【完結】阪急京都線コネクション

卯月 絢華

Phase 01 旧友との再会

第1話

 異国の看板が見える。韓国語、中国語、ベトナム語、そしてタイ語。一見、どこの国籍かわからなくなるが――ここは明らかに日本である。

 令和に突入してからの数年に渡る疫病騒ぎとは何だったのかというぐらい街は外国人で溢れていて、逆に日本人の数は少ない。

 雑踏を埋め尽くす異国の言語をノイズキャンセリングイヤホンでシャットアウトしつつ、僕は神戸の街中を歩く。――イヤホンからは、およそ25年前に流行った女性アーティストの曲が流れている。

 外部の聴覚をほぼ完全にシャットアウトしているが故に、外部から入る情報は嗅覚きゅうかくと視覚しかない状態である。まあ、それでもどういう状況になっているかは伝わるから良いのだけれど。

 混沌としたセンター街を歩きつつ、僕はJRの三ノ宮駅へと向かう。――新快速に乗るためだ。別に、僕は神戸に住んでいる訳じゃない。住んでいるのは――芦屋だ。

 新快速は「15分遅れ」というアナウンスが出ている。――人身事故でもあったのか。

 人間、病んでしまうと線路に身投げをするという。それは僕が何度も芦屋駅前の線路で命を絶とうとしたことからも明らかである。――結局、命を絶つことが出来なかったからこうやって生きているのだけれど。

 定刻から15分遅れて、ようやく新快速は到着した。――当然だが、降りる先は芦屋駅である。

 三ノ宮駅から芦屋駅までは1駅であり、途中で停車する駅はない。ただ、人身事故の影響なのか、新快速にしてはやけに遅い鈍行状態となっていた。――阪急で帰ったほうがマシだったか。

 鈍行の車窓を見つつ、僕は手書きのメモ帳を開く。メモ帳には、文字がびっしりと埋まっている。――メモ帳というか、ほとんど殴り書きに近い状況だ。

 開いたメモ帳に、適当な文字を書いていく。――なんとなく、イヤホンで音楽を聴いていたらアイデアが閃いたのだ。そのアイデアをメモ帳に記入して、そのまま閉じる。

 こう見えて、僕は小説家である。――とはいえ、売れない小説家なのだけれど。売れないが故に、専業ではなく兼業で漸く生計を立てることができる。

 小説家じゃない方の仕事は――Webデザイナーである。元々はシステムエンジニアとして働いていたのだけれど、激務と上司からのパワハラで体調を崩して5年前に退職。その時の恨みつらみをWeb小説にぶつけていたら、小説投稿サイトを運営する丸川書店から「書籍化のオファー」が来てしまった。

 当然、書籍化したからと言って――その後の豊かな人生が保証される訳ではない。むしろ、何もしなければニートに近い専業作家は印税だけで食べていけない。そこで、僕は――芦屋でWebデザイン事務所を開業した。なぜ芦屋かというと、単純に「そこに住んでいたから」である。

 芦屋川沿いあるアパート――築35年はくだらない。築35年ということは、当然阪神大震災も生き抜いている。故に、耐震性はバツグンだ。

 203号室の表札には「江成球院えなりきゅういん」と書かれている。――そこは僕の家であり、事務所であり、作業部屋でもある。「江成球院」という名前は、「江成」という名字を持つミステリ好きの両親が面白がって僕にこういう名前を付けただけの話だ。――謎の薬で体を小さくされた際に咄嗟の判断で江戸川乱歩とコナン・ドイルを組み合わせた高校生探偵以上に馬鹿げている。もっとも、「球院」という名前のせいで、中学校の担任にも高校の担任にも「なぜ球児を目指さないのか」と突っ込まれたのだけれど。――悪かったな、中学校は情報部、高校は文芸部というゴリゴリの文化部員で。

 ただ、僕はまんざらでもなくこの名前を気に入っていた。進路相談の結果、大学時代は京都にある立志館大学りっしかんだいがくへと進学することになったのだが、入学式で即座に大学のミステリ研究会から入会オファーが来たのだ。確か、入会オファーを出した先輩の名前は明智善太郎あけちぜんたろうだったか。声に出して読みたい名前だったのでよく覚えている。

 立志館大学のミステリ研究会といえば、数多のミステリ作家を輩出していることで知られている有名なミステリ研究会である。――在籍中にとあるミステリ新人賞を受賞してそのままデビューしたということもザラである。なんというか、「東の応慶、西の立志館」と言われることが多い。

 僕は別にそういう商業でのデビューは全く考えておらず、「同人で小遣い稼ぎ程度に売れたらいいや」なんて思っていたのだが――うっかり商業で出すことになってしまったのである。多分、丸川書店も僕のペンネームというか本名を見て――面白がったのだろう。

 もちろん、商業でデビューしてからはコンスタントに作品を出していた。――まあ、コンスタントに出していても、売れなければ意味がないのだけれど。

 実際、僕の小説はどういう評価を受けているのだろうか? 試しにSNSでエゴサーチすると、大抵は好意的な評価を書いていることが多い。しかし、中には――否定的というか、ネガティブな評価が書かれていることもある。悲しいかな、そういう評価を見ると「死にたくなる」のが実情である。ちなみに、大手書籍通販サイト「ZonAma.com」での評価は大体☆3.5から☆4.2ぐらいが多かったか。――まずまずの評価である。

 処女作である『絡繰屋敷の殺人』(ZonAma.comでの評価 ☆4.1)のレビューを見てみる。当然だが、評価順に並んでいるので――好意的な意見が上に来る。そんな中で、僕は――気になるユーザー名を見つけた。

「本当に新人作家?」という題名で書かれたレビューには、長文の好意的な意見が書かれていたのだが――レビューの主は、僕が知っている名前だったのだ。

【本当に新人作家? 小林仁美こばやしひとみ

 気鋭のミステリ作家である江成球院の処女作、『絡繰屋敷の殺人』。この小説は兵庫県丹波篠山たんばささやま市の山中さんちゅうにある絡繰屋敷で起こる連続殺人事件を描いたミステリ小説である。まあ、ザックリいえば「館モノ」に分類される小説だろう。

 私は、作者の名前を大学時代に知っていたので「江成くんもとうとうプロとしてデビューしたのか!」と嬉しくなった。そして、分厚い単行本を手に取って書店から出た。

 まず50ページは探偵――浅賀善太郎あさかぜんたろうの紹介から始まる。私はこの時点で「ああ、彼はミステリ研究会の先輩がモデルなのか」と気付いた。そして、善太郎くんが絡繰屋敷に潜入したところから、数々の難事件が連鎖するように起こる。絡繰屋敷自体は江戸時代中期――元禄げんろく時代に建てられたモノであり、トリックもその絡繰屋敷を利用したモノになっている。善太郎くんがそうであるように、容疑者の名前も明らかに私が在籍していたミステリ研究会のもじりであり――語り手であるミステリ作家の恵良李玖院えらりくいんは言うまでもなく――江成球院のもじりだろう。私はこの本を読んで「丹波篠山市に聖地巡礼へ行きたい!」と思ったぐらいだ。まあ、私は神戸在住なので行こうと思えばいつでも行けるんだけど。

 とにかく、この小説は「読んで後悔させない!」それだけは保証する。

 ――小林仁美か。彼女は立志館大学の同期であり、当然ながらミステリ研究会の一員でもあった。とにかく活発な少女であり、陰キャである僕とは正反対の性格をしている。そして、どういう訳か、僕に惚れていたようだ。

 そんな仁美が、僕の小説のレビューを書いている? 一応、卒業後も連絡は取り合っているが――一度もそういう素振りは見せていなかった。

 なんとなく、僕は仁美のスマホに連絡を入れてみる。――どうせ、返信なんて来るわけないだろう。

 返信を待ちつつ、僕はダイナブックで新作小説の原稿を書いていく。当然だが、主人公は浅賀善太郎である。――神戸ポートタワーを舞台にして、ある「見立て」による連続殺人事件を起こすことにした。要するに、僕が神戸に行っていた理由はロケハンである。片道230円でロケハン出来るなら――安上がりだ。

 ただ、見立てのアイデアに関しては散々擦られているモノだと思う。――正直言って、僕よりも先発で出ている小説のほうがもっとうまく見立てを使っているだろう。

 タイトルも決まっていて、『血塗られたこけし』とした。昔から、神戸ポートタワーは「こけし」っぽいデザインだと思っていたからだ。もっとも、人によってはこけしというよりも、「かつて三宮に存在したあの百貨店」のマークに見えるかもしれないのだけれど。――ちなみに、あの百貨店のマークは生糸きいとを留めるためのモノらしい。

 そうこうしているうちに、仁美から連絡が入ってきた。――マジかよ。

 ――あら、江成くん。もしかして、私のあのレビュー見ちゃった? 見ちゃった以上、もう言うしかないよね。私、こう見えてミステリ小説のレビュアーというか、インフルエンサーをやってるのよね。もちろん、江成くんが小説家としてデビューしてることも知ってるわよ?

 ――そうだ、連絡を取ったついでに、江成くんと顔を合わせたいのよね。どういう訳か、明智先輩も京都から来るらしいんだけど。

 ――明日、梅田で落ち合おうよ。待ってるから。

 いきなり「梅田」って言われても――広すぎる。僕は仁美に対して「梅田のどこなんだ?」と聞いた。

 返事はすぐに来た。どうやら、「阪急の梅田駅」らしい。ピンポイントで言ってくれたので、助かる。

 集合場所も分かった所で、スマホのカレンダーに明日の予定を入れる。――明日は土曜日か。それなら、好都合こうつごうだ。

 それから、ダイナブックで原稿を書きつつ、僕は明日のことで頭がいっぱいだった。――こうやって面と向かって会うのは、「疫病騒ぎが起こる少し前以来」か。疫病騒ぎによるロックダウンの挙げ句、善太郎や仁美と会うこともなくなってしまったな。

 ――どうせなら、明日は馬鹿騒ぎでもするか。

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