第二章 関東一文字清女
第8話 世過ぎをいかにせむ
明治27年9月、薄紫色の小花が広い庭のそこかしこに咲き乱れている旧水戸藩御用達宿、今は「萩の舎」と門弟たちから呼ばれている、中島歌子の歌塾をあとにした一葉は、ややうつむき加減で安藤坂の通りを右へと上って行く。萩の花の花言葉である「思案」そのもののような思案顔をしてである。8年前の15才の折り始めて歌子の門を叩いた時にも感じたことだが、主に華族や富裕階級の子女らを集めた華やかさと煌びやかさの中にあって、平民出身でしかない我が身の境遇をいまさらのように思い知らされていた。しかし8年前の当時は父則義がまだ存命中で、金融や不動産で成した財をいまだ保っていたので今ほどのみじめさはなかった。当時の住まいは帝大(東大)赤門前に45坪の屋敷を構えていて「桜木の宿」と号し、すれば平民出身というよりはむしろ富裕層の出自と云えなくもなかったのである。しかるにその父が事業に失敗して断腸のうちに他界してから早5年と4ヶ月が経つ。幕末時の武士・旗本の零落にも等しいような我が身の今の零落ぶりである。家に帰ればはたして現金は1円(いまの1万円に相当)でもあったろうか。母と妹を養わねばならず、また1年ほど前から訪問を受けるようになっていた青年文士たちへの賄い、すなわち飲食の提供もはからねばならない。かつて下谷の龍泉寺町で雑貨店を始めた折りの苦渋にも等しい、いやそれ以上のうっ屈の中に一葉はあった。当時も今ももしやを頼んで師匠中島歌子に借金を申し込もうとしたのだが、始めからそれと読んでいて警戒しているような歌子の様子に口に上すこともできなかった。
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