわない人間である自覚はあるが……」
「そういう意味じゃないよ」
イオリは屈託なく笑う。そして手にしていた本革の小振りな鞄を少し眺め、棚に戻した。
「俺はもう出るけど?」
「ああ、私もそうしよう」
そう言って、連れ立って店を後にする二人。
「何か探していたんじゃないのか?」
そう言って、今しがた出てきた店を顎で指すイオリ。
「ああ、ちょっと財布のデザインを見に行っただけ」
セヴラはそう言って自分のポケットから使い古しの小さな財布を出して見せた。
「気に入ってるんだが、さすがに擦り切れてきていて、そろそろ次を探さないと不味いんだ。いつ小銭が落ちるようになるか不安なくらい」
「おおう……た、確かに年季が入ってるな」
「このサイズで気に入ったデザインって、なかなかなくてさ。いっそ自分で作るしかないか?とも考えている」
「お前、そういうの好きだよな」
「どういう意味だよ?」
「古いっていうか、昔気質っていうか、何にでも手を出すっていうか」
イオリは笑って「でも、セヴのそういうトコ、良いなと思ってるんだけどな」と言った。
「あ、ありがとう」
褒められているのか貶されているのか分からず、セヴラは躊躇いながら言う。
「ちょっと話さないか?」
イオリはそばのカフェを目線で指した。
「良いよ。入ろう」
店内は落ち着いた雰囲気で、意外と人が少なかった。
「ご注文は?」
「カルダモンティー、ホットで。あ、あとミルクを付けてもらっても良いですか?」
「はい、できますよ」
「じゃあ、私はカフェオレをホットで」
「承りました」
店員が居なくなると、セヴラは一息吐きソファーに凭れ掛かった。
「ああいう店は堅っ苦しいよな、気を使って仕方ない」
「慣れてないからだよ。あと、そういう意図もあるんだろ、作りとかコンセプトに」
「なるほどね」
「意図、といえばなんだが……」
イオリが悪そうな笑みを浮かべる。
「【バー】だろ?」
セヴラが苦笑いを浮かべて言った。
「そうそう!」
「私も何となく思ってる」
「今更?」
「いや、本当に凄いわ」
そう言ってセヴラはテーブルに突っ伏した。
まるで犯罪に使ってくださいと言わんばかりの【バー】だったが、販売されたものには全てシリアルナンバーと位置情報タグが付いており、【バー】が使われた犯罪は軒並み検挙された。個人情報保護違反だろうとの批判もあったが、複製や犯罪利用防止目的の処理が施されている、万が一この商品を犯罪に使用した場合は罪に問われるとの注意書きがあるのだから、問題は無いとカーライル側は主張した。後で判ったことだが、事前に犯罪に使用されることを想定し、カーライルと行政で綿密な話し合いが行われており、法律に抵触しないよう、抵触する場合は例外措置をとれるよう対策が行われていたそうだ。
「カーライルって元々は著名なプログラマーなんだよ。俺はそっちの方が馴染みがある」
「そうなの? ぽっと出のデザイナーだと思ってた」
「あれさ、ヤラセじゃないのかって思ってる」
セヴラはぱっと顔を上げてイオリを見た。
「えっ! どっからどこまで⁉」
「デザイナーで有名になった所から」
「えぇ~、天は二物を与えたのかもしれないよ?」
「そうかも知れないけど、俺はこの先のための布石だと思ってる」
「この先? 犯罪者検挙のためじゃなくて?」
「その犯罪者検挙だけどさ、おかしくない?」
「何が?」
セヴラはぽかんと大口を開けた顔でイオリを見た。
「お待たせいたしました。こちら紅茶になります、こちらはカフェオレです。ごゆっくりどうぞ」
いつの間にか来て、スッとティーカップとマグカップをテーブルに置き、静かに会釈をして去っていく店員。
「その顔、店員の前に晒して恥ずかしくないのか?」
「いや、店員があまりにも優秀過ぎて、そっちにも驚いたから開いた口が閉じられなかった」
「良いな、素直で」
「それ、褒めてんの貶してんの?」
「一応褒めてる」
「じゃ、いいや。で、何がおかしいの」
「【バー】だよ。肌の色も体格も誤魔化せるなら、犯罪に使ってくださいって言ってるようなものじゃないか。魔が差す人間だって出てくるだろ、普通に考えて」
イオリが不快そうに顔を歪める。
「普通の人は、犯罪は侵さないものだよ?」
「普通の人だから、誘惑に逆らえないんだろ」
セヴラは首を傾げる。確かにイオリの言っていることは一見正しそうに感じられるが、普通の人が犯罪を犯していたら、警察に捕まったことが無い人間なんていないのではないだろうか。
「それは、ちょっと矛盾してないかい?」
「何で? 誘惑に逆らえるのは聖人か余程の聡明剛毅なお方ぐらいだよ」
「いや、でも生涯、警察にお世話にならなかった人なんて、いっぱいいるじゃん」
「それは道路交通法違反や被害者のお目こぼし、そもそもバレてないっていうのも含めてだろ」
「うう、まぁ、そうですねぇ……」
「本来ならそういうお世話にならないで済んだ人達が、【バー】のせいで魔が差したっていうのはあるだろ」
「あるかも知れないけど、それって鶏が先か卵が先かと同じじゃない?」
「何か? セヴは人間性善説派か?」
「いや、そうじゃないけど……いや、そうかも?」
「じゃあセヴは、まだまだ【バー】で楽しめるな」
「……どういう意味だよ?」
イオリはニヤリと笑ってティーカップを口に運んだ。
『
そのせいか、今までより「らしさ」が賞賛されるようになった。その人種らしい、その性別らしい等、ステレオタイプな特徴が際立ち、推奨された。そうでなければ「あれって……」と裏で偽物のレッテルを張られる。たとえそれが【バー】で彩られた姿でなかったとしても、だ。その風潮に嫌気が差した一部の者達は【バー】から距離を置いた。しかし依然として人気は健在で、大多数は【バー】で『真実の自分』を楽しんでいた。
その後、ある業界では面白い消費行動が見られるようになった。
「なぁ、香水の売り上げが最近増えてるんだと」「虫歯が増えたんだって。しかも、もう抜くしかないような状態になってからしか、病院に来ないらしいよ」「最近、洗面所とかお風呂に鏡が無い家があるんだって」等々。
そして本当か嘘か判らない噂もあった。
「自殺者が増えたって、本当?」「あぁ、それも若い自殺者が増えたって」
「ねぇ、精神疾患の罹患率が高くなったって……」「それ、私も聞いた。怖いよね」
セヴラはニヤニヤと笑うイオリの顔を見ながら、カフェオレを飲む。そして徐に口を開いた。
「イオリは【バー】を使わないの?」
「使わないよ。【バー】の実現する『
「だから使うんでしょ?」
「だから使わないんだよ。周囲は俺が思ってるほど俺に興味ないだろ」
「……意味解かんない」
「そういうセヴは使わないの?」
「う~ん……私はそこまで期待してないっていうか、自分はこんなもんだと理解してるっていうか」
セヴラは腕を組んでしばらく思案した。
「どうして『そうなりたいのか』っていう理由をしっかり言語化できたら、必要無い気がするんだよね」
「どういう意味?」
「他人から見える自分の見た目を変えちゃうだけで解決する問題って、問題の本質は別にあるんじゃないのって思うんだよね」
セヴラはゆっくりと考えながら続けた。
「たぶん、本人にはもっと違う欲求があって。その欲求を認識すると、周囲の人達の考え方とか環境とか、そういうものからの視線だったり言葉だったりが、両方の意図しない所で刺さってしまって。本人はそのトラウマをどう言語化したら良いのか分からなくて、誰かが言った言葉に当て嵌めて納得した結果、そういう解決方法にすり替わっちゃったんじゃないかって思うんだよね」
「本当は、違う欲求がある、と?」
「もっと簡単なことなんだと思うよ、大本は。今のままでもできることなんだけど、しない。その言い訳なんじゃないかなって思うんだよね。だから変えなきゃいけないのは、周りに振り回されちゃう自分の考え方なんだと思う」
「よく分からないな」
「だって、イオリは自分を上手く表現しているから」
「セヴもだろ?」
「私はもう諦めたんだよ。ずっと昔に、自分の気持ちを言葉にして、ラベルを張って瓶に詰めてから心の奥底に埋めたの」
「今はそういう名前の無い感情とかは無いわけ?」
「今でもその作業は続いてるよ。でも言葉にできないから、表現できないからって、身近にある他人の言葉で簡単に済まそうとはしないだけ。いつか納得できる表現を自分で見つけて、ちゃんと瓶に詰めるって決めてるの」
「ふうん」
イオリは口を閉じ、何かを思案しているようだった。
マグカップが空になり、二人のテーブルの周囲には静寂が漂っていた。それは決して嫌なものではなく、セヴラには必要な時間に思えた。
「やっぱり分かんないや」
イオリのティーカップの中に紅茶の染みができた頃、セヴラの耳にそう呟くイオリの声が聞こえた。
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