45:知って知られたい
枕元に置いたスマホのアラームで目を覚ます。
薄暗い部屋に差し込む陽光を浴びながら身体をゆっくりと起こし、晴見くんのことを考えた。
文化祭の日、私たちは晴れて恋人同士となった。
なんだか未だに信じられなくて、夢だったのではないかと自分自身を疑ってしまう。
早く晴見くんに会って確かめたい。何度でも好きだと言ってほしい。
私では自分でも呆れてしまうほどに晴見くんのことが大好きで、このままでは重い女と思われて捨てられてしまわないか不安だ。
強過ぎる気持ちが表情や言動に現れないよう、コントロールすることには慣れていないので、少し難しく感じてしまう。
◇◆◇
今日は文化祭後、初めての通常授業の日だが、一時間目が始まる前の教室内は祭りの名残をほとんど留めていない。教室内をメイド喫茶風に彩っていた風船やモール等は既に片付けられ、机や椅子も元の位置に戻されている。
だけど耳に入ってくるクラスメイトたちの会話は、やはり文化祭の話が多い。メイド喫茶は大盛況で、すごく大変だったし疲れもしたけれど、それ以上に楽しかった。きっと、クラスメイトの多くが私と同じ感想を抱いているはずだ。
「梓ちゃん、おはよ!」
小春ちゃんが跳ねるような足取りでこちらまでやって来る。
「おはよう、小春ちゃん」
「文化祭、楽しかったね!梓ちゃん、メイド服ほんとに似合ってたし!」
「いやいや、小春ちゃんこそお客さんに大人気だったじゃない」
小春ちゃんは得意げに「まあ私だからね」と言って笑ってみせた。
「どう?晴見と一緒に文化祭回れた?」
小声で囁かれた質問に、私は頷いて答える。
「実は……」
晴見くんと恋人同士になったことを小春ちゃんに言うべきか迷っていたけれど、小春ちゃんには時々相談にも乗ってもらっていたので報告することにした。
私は小春ちゃんの耳元に手を当て、「晴見くんとお付き合いすることになったの」と伝える。
「ええっ!?ほんとに!?」
「ちょっと、声が大きいって!」
小春ちゃんの声に驚いた何名かのクラスメイトたちが振り返って私たちを見る。
「おめでとー!!梓ちゃん、よかったね!私も嬉しいよ!」
「あ、ありがとう。正直、小春ちゃんのアドバイスが無かったらどうなっていたかわからないから、本当に感謝しているわ」
「私は何もしてないよ。梓ちゃんの想いが届いたんだよ」
そう言って笑う小春ちゃんの笑顔は心強く、この子と友達になれて良かったと心から思った。
しかし、私と小春ちゃんを包んでいた幸せな空気は瞬く間に掻き消された。近くの女子生徒たちが小声で話す噂話が聞こえてきたのだ。
「ねえ、晴見の噂、聞いた?」
「あ、知ってる。誰か殴ったんだって?」
あの時のことは、もう広まっているのか……
まあ、当然と言えば当然かもしれない。あの場には多くの野次馬がいたのだから。
「……梓ちゃん、晴見、なんかあったの?」
小春ちゃんが不安げな表情でそう聞いてくる。
それに対して私は、小さく頷くことしかできなかった。
「ええ……まあ、ちょっとね……」
女子生徒たちは晴見くんの噂話を続ける。次第に声が大きくなっていることに、きっと彼女たち自身も気が付いていないのだろう。
「他校の人の首絞めたらしいよ」
「えっヤバくない?下手したら殺人未遂じゃん?」
「いや、でもさぁ、聞いた話だと晴見って中学の時からこういうことあったみたいだし……」
彼女たちの話を聞いていて、私は自分の中で沸々と怒りが沸き上がるのを感じた。
何も知らない癖に。
乱暴な音を立てて
「あ、梓ちゃん?」
噂話に夢中な彼女たちの元へ真っ直ぐに歩みを進める。私が来たとわかった瞬間、噂話はぴたりと止んで、怖々といった様子の視線が私の顔に向けられた。
「その場に居合わせたわけでもないあなたたちが、どうしてそんな話をするの?『殺人未遂』だなんて、言っていいことと悪いことがあるわ」
そう言って退けると、一人は「ごめん」と小さな声で呟いたが、別の一人はなにか言いたげな目付きで私を見据えた。
「ちょっ、梓ちゃん……ケンカはダメだよ」
苦々しい笑みを浮かべながら小春ちゃんがやって来て私の手を引く。
それでも私がその場を去ろうとしないからか、こちらを見据えていた女子生徒が口を開いた。
「……けどさ、本当に首を絞めたならそれって問題じゃん?」
たしかに、彼女の言うことも理解はできる。晴見くんのしたことが、場合によっては殺人未遂や傷害罪に問われる可能性があるということも。
だけど、それでも晴見くんは悪くない。私はそう思っている。
その時、一時間目の始まりを告げるチャイムが鳴り響き、先生が教室に入って来た。
「よーし席に着けー。今日は210ページからだなー」
私が何も言わずに自席に戻り、緊迫した空気が解けたことに小春ちゃんは心から安堵した様子だった。
しかし、その日晴見くんは学校に来なかった。
授業中も昼休みも学校からの帰り道も自分の部屋で机に向かっている今も、晴見くんのことが心配で心配で頭から離れない。
『晴見くん、大丈夫?なにかあったらいつでも連絡してね』
昼休み中に送ったメッセージには未だに既読がつかない。
その日の夜は、ほとんど一睡もできなかった。
◇◆◇
翌日の朝も晴見くんは学校に姿を見せなかった。
クラスメイトだけでなく、他クラスの生徒までもが晴見くんのことを噂しているように感じられて居心地が悪い。
しかし、その日の昼休みに晴見くんは教室に現れた。
静まり返った教室の中を晴見くんはいつもと変わらぬ様子で歩き、自席に鞄を置くと、そのまま教室から出て行った。
きっと中庭へ行くのだろう。透かさず私は後を追う。クラスメイト達に何を言われたっていい。そんなことよりも、私は晴見くんのことが心配でたまらない。
晴見くんはいつものように中庭のベンチに腰掛け、スマホを操作している。今日も有線イヤホンを付けているが、いつも何を聴いているのだろう。
それにしても、この場所はいつ訪れても晴見くん以外の人の姿がない。まるで彼だけの為に用意された場所であるかのように思えてくる。
晴見くんが息苦しい教室から逃れ、周囲の声を気にせずに過ごすことが出来るセーフポイントであるかのように。
「……晴見くん」
彼は私を見ると、柔らかく微笑んだ。
「氷見谷さん、おはよう」
「おはよう……って、もうお昼だけどね」
「あはは、たしかに」
他愛もないことを話しながら、私は晴見くんの隣に腰を下ろした。
「晴見くん、その……大丈夫?昨日もお休みだったから心配してたの」
晴見くんはすまなさそうな表情を浮かべ、小さく頷いた。
「うん……ごめん、心配かけて。連絡もくれてたのに、返せてなくって……」
「そんなことは気にしなくて大丈夫よ。ただ、文化祭の時のことで何かあったんじゃないかって……元はと言えば私の所為なのに……」
私はずっと後悔していた。あの時、絡まれたのは私だったのだから私がすぐに対処出来ていればよかったのだ。そうすれば、晴見くんは傷付くこともなければ面倒事に巻き込まれることもなかった。
「氷見谷さんは何も悪くない」
晴見くんは真っ直ぐに私を見つめ、はっきりとした口調でそう言った。
「あの時のことに関しては、もう済んだから心配しなくて大丈夫だよ。あの後相手はすぐに意識を取り戻したみたいで、大事には至らなかったみたいだ。それで、相手側も学校側も大事にはしたくないから今回の件は水に流すって。
それに、幸いなことにあの場には目撃者が何人かいたから……元はと言えば、あの三人が氷見谷さんに絡んできたことが発端なんだって証言してくれたみたいでさ。だから心配しなくて大丈夫」
晴見くんはそう言って小さく微笑むと、右手で私の頭を撫でた。私は自分でも思っている以上に不安だったのだろう。少しでも気を緩めたら、涙がこぼれそうになる。
「よかった……だけどもう無茶はしないで。頼りないかもしれないけれど、いつでも私に相談してほしい。私も、晴見くんには全部知っててほしいし知りたいから……」
晴見くんは少し驚いた様子で目を瞬かせた。
「……なんか今のエロい」
「はっ!?」
自分の発言を思い返して、急速に全身が熱くなる。
「なんか最近の氷見谷さん、言動が大胆だよね。まあ、俺は嬉しいんだけど」
「なっ、なななな……!」
思い出せば思い出すほど恥ずかしい記憶が蘇ってくる。穴があったら入りたい。今日ほどそう強く願ったことはない。
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