パジャマのきみと、教室で青春を

山賀塩太郎

第1話 白い少女

 あの子、もしかして幽霊か。


 入院棟の五階、じいさんの見舞いを終えて帰ろうとしていたときのこと。

 廊下の曲がり角、ひとりの少女が壁に半身を隠しながらこちらを見ていた。


 その女の子は全身に白色をまとっていた。

 素肌は消えそうなくらい透明感があって、瞳も髪も色素が薄い。くわえて着ているワンピースも白色だった。


 それくらい徹底して白いものだから、その子のシルエットは幽霊のそれにしか見えなかった。くわえてここは病院なのだ。女の子の霊が存在してもおかしくない。


 おれは疑いの眼差しを向けた。すると彼女はおれの鼻先を指さし、にこりと笑った。


「きみ、西織にしおり高校の一年生ね」


 思わせぶりな言葉だった。こういうミステリアスな態度を取るあたり、ますます幽霊ぽい。

 おれは非科学的な怪奇の類いを信じていないつもりだったけど、たしかめてみるか。


「きゃっ」


 突き出された女の子の手を、おれは右手でちゃんと握った。


「実体があるな……」


 ひんやりとしているけれど、ちゃんと生きた人間の手だ。


「へ、へんたいっ」


 悲鳴みたいな声で罵倒を受けた。

 女の子は手のひらを隠すように腕を抱えている。


 すぐに頭が冷えた。これ、セクハラとか痴漢になるやつ?


「ちがう。これは重大な科学的検証なんだ。きみは幽霊っていると思うか? いるなら大発見だろ? だから確かめないといけなくて」


 しまった。これでは言い訳になっていない。


「せっかく見つけたと思ったのに。西織高校の一年生」


 女の子は残念そうに呟き、踵を返す。ワンピースの裾が廊下の角に消えた。


 そういえば、さっきも「西織高校の一年生」と言われた。合っている。


 おれは学校帰りで制服を着ているから学校名は当てられる。西織高校の制服はいわゆるブレザースタイルで、左胸の校章が特徴的だ。

 だけど学年はどうやって見抜いたのだろう。ヒントはないはず。


 実は知り合いなのだろうか。記憶を引っくり返して思い出そうとしたけれど、見覚えのない顔だった。というか、そもそもおれには学校に女子の知り合いがいない。


 考えれば考えるほど謎が深まる。あの子はだれだ。


「……いや、気にしても仕方ないな」


 おれは首を振って思考を断ち切る。そう、気にしても仕方ないことなのだ。


 さて、突然だけど、どうすれば充実した青春を送れるか考えたことはあるだろうか。


 世にいる高校生の多くは、自身の学生生活を素晴らしいものにするべく躍起になっていることだろう。


 充実した日々を手に入れる手段はいくらでもある。部活や同好会や委員会などに所属し、その活動に精を出すのもよし。友人や彼氏彼女を作って交友関係を広げるのもよし。

 しかし、おれからすればそれは間違いだ。


 まず何かしらの団体に所属すれば時間の拘束が生まれる。

 放課後はもちろん、場合によっては休日まで学校に呼び出される。そんなの最悪じゃないか。


 そもそも学校というのは定時退社可で完全週休二日のホワイト企業であり、たっぷりと自由時間を得られるのだ。でも団体に所属した段階でブラック企業と化す。特に運動部に入るようなやつは社畜だ。おれは定時で帰りたい。


 そして、人間関係を広げるのもよくない。人間関係は余計な束縛を生む。下手に友達を増やしてしまうと、必ずどこかで板挟みになるものなのだ。


 想像してみてほしい。五人の友人グループがいたとして、修学旅行の班を四人ずつで組むように言われたとする。そのグループはさほど仲が良くないひとりを弾き出して四人の班を組むことになる。


 そういう気分のよくない選択を迫られるから、人間関係を広げるのは悪手なのだ。ぼっちになればだれも傷つかないし、傷つけることもない。


 総括すると、ぼっちの帰宅部こそ至高。あらゆる面倒ごとから解放され、平穏で充実した学生生活が手に入る。これがおれの出した結論だ。


 これは孤独ではなく孤高だ。群れないオオカミだ。おれはそんな自分が誇らしくもある。


 それなのに、きょう見舞いに行ったとき、じいさんはおれに否定的な言葉を投げつけた。


 十五分前のことを思い出す。


けい、わしの見舞いを暇つぶし代わりにするな」


 暇つぶしの代わり? 親族の見舞いが暇つぶしだと? おれは温かい心の持ち主だぞ。


「……そんなつもりじゃないよ」

「いいや、わしにはわかる。帰宅部になったせいで圭は退屈しとる。せやから暇つぶしに病院に来とる」

「暇をつぶすならほかに選択肢があるよ。ゲーセンとか」

「ならゲーセンに行きよし」


 じいさんめ、おれの残金がいくらだと思っているんだ。八十七円だぞ。ゲーセンでワンプレイもできない。まあ、小遣いがすっからかんなのはゲーセンに通いのせいなんだけど。


 高校生になり、はじめてアーケードゲームに手を出した。軽い気持ちだったのだけれど、これがめちゃくちゃ面白くて見事にハマってしまったのだ。

 そういったわけで今月の小遣いはすべて百円玉に両替され、筐体に飲まれてしまった。


 だからいまは仕方なく病院に……。いや待てよ。これでは本当に暇をつぶすために見舞いに来ているみたいじゃないか。


「……うん、ゲーセンね。来月の小遣いが入ったら行くよ。すぐに使い切ると思うけど」


 じいさんの読んでいた文庫本がぱたんと閉じられた。

 顔を上げたじいさんは、諭すような目をしていた。


「わしな、もう退院日が決まった。明日からは見舞いに来んでええから、圭は学校で青春しよし。たとえば、そう――」


 気になる女の子を追いかけるとか。じいさんはそう告げた。


 そのときおれは、だだっ広い大海原に放り出されたような気分になった。すがるものを失って音もなく沈むような。


 それからのことはほとんど憶えていない。何かひと言ふた言しゃべってからじいさんの病室を出たような気がする。


 そのあと女の子と出会って……逃げられて……。


 そしていま、病院の廊下に立ち尽くしながら、思う。


 大前提として、おれは間違っていない。ぼっちの帰宅部になって正解だった。

 でもあとから冷静になってみると、じいさんに申し訳なくなってきた。


 たしかにおれは、放課後にすることがなくて病室に押しかけていた。無意識のうちにお見舞いという名目を盾にして暇をつぶしていた。それだけはよくなかった。


 だから罪滅ぼしをしなくちゃいけない。


「気になる女の子を追いかけたら満足してくれるんだよな、じいさん」


 おれはリノリウムの床を蹴って廊下を曲がった。その先は昇降口へと続いている。

 階段を見上げると、女の子はちょうど踊り場をターンするところだった。おれは一段飛ばしで階段を駆け抜け、その背中を追った。


 こちらの足音に気づいたのか、女の子の焦る声が響く。


「病院は走っちゃだめ!」


 小学校の先生かよ! 

 つんのめって転びそうになった。


 おれは走るのをやめ、一段ずつ階段を踏みながら上りきった。


 入院棟の六階に踏み入るのははじめてだった。五階とはちがって個室の扉がずらりと並んでいる。おれはわざとらしく開け放たれた扉を見つけ、そちらへと近づく。


 部屋の前に埋め込まれたプレートには「琴守こともり楓花ふうか」と書かれていた。やはり入院患者か。


「……入るぞ」


 殺風景なくらい広い部屋だった。個室なのに六人部屋と同じくらいの広さがある。

 そのだだっ広い部屋を見渡すも、女の子の姿はなかった。どこかに隠れたのだろうか。

 そのとき、背後でかたんと音がした。振り向けば女の子が扉に鍵をかけていた。どうやら壁の陰で待ち伏せされていたらしい。


「つかまえた」


 獲物を仕留めた猟師のごとく、女の子が笑う。


「ああ、うん。つかまえられた……」


 近くで見ると、女の子の服がただのワンピースではないことに気づいた。

 あれはパジャマだ。おとぎ話のお姫様が着るような、フリルのあしらわれたワンピースの寝間着。


 なんという名前の服だったっけ。聞いたことはあるのに思い出せない。

 まあいまはパジャマなんてどうでもいい。ほかに気になることがあった。


「そういえばさ、おれの学年、どうやって見抜いたんだ?」

「賭けだよ」

「賭け?」

「ほんとは知らないから当てずっぽうなの。もし当たってたら、わたしのことが気になって追いかけたくなるでしょ?」

「……それだけどな、知っていれば確実に当てられる方法があるぞ」


 女の子は目をぱちくりさせた。


「ネクタイの色、学年ごとにちがうんだよ」

「そ、そっかあ。恥ずかし……。賭けとか言っちゃった」


 上気させた頬をぱたぱたを扇いで冷ます女の子。


「嘘だけどな」

「え」

「西織高校は学年に関係なくネクタイは赤だ」


 今度は怒りで女の子の顔が真っ赤になった。


「も、もう!」ぽこすかとおれの胸を叩く。「ひどい! わたしのことからかった!」

「でもよかったじゃないか。ちゃんと賭けに勝ってる」

「あ、ほんとだ……」


 彼女は呆けて拳を止めた。


「じゃあ、ほんとに西織高校の一年生なんだ。お名前は?」

雨谷圭あまがいけい

「うん、雨谷くんね! わたしは――」

「知ってる。琴守楓花だろ」

「なんでわかったの!? ……って、ネームプレートを見ただけか」

「ばれたか」


 おれの冗談は簡単に看破された。天然っぽいけど頭が回らないわけではないらしい。

 琴守は期待に満ちた目でおれを見つめる。


「ね、ね、一年生ならわたしとお友達になって? 同い年だから」

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