第四章「彼女がいないと、俺は朽ち果てる……」

第16話 きっと彼女は足枷になる

 壱嵩side……


「え、君……本当に幸山くん? まるで別人じゃないか!」


 職場のロッカーで着替えている最中、何かとお節介を焼いてくれる上司の山本さんが、大げさに声をあげて驚いた。


「そんな別人なんて。ちょっとイメチェンしただけですよ?」


 謙遜して流してみたものの、山本さんの言い分は最もだと壱嵩自身も自負していた。

 髪を切って、シェービングしてもらった上に、服までコーディネートしてもらったのだ。


 今までが無頓着だったとはいえ、脱帽レベルの変貌である。


「へぇー、実は良いもの持っていたんだねー。こんな田舎で介護してる場合じゃないよ! SNSでインフルエンサーとか目指した方がいいんじゃないか⁉︎」

「いや、そんな煽てるほどじゃないですって! 自分の身の程は自分が一番理解してますから」


 精々おじいちゃんおばあちゃんに「かっこいいよかにせねー」と言われる程度だ。それにチヤホヤされるのはあまり好まない性分だし、そもそもモテたくてコーディネートしてもらったわけではない。


 彼女、明日花さんの隣に相応しい男にさえなれれば良かった。


 彼氏なんておごましい、身の程知らず、高嶺の花だと諦めていたほどなのに。身に余る光栄だった。


(自分なんかの彼女になってくれたんだ。絶対に幸せにしないと……)


 彼女が息苦しく感じている不安を解消し、笑って過ごせるように努めたい。




「幸山くん。手が止まってるよ? 仕事はちゃんとしないと」


 朝のミーティングが終わり、各自清掃や準備を始めていた時のことだった。


 釘を刺してきたのは瀬川さん。

 あの暴言を吐かれた日以来、初めて会話を交わすのだが、よくもまぁ、平然としていられるものだと面の皮の厚さに感心した。


 ダサ男はさっさと離れたほうがいいだろうと、あえて違う方向へ移動したのに、ずっと付き纏ってくる。

 ピタッとくっついて、正直邪魔である。


「——あの、何ですか? 用事があるなら言ってください」

「べ、別に用事はないけど! ……ねぇ、幸山くんって、もしかしてわざとダサ男になっていたの?」


 普段と違う、モジモジした態度が気に障る。唇を尖らせて上目遣いで可愛い子ぶっても恐怖しか湧かない。この媚を売る空気は、壱嵩が最も苦手とするパターンだった。


 ゆっくりと、ジワジワと距離を取ろうと努めたが、離れた倍の距離を一瞬で詰められて、何ともいえないドス黒い感情が沸々と込み上がった。


「まさか幸山くんがこんなイケメンだったなんて知らなかったわ。ゴメンナサイ、今までキツく当たってしまって」


 その件は気にも留めてなかったのでいいんだけど。

 それよりも露骨な変化が気持ち悪い。夏日にも関わらず鳥肌が止まらない。


「いや、できれば厳しい瀬川さんの方がいいので、今まで通り接してくれてた方が」

「えぇー、幸山くんって厳しいお姉さんの方がタイプなの? もう、見た目と違ってMくんなのね!」


 片目をバチっと瞑って、破壊力満点のウインクを発動させた。


 うっ、精神的ダメージが絶大だ。 


「ねぇねぇ、よかったら今日、一緒に飲みに行かない? 美味しいカクテル出してくれるお店を知ってるの」

「いや、俺、お酒は苦手なので……」

「それじゃー、お肉? 若いからたくさん食べたいでしょう……♡ お姉さんが奢ってあげる」


 これ、セクハラで報告できないんですか⁉︎


 ぞわわわわぁぁぁぁー……っと虫が這うような嫌悪感が全身に走った。

 やめてくれ、虐げられ痛感していた分、気持ち悪さが増して止まらない。


「遠慮しておきます! 彼女いるんで、そういう誘いは勘弁してください‼︎」


 思いっきり距離をとって拒んだのだが、瀬川さんは眉を顰めるだけで諦めた様子を見せてはくれなかった。

 むしろ歯を食いしばって、ギリギリと歯軋りを立てる始末だ。


「もしかしてあの子? ねぇ、あの子ってさ……普通の子じゃないでしょ? ちょっとおかしいっていうか、障害者? でないと相当教養のない子よね。あんな見た目だけの子はやめていた方がいいわよ? 苦労するのは幸山くんなんだから……ねぇ、長い目で見た時、ちゃんと中身で選ばないと後悔するわ」



 瀬川さんの言葉を聞いた瞬間、スンと平常心を取り戻せた。


 この人は介護業界に身を置いているにも関わらず、こんな無神経な言葉が吐けるのか。


 俺は黙ったまま踵を返して作業に戻った。

 これ以上、瀬川さんと話すことなんてない。


「待ってよ、ねぇ? 私は間違ったことを言ってないわよ? 別にあの子を批判するわけじゃないけど、好きこのんで苦労する必要はないでしょ?」

「すみません、俺……逆に普通の人の方が無理なんです」


 俺の言葉に瀬川さんが黙り込んだ。

 静まり返った洗濯室。だが俺は、その沈黙を破るように言葉を続けた。


「別に健常者とか障害者とか、そういうことで選んでいるわけじゃないんですけど……当たり前ってそんなに偉いんですか? 別に努力の結果で優越に浸るのは構わないけど、そういう人と一緒にいると疲れるんですよ。俺は彼女の……懸命に抗っている姿に心を打たれたんです。そんな彼女を見て、俺が幸せにしたいと思ったんです」


 あの日、罵倒されて苦しんでいた彼女を見捨てることができなかった。

 明日花さんの苦しみを、少しでも取り除いてあげたいと思ったんだ。


「で、でも……後悔するよ? 絶対十年後——いや、数年後には私の言うことを痛感するはずよ!」


 後悔くらい、望む所だ。


「陰で人を悪く言うような打算的な人よりも、素直な人の方が一緒にいて心が休まりますよ。瀬川さんは不器用に生きる彼女を見下しているかもしれないけど、俺は痛々しいほど素直な彼女が愛しくて堪らないんで。これ以上俺たちのことを邪魔しないでください」


 障害者への偏見は痛いほど味わってきた。


 統合失調症になった母に対する差別、暴言、横暴な態度。


「本当、この世界は生きづらいな……」


 第三者の自分ですらそう感じるのだから、当の本人たちはもっと痛い思いをしているに違いない。


 彼女が俺を求め続けてくれる限り、そばにい続けよう。それが未来永劫続くことを祈りたい。


「さてと、仕事に戻ろうかな」


 こうして俺は気持ちを新たに持って、業務へと戻り出した。


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