〈1〉

 アサヒの転生前の自分語りは、ビレトが「アサヒのこと、知りたい!」と言い出したのが発端だ。転生者といえば素晴らしい能力を持っているものと相場が決まっている。その『プロゲーマー』という職業に聞き覚えがないぶん、ビレトはアサヒのことを知りたかったのだ。


 言っておきながら、ついていけず。ビレトは申し訳なさそうな顔をして、丸っこい頭を掻いている。頭の良し悪しの問題ではない。飲み物ひとつ取っても文化が違うのだから、仕方ない。


「自分こそごめん。ゲーマーや界隈勢じゃない人と会話するんだったら、専門用語をなるべく使わないようにするべきだったっす。長いことゲームばっかりやっていると、染まっちまうっすね」


 普段の会話で使用する単語が、そのゲームをプレイしている人でないと伝わらないような専門用語なのか、はたまた一般的な用語なのか。その境界がわからなくなってしまっているから、どこがどう伝わらなかったのかもわからない。


「だから、ビレトが頭悪いのとは違うっす」


 ビレトは色白で銀髪赤目で、ハサミでまっすぐに切り揃えられた前髪に、後ろ髪は一つに結っている。要は日本人ではなかなかお目にかかれないような容姿をしていて、クライデ大陸の王族で、極めつけに右腕はドラゴンの腕だ。


 だが、流暢な日本語で話している。このカフェに入店して、メニューを開いたときに、すべてのメニューが日本語で書かれているのにもアサヒは驚いた。クライデ大陸は日本語が公用語として採用されているようだ。ただし、車はない。スマホもない。


「うん……」


 励まされ、ビレトは左手でカップを持ち上げて、紅茶をぐびぐびと飲んだ。自身の頭の悪さは、在学中のテストの成績で何度も何度もわからされている。学校では教員から、家では父親から、出来のよかった兄のカミオと比較されてきた。どうしても、兄ならばアサヒの話についてこられたのでは、と思ってしまう。


「その右腕、かっこいいっすね」


 今度はビレトの話を聞きたくて、アサヒがドラゴンモードのままの右腕へと話題を変えてきた。紅茶すら満足に飲めないその鋭利なツメは、人間が大多数を占めるクライデ大陸で生きていくには不便だ。王族の証とはいえ、戻せるのなら元の状態に戻したい。


「ボクは落ちこぼれだし……このままだと王族の権威に乗じて偉そうにしているみたいで、いやだな……」

「偉そう、じゃなくてこれから偉くなるっすよ。近いうちにミカド? になる男だって、いろんな人にアピールしていかないと!」

「うん……まあ……」


 歯切れが悪い。サイクロプスを撃破したときの、あのかっこよさはどこへやら。アサヒは美味しさのかけらも感じられない紅茶をもう一口飲んで、渋い顔になった。ビレトに自信を付けさせるには、どうすればいいか。


「っていうか、このお茶代ってビレトが払ってくれるっすよね?」


 ビレトの案内についてきて村へ入った。この店を「あそこにしよう」と選んだのはビレトだ。アサヒは着用している焦げ茶色のローブのポケットを漁ったが、小銭の一つもない。ビレトのように麻袋や巾着袋を持っているわけでもなさそうだ。女神サマは何もおっしゃっていなかった。魔王を倒しに行く勇者には国王がいくらか持たせてくれるものだが、それはよくあるRPGの世界だけの話らしい。声が聞こえてしまったのか、ウェイターの視線は痛い。


「もちろんだよ」


 ビレトは巾着袋をテーブルの上に置いて、硬貨を取り出した。見慣れた銀色や赤銅色のコインだ。その中でアサヒは赤銅色に『10』と書かれたものをつまんで、裏返す。


「知らない建物っすね……」

「へえ!」

「なんて建物っすか?」


 アサヒの知る十円玉には、平等院鳳凰堂が描かれている。しかし、クライデ大陸に平等院鳳凰堂は存在しない。存在しないので、アサヒの知らない宮殿へとデザインが変わっている。


「これはね、マグニの『シルクロジー』だよ!」


 クライデ大陸の北東部、服飾都市マグニ。マグニの中心部には季節ごとに年四回ファッションショーの開催される『カルチャードーム』があり、その隣に『シルクロジー』がそびえ立っている。


 クライデ大陸の養蚕業は、この『シルクロジー』の内部で完結している。外部の人間は『シルクロジー』が吐き出す絹糸を得ることしかできず、外部から内部への行き来はできない。なので、絹糸を生み出す(とされている)イセカイコの生態の調査は「イセカイコという絹糸を紡ぐ生き物がいる」で止まっている。その姿さえも『シルクロジー』で生まれて『シルクロジー』で死ぬ人々にしか知り得ないものとなっていて、神秘性が絹糸の価値をより高めていた。シルクとアーコロジーの造語と言われている。


「単位は同じ『円』なのに、こんなに違うなんて、面白いっすね。この百円玉は?」

「これは、えーと、なんだっけな……植物の名前が……出てこない……」


 テーブルの上の硬貨が巾着袋の中身のすべてだとすれば、紅茶二杯ぶんには足りない、ような気がして、アサヒは難しい顔をし始めたビレトの真向かいで枚数を確認する。紅茶は一杯、三百円と書いてあった。記憶違いでなければ、三百円。だから、ビレトとアサヒとで一杯ずつ、合計二杯で六百円。


「ビレト、持っている金ってこれで全部っすか?」


 アサヒに問いかけられて、ビレトは思考を中断し、巾着袋を振ってみせる。音がない。入っていれば硬貨と硬貨が当たって音がしそうなものである。


「ない」

「……足りないっす」


 ビレトの道場生活に金は不必要だった。師匠の指示通りに修行を続ければいいからだ。金銭の受け渡しが発生したのは、修行による肉体の成長に服が追いつかず、やむなく衣類を購入した時ぐらいなもので、俗世から切り離された生活だったといえよう。


「……ドラゴンのウロコで払えないかな? 王族の証だし、貴重なものだし」

「ドラゴンペイっすか」

「ペイ」




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