あなたに降る沢山のプラチナ

京野 薫

プラチナと天気雨

(雨……降ってる)


 世間が休みを謳歌している3連休。

 その初日にふさわしい晴れ渡った空から降る天気雨。

 その何度見ても不思議な光景は、夕方からのバイトへの憂鬱さでささくれ立っていた私、阿川美里あがわみさとの心に、まるで地面に染み込むようにじわりと潤いを与えた。


(一粒、二粒……)


 数えきれるわけが無いのに、何故かぼんやりと雨を数える。

 雨粒は日の光を受けて、一粒一粒がキラキラと輝く。

 その光はまるでプラチナのように。


 そして、その光を見る度に、私の心は戻る。

 4年前の日々に。

 17歳だった私に。

 女子校の校舎。

 薄暗い図書室。

 甲高く響き渡る無数の声。

 そして……彼女。「蓮村鈴音はすむらすずね


 そして、彼女の身体を濡らす天気雨。

 空から降るたくさんのプラチナを浴びて、おかしなくらい綺麗に見えた彼女。


 私の意識はあの当時に戻って行く。


 ※


「じゃあな、美里。楽しかったよ。帰ったらラインするから」


「うん。私もすっごく楽しかった。待ってるね」


 私がそう答えると彼、桜井一樹はデートの後の恒例の儀式……ハグをしてきた。


 あ……また。


 私は身体に感じるゾワゾワした気分を見て見ぬフリして、幸せそうな表情を作った。

 そして、軽く息を止めて彼の頬にキスをする。

 照れくさそうに微笑む彼。

 同じく微笑む私。

 このまま時間が止まればいいのに……と、を作る。


 大丈夫。もうちょっとだけ……我慢。笑顔。

 私は世界一幸せなんだ。


 そして、手を振りながら彼を見送り、その姿が見えなくなると私は急いで袖をまくり、両腕を何度も強く掻いた。

 今日のじんましんは一段と酷い。

 あんまり掻きすぎると痕が残っちゃうな……

 本当は顔も掻きたいけど、流石にそれはダメ。

 何とか我慢できそうなくらいにまで痒みが落ち着いた事を確認すると、近くのバス停のベンチに座ってため息をついた。


 別れた方がいいのかな……

 少し考えて、私は小さく首を振った。

 それは嫌だ。


 桜井一樹君。

 近くの高校に通う、割に女子に人気らしき男の子。

 それが何故か私に告白してきた。

 顔もいい感じだし、スタイルもいい。

 性格だって悪くない。

 彼なら……

 彼と一緒に居たら、私はなれるかも知れないんだ。

 普通の女の子に。


 そんな事を考えてふと目を上げると、目の前を学校帰りだろうか。

 3人の女子高生が歩いていた。

 私の目はいつの間にか右端を歩く女の子を追っていた。


 可愛いな……

 その子が隣の友達らしき女子に、ふざけながら抱きついているのを見て、心臓が大きく跳ねた。

 私はその子のプルンとした唇や、陶器のような曲線のうなじから目が離せなかった。

 そして、ふとその子のブレザーの胸元が僅かにはだけているのが見えて、顔が熱くなり慌てて目をそらせた。


 でも、そうしながらも心臓のあたりが、暖かくて心地いい。

 あんな子ともし手を繋いだりハグしたり……

 そこまで考えたところで、フッと我に返って慌てて周囲を見回したが、すぐにそんな自分に苦笑いしてしまう。

 馬鹿馬鹿しい。


 そして、その子達が居なくなり一人ベンチに座っていると、なぜだか酷く寂しくなった。

 7月の空気はどこかまとわりつく暑さを感じさせたけど、私の周りだけ季節が変わっているみたいに温度が低く感じる。

 なんで……

 一樹君……

 彼のことを考えると胃がムカムカするくらい辛い。

 だって、私は彼を好きでは無いのだから。


 私はさっきのバス停の彼女の唇とうなじを目を閉じて思い返した。

 そして、酷くイライラした。

 これはきっと7月の暑さのせいだけじゃ無い。


 私には決して手に入らない甘く、キラキラしているあなた。

 同性愛者であることを隠している、そして死ぬまで隠すつもりの私が、決して手に入れることの出来ないあなた。


 ※


 私が自分が女性しか愛することの出来ない人間と気付いたのはいつだったかな?

 全然覚えていない。

 ただ、分かっていることは「これは絶対バレちゃいけない」と言う事。

 女子校では、結構先輩や容姿端麗な同級生に憧れを持ったりするけど、それはあくまでも「恋愛ごっこ」

 本人も相手もそれを分かった上で、期間限定のごっこ遊びを楽しんでいる。


 でも、私はごっこじゃない。

 本気で胸がドキドキするし、お付き合いしたいと願う。

 修学旅行でみんなとお風呂に入る時も、心臓が破裂しそうなほど興奮するし……嬉しい。

 プールに行こうと言われると、胸がときめいてしまう。

 あのむせ返るような甘い香り。

 流れるように美しい身体。

 目が離せなくなってウットリしてしまう。

 そんな自分がたまらなく卑しく、汚い生き物に感じる。


 そのせいかいつでも、どこか世界から切り離されているように感じる不安感。

 それから逃れるように頑張って「普通」を目指した。

 流行の服やメイク、音楽。

 そして彼氏。


 レズビアン。

 このあまりによく聞く言葉の響きは私の世界を一変させるような怖さがあった。

 自分の世界が壊れるような秘密のせいで、ずっと独りぼっちを感じる私にとって「普通」と言うのは、安らぎと安全を確保するためのパスポートみたいな物だった。


 だから、文字通り墓場まで持っていく秘密なんだ。


 一樹君には本当に申し訳ないと思う。

 でも、そのお詫びではないけど精一杯「良い彼女」で振る舞いたいと思う。

 もしかしたら……そのうち、本当に好きになるかもだし、そうなったら凄く嬉しいし。

 そしたら本当に「普通」になれる。


「美里! 大丈夫?」


 突然耳元で聞こえた声に思わず「ひゃっ」と声が出てしまった。


「なあに、私そんなに驚かせた?」


 そう言って、隣の席の「鈴木弥生すずきやよい」がクスクス笑って言った。

 彼女は中学校からの友達で、生来の愛嬌のせいでいつも周囲に誰かが集まっている。

 かくいう私もその一人で、彼女とその仲間と居ると自分が「普通の女子高生」と思えて気分がいい。


「ごめん。ちょっと考え事してて」


「え~、何考えてたの! って決まってるか。一樹君の事でしょ?」


 弥生の言葉に私は恥ずかしそうに頷く。


「よく分かったね。ビックリした」


「当たり前じゃん! 昨日もデートしてたでしょ。見てたんだから」


「え! 嘘でしょ! 見られてたの」


 と、驚く振りをする。

 本当は見られてたのは知っていた。

 でも、それが凄く気分良かった。

 みんなに私が彼氏とデートする子だって知ってもらえたのが、安心感と高揚感を感じる。


「いいな~美里。今度一樹君の友達紹介するように頼んでよ」


「考えとく」


「上手くいったらさ、私たち4人で遊びに行こうよ」


「いいね! 楽しそう」


 本当は女子だけで歩きたい。

 正直、男子の笑い声は未だに違和感を感じる。

 なんであんなに下品なんだろう……声が大きい。


 その日の放課後。

 友達みんな、部活やバイトがあるようで私一人で帰ることになった。 

 パパの方針でバイトが禁止されてるから、みんなと一緒にバイトできない。

 だから、こういう時は酷く寂しくなる。

 普通、この歳の子はバイトくらいするよね……


 かと言ってすぐに家に帰りたくない。

 今日はパパが早く仕事が終わると言ってた……


 何となく時間を潰せないかな、と思い本当に何となく……深く考えもせずに私は図書室に足を運んだ。

 本なんて全然興味なくて、まともに読んだことの無い私がなぜか。

 思い返すと、これも1つのご縁だったのかも知れない。


 だって、そこで私は彼女「蓮村鈴音」に出会ったのだから。

 私の人生を文字通り変えた彼女に。

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