飼育される

一宮 沙耶

第1話 彗星

 私たちの悲劇は、あの彗星を見たときから始まった。


 私は、普通の大学生活を送っていたの。日頃は親の自宅から学校に通い、週に2日ぐらいかな、地方から出てきて1人暮らしをしている彼のワンルームマンションに行って、朝まで一緒に過ごしていたわ。友達も、みんな、そんな感じだった。


 彼とは大学の同級生で、一緒のサークルにいたけど、あまり目立つ人じゃなくて、しばらくは、そんな人がいるなんて気づかなかった。でも、半年ぐらい経った頃かな、サークルの飲み会で横になって、話してみたら、地味に気があったの。


 彼はお料理をするのが趣味と言っていたわ。子供と遊んだりするのも好きそうで、家庭的な人。一緒に暮らすんだったら、そんな人が楽かななんて思って話していた。


 でも、飲み進めるうちに、彼は酔っ払ったのか、私にぐいぐいと来て、何が好きとか、日頃、どうしているのとか、次々と聞いてきた。こんな積極的な人だったっけ?


 なんだか、その場で、週末に2人で会う約束までさせられちゃった。私も、どうしても嫌なら断っていたから、それほど嫌でもなかったんだと思う。


 特に、彼の前では、飾る必要はなく、いつも自然でいられたことは楽だったの。これまで、男性と付き合うと、気持ちが伝わらなくて笑ってごまかしたり、私だけ、嫌なことをさせられ我慢したりとかばっかりだったから。


 そんな頃、ニュースやネットで、素晴らしい天体ショーがあると話題になっていた。


「バーナーディネリ・バーンスタイン彗星が地球に大接近して、素晴らしい光景が夜空に広がるんだって。夜3時ぐらいらしいけど、東京より地方の方が見えると思うから、どこか旅行に行ってみようよ。」

「私も、気になっていたの。行こうよ。どこがいいの?」

「どこかな。箱根とかにしようか。」

「いいわね。」


 私たちは男女6人で一軒家のコテージに泊まり、夜はカラオケと大騒ぎをして3時を迎えた。


「すごいね。夜空の四分の一ぐらいが彗星の尾だ。これだけの天体ショーを見れるなんて、いい時代に生まれたね。」

「本当に、すごい。小さい感じかなと思っていたら、すごい大きくて感激ね。」


 そう言って、6人は、しばらく夜空にみとれ、眠りについた。そして、朝10時にチェックアウトをして、私の女友達は、それぞれの彼氏と一緒に帰っていったの。


 でも、私が彼の家に付いた頃かしら、いつもと違うことに気づいた。目がかすれていく。というより、だんだん暗くなっていく。彼も同じだった。


 最初は、日食でも起きて太陽の光が届かなくなったんじゃないかと思ったわ。でも、部屋の電気を付けても暗い。あれ、停電?


「目が見えなくなっていくんだけど、私だけ?」

「僕も同じだ。どうすればいいんだろう?」


 私たちは、どうしようもなく、2時間ぐらいすると、真っ暗となり、何も見えなくなった。その時の恐怖、失望、とても表現できない。


 人生の中で、こんな真っ暗な経験はなかった。夜の道を歩いていても、街灯とか何らかの光はあったもの。光が全くない暗闇が、こんなに怖いものだとは知らなかった。


 ただ、前に何があるのかわからず、生活に困るというレベルではない。私を殺そうとしている人が横にいても、全くわからない。どこかの部屋に拉致されても、逃げる方向もわからない。


 明るさを感じている人には分からないかも。例えば、自分を殺そうとしている透明人間が、横で自分の頭のうえに透明のナイフを振り落とそうとしているというと分かるのかしら。


 しかも、単に光が全くない暗闇じゃない。夜の暗闇なら、朝になったらなくなる。でも、この暗闇は、ずっと続くかもしれない。将来が見えない不安が、更に怖さを増長させていた。


 彼の部屋は、いつもいるから、何がどこにあるかはわかる。それでも、テーブルの角につまづき、食器棚のガラスにぶつかり、手を切ってしまった。そして、ガラスの破片が床に飛び散ってしまった。


 彼の部屋にいるのだから2人しかいないと思うけど、私の体に手が触れると、彼じゃないかもという恐怖感もあった。


 真っ暗な恐怖、これからずっと目が見えないかもという不安に押しつぶされそうになった。彼が横にいてくれたのだけが助けだった。


 これからも治らないとすると、どう暮らしていけばいいのかしら。お湯ぐらいは見えなくても、だいたいわかるから湧かせるし、ご飯とかも炊けるけど、この部屋で食べるものがなくなったら、どうすればいい?


 近くのスーパーに行けるかもわからないし、もしかしたら、今、略奪が始まっていて、スーパーに言っても怪我したり、もう食べ物とかもないかもしれない。わからないことばかり。


 そして、車が塀とか電柱に衝突する音かしら。部屋の外からは、何回も爆発するような音が聞こえていた。


 時間とともに治るかもという僅かな期待にかけて、1時間ぐらい、そのまま椅子にすわっていた。でも、テレビをつけたけど、混乱する報道席の声しかきこえず、情報らしい情報は入ってこない。


 おそらく、この状態は私たちだけじゃない。日本、もしかしたら世界中で起こっていることかもしれない。


 そして、何も変わらない私達は、藁にでもすがるように、近くの眼科に行こうとなったの。玄関を出てマンションの廊下に出た。そこでも、声は聞こえるけど何も見えない。


 幸い、彼の部屋は1階だったから、そのまま道路に出た。2階とか3階だったら、階段を降りるのも怖かったと思う。階段の手すりから身を乗り出し、落ちてしまっていたかもしれない。


 それ程、これまで気にしなかった周りの状況が見えないだけで、いろいろなものが、これだけ凶器になるなんて気づかなかった。個人宅の壁も、とんがっていると、歩いてぶつかるだけで怪我をするもの。


 近くの眼科まで300mぐらいと彼は言っていた。そして、手探りでその病院に向かったんだけど、まだ、途中で、車が塀とかに衝突するような音が聞こえる。


 その車が炎上してるのかしら、熱い炎を横に感じた。このまま進むと危ないと思い、横に進むと、誰かとぶつかる。もう、パニック状態になって、いつの間にか私は大声で叫んでいた。


 彼がなんとかリードして眼科についたんだけど、入口は人で溢れ、当院では対応できないという看護師の声が響いていた。


 そこで、1kmぐらい先の日赤病院に向かおうとなり、なんとかたどり着いたけど、同じ状態だった。そして、昨日の彗星を見たのが原因じゃないか、まずは家で静かに過ごしておいて欲しいというアナウンスが流れていた。


 私達は、どうしようもなく、来た道を帰ることにした。


 その時だった。ダンプのようなものが私達に突進してきたんだと思う。私は、すごい力で壁に押し付けられ、気が遠のいていった。

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