第127話「キスしたい」































 急遽、皆月さんの家に泊まることになった。

 今日は平日だから全員、明日は学校や仕事がある。だから早めにお風呂を済ませて、その間にお義母さんも帰ってきて、


「やだ〜!渚ちゃんじゃない!久しぶり〜」

「お、お久しぶりです」

「随分と垢抜けて……美人になっちゃって〜、もう〜!」

「へへ…お義母さんは相変わらずお綺麗ですね」

「あら。この年になってそんな風に褒めてもらえるなんて…うれしいな?」


 あざといような、若々しい美貌と性格は変わらないままのお義母さんとの会話を楽しんで、そこで思い出して彼女へのお土産も渡しておいた。


「靴なんて…貰ったの何十年ぶりかしら?本当にうれしい……ありがとう」


 紅葉ちゃんと同じく、目をまんまるにして喜んでくれた姿に私もつられて嬉しくなる。


「今度それ履いて…みんなで出かけませんか」

「ええ、今から楽しみ!」

「よかった、私も楽しみです!」

「んん…もう。渚ちゃん、いつまでお母さんと話してるの?」


 約束も取り付けて一安心…と胸を撫で下ろしていたところに、皆月さんが拗ねた顔をしてやってきて服を掴んだ。…かわいすぎ。

 それを見たお義母さんは何を思ったのか「あとは若いおふたりで楽しんで」と気を遣って紅葉ちゃんのいるリビングへと入っていった。

 私は皆月さんに手を引かれて、皆月さんのひとり部屋へと向かう。


「…変わりませんね」


 一年前と何も変わらない、少し狭いような部屋に懐かしさと感慨深さを懐きつつ、促されたままベッド脇へと腰を下ろした。


「ふふ。渚ちゃんがわたしの部屋にいるの…なんだか変な感じ」

「そう…ですね。前も、泊まることはあんまり無かったですもんね」

「うん……ずっと居てほしいな?」


 甘えた仕草で、向き合う形で膝の上に跨る形で乗っかってきた皆月さんが、悩殺する言葉を平気で口に出す。そんな事を言われてしまったら、もう一生ここから出たくない。

 細い腕が首の後ろに回って、私も私でその行動を受け入れるようにやんわり腰を抱いた。

 お互い、懐かしい気分でいつもより距離感がバグってしまったのかもしれない。


「…渚ちゃん」


 私を見下ろして、甘えた声で呼んできたから、応えるために顔を上げる。


 あ……近…い。


 綺麗な顔が目と鼻の先に現れて、息を止めた。…皆月さんも、驚いたのか目を見開いていた。


「楓さん…」

「渚…ちゃん」


 しばらく見つめ合って、その顔の近さに心臓の落ち着きを無くしながら…どちらからともなく、無意識に首を伸ばしてさらにふたりの距離を縮める。


「ねーえ、お姉ちゃん」


 今にもキスをしてしまいそうだった時、呑気な声と一緒に無遠慮に扉が開いた。


「っあ、な…なぁに?紅葉」


 バッと勢いよく私の膝の上から退いて、焦りを隠しきれないまま皆月さんは扉の方へと向かった。


「………………なにしてたの」

「な、なにも。何もしてないよ?」


 大きな目を細くして疑いの眼差しを向けてきた紅葉ちゃんを連れて、誤魔化すように部屋を出ていく。そのふたりの後ろ姿を眺めた後で、私は深く息を吐き出しながら顔を覆い尽くした。


「あっ……ぶなかった…」


 あと少しでキスするところだった。

 寂しい思いと懐かしい感覚に惑わされて、キスどころか危うく抱く一歩手前だった。あのままキスしてたら多分もう止まらなくて人の家という事も忘れて手を出してたかも。

 安堵しつつ、ちょっとだけ残念に思いつつ。


「ごめんね、渚ちゃん」


 数分して戻ってきた皆月さんに、また大きな切望と欲情を抱きつつ。


「…楓さん」


 一緒の布団に潜り込んで、習慣化したハグの密着度の高さに血迷って、この日ばかりは我慢できなくて…つい。

 抱き寄せたついでにさり気なく、額の辺りにキスを落としてしまった。

 やらかした後で、まずいと思って体を勢いよく後ろへと離す。なにやってんの、私のばか。

 これは完全に引かれ……


「……ずるい」


 離れた体を戻すように、頬を包まれて引き寄せられた。


「わたしも、する」


 拗ねた顔を見下ろしたときにはもう遅くて、近付いてきた唇は私の額に当てられた。くすぐったいような小さな感触に、心臓はバクンと跳ねる。

 そのまま、ちゅ…と小さな音を立てながら皆月さんの唇は額だけでなく頬や顎なんかにも弱く吸いついていって、ドクドクした興奮をどうしていいか分からず体を硬直させた。

 薄く開けた視界を埋める、必死に唇以外にキスを与えてくる顔がかわいすぎて……呼吸と心臓が止まりそう。いやもう止まってるかも。

 いつ唇同士が触れ合ってしまうんだろう…と期待半分でいたら、それだけで満足したのか思いのほかすぐ、密着していた距離は遠くなった。


「ふふん、おかえし」

「…私、そこまでしてないです」


 意地悪に笑う皆月さんを憎たらしく思って、抗議の眼差しを送る。


「じ…じゃあ」


 するりと、頭の後ろに悪戯な手が回る。


「渚ちゃんも……していいよ?」


 こ…れは。


 あまりに小悪魔なお誘いすぎて、私の小さな脳みそでは処理しきれなかった。

 機能を停止してもはや冷静になった頭で体は勝手に欲望の赴くがまま動いて、赤く熱い耳たぶをくりくりと指で挟む。


「…後悔、しないでくださいね」


 忠告だけはして、距離を詰めた。


「え………ぁ、ん…っ」


 触っていた耳たぶを、今度は指じゃなくて唇で挟み込んだら、驚いたのか肩が縮こまって、首が私とは反対側を向くように伸びていた。

 耳たぶから上へ、口でなぞるように移動させる。

 しばらく軟骨を包んだ薄い皮膚の感触を楽しんで、私の唇が触れるたびくすぐったそうにして逃げようとする皆月さんの頭を押さえるため手で包んだ。


「くすぐったいんですか…?」

「んっ……ぅ、ううん…ぞわぞわ、する」

「はぁ…かわいい」


 しんどい。


 心臓痛すぎて、もう死にそう。


 このまま襲いたくなってしまった欲を少しでも発散させたくて、耳に向かってまるでキスをするみたいに唇を動かした。

 次第に、体温が上がっていく。口元は段々と耳から下へと落ちていく。

 私の欲望をさらに刺激する、汗ばんできた首筋へ耐えきれず強く吸いついて、


「んぅ…っ」


 慣れない感覚にビクついた体にまたさらに興奮を覚えて、より皆月さんを感じたくて、密着させたくて、相手の腰を力加減も忘れて抱き寄せた。


「は、ぁ……楓、やばい」


 キスしたい。


 いや、もう…それを通り越して、抱きたい。


 欲情を滾らせて、ふと。


 あ……でもそうだ、ここ壁薄いから前にお義母さんに遠回しに怒られたんだった。


 ということを思い出した。


 今は隣にふたりがいるし…余計にだめだよね。

 そもそも、そうでなくともだめでしょ。なにやってんの、私のばかやろう。

 自然とそれを実行してしまいそうだった体にグッと力を込めて止めて、精一杯…肺の中から空気を吐き出した。


「……すみません」


 何度か深呼吸をして、スリスリこめかみの辺りに頬を寄せる。


「やりすぎました」

「………別に、いいのに…」

「だめです。私達は…友達ですから」


 自分の心を今一度戒めるために言った言葉は皆月さんの心にも刺さってくれたのか、


「そう…だよね。ごめん…」


 小さく頷いた後で、眉を垂らして笑った。


「寝よっか」

「…はい」


 もちろん、眠れるはずもなく。


「…ふたりとも、ちこくする!」


 翌日、寝るのが遅くなった結果、ふたりして家を出る時間ギリギリまで寝ていたことを、紅葉ちゃんに怒られてしまった。






















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