第10話 Sideシリウス~首筋に咲いた花~

 危なかった……。危うく暴走するところだった……。


 自分の力のことで苦しんでいるのは気づいていたつもりだったが……まさかそのせいで結婚早々離縁を突きつけられるとは……。

 諦めていたところを奇跡的に結婚できたというのにこの展開。

 試練が過酷すぎる。


 【寝言の強制力】のせいではない、念願のセレンと合意の上でのデートで朝から張り切っていた私は、セレンの好きなアイリス王立図書館の前で、私が率いる隊の所属騎士のエルヴァにつかまり、急遽騎士団で仕事を片付ける羽目になった。


 早急に仕事を終わらせてセレンの待つアイリス王立図書館へ迎えに行けば、彼女は派手な令嬢に絡まれているし、エルヴァはそれを見てうすら笑いを浮かべている始末。

 思わず剣を向けるところだった。


 それから苛立ちながらも私はセレンを連れて、騎士団長が休日に呼び出した詫びにと予約してくれた、新しく出来たばかりの人気のカフェへと向かった。


 そこでセレンが口を滑らせたことによって、彼女が今までもあんな不当な扱いを受けてきたことが分かったわけだが……。


「くそっ……」

 今思い出しただけでも怒りがふつふつと湧き上がる。


 セレンが他人と距離を取っていたことはなんとなく気づいていた。

 学生時代も特定の友人を作ることなく、いつも一人で本を読んでいたから。


 ただ、私はそれでもいいのだと思っていたんだ。

 私以外がセレンに近しくなり、彼女の心が遠くなることを恐れて、なぜ彼女がいつも一人でいるのか、なんて、気にすることなどなかった。


 ずっと……ずっと一人で、理不尽な声と戦っていたのか……、私の愛する女性は。

 もっと恐れることなく、彼女の傍に居続けていれば。

 彼女を今のように心のまま素直に溺愛し続けていれば、少しは違っていたかもしれない。

 以前までの自分を殴ってやりたい。


 が……時というものは巻き戻ることはない。

 今の私にできるのは、彼女の傍で、彼女を守る事。

 それだけだ。


 にしても──。


“……私、何を言われてもシリウスをシリウスと呼ぶことをやめなかった。やめてしまったら……本当にシリウスが遠くに行ってしまうような気がして。きっとね、彼女達の言うことを聞いて、シリウスから離れていれば、あの人たちも執拗に絡んでくることもなかったと思うの。……それでもシリウスを譲りたくなんてなかった。だって、私が小さい頃から一緒に過ごしてきて、たくさんの思い出を持っているのは、カルバン公爵令息なんかでも、シリウス様でもなく、ただの“シリウス”なんだもの”


 思い出しただけで情けなくも顔が緩んでしまうが、仕方ない。

 何だあの可愛らしさは!!

 反則だろう!?


「むにゃぁ……手繋ぐの、好きぃ……すぴー……」

「……」


 まったく……。こっちの気も知らずに……。

 いつも無意識に私を幸せにしてくれるんだ、セレンは──。


 そんなセレンからの突然の初夜拒否発言。

 紳士にふるまってはいるが私も健全な男だ。


 愛する人が隣で寝ていながら三年もの間何もできないなんて、拷問に等しい。


 自己肯定感が低くて鈍感な彼女だ。

 私が何を言っても、自分の寝言のせいでおかしくなっただけだとか思ってしまうんだろうな……。

 こっちはもう何年も前からセレンが好きだというのに。

 まぁ、そう思わせてしまった私にも非はあるんだが……。


 何としてでも魔法使いを見つけ出さねば。

 セレンの寝言は危険な力でもある。


 もし寝言で「離縁して」だなんてことを口走ったら?

 もし「キスして」とでも言って、それを他の男に聞かれてしまったら?

 ──考えたくもない。

 もっと早くにその可能性に気づいて魔法使いの捜索に動くべきだったんだ。


 誰にも渡したくない。

 私の大切な宝物。

 もう決して、誰にも害させはしない。


 【寝言の強制力】で結婚したという経緯はあれど、私がセレンを思い続けてきたのは紛れもない事実。

 魔法使いを探し出し、セレンの寝言の力を失くしてもらえば、セレンも私を信じてくれるだろう。


 私の思いは変わらないということ。

 ただ思いを正直に伝えるようにしただけで、ずっと思ってきたのだということ。


 視線を映せば白い首筋が嫌でも目に入る。

 さっきそこに口づけたばかりだというのに、まだ足りない。


 沸き上がる欲望に、私はゆっくりと、彼女の首筋に唇を寄せ──チュッ……。

 強く、強く吸った。

「んぁっ……」

 小さく漏れる吐息に乱されそうになる理性をぐっと固め直し唇を離すと、薄赤い花が首筋に咲いた。


「やってしまった……」

 ごめんセレン。

 ここまでで我慢するから許して。

 小さく咲いた一つの所有印にわずかな罪悪感と優越感が胸をめぐる。


「むにゃぁ……シリウシュ……」

「……」


 手を出してしまう前に早いところ何とかしてしまおう。


 愛らしく眠る妻の頭をそっと撫でて、私は心の中でそう誓うのだった。


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