第7話「後輩の声」
やるべき事を全て片付けて、勉強机へ向かう。
今日は何について学ぼうかな〜…と前向きに楽しく思いながら、並べられた参考書のうちのひとつを手に取る。うん、今日はこれにしよう。
勉強はけっこう得意で、好き。
脳に知識が増えていくのは退屈しなくて良いし、何よりも一度図鑑や参考書なんかを買っちゃえば、その後は長く勉強できる。本は分厚ければ分厚いほど良い…初期投資が大きくなりがちなのは難点だけど。それでも数千円で済むのはありがたい。
わたしにとっての勉強は、あまりお金の掛からない趣味とも言えた。その趣味がさらに学歴や就職に良い影響を与えてくれるなんて…まさに一石二鳥。
だからひとりの時間が出来ると
「……あ、きたきた」
参考書に目を通して、数分。
机の上に置いていたスマホが震え出して、着信音を鳴らした。
イヤホンを差し込んで、耳につける。
「はぁい、もしもし?」
『…お疲れさまです』
軽いノリで声を出したわたしに対して、どこか堅苦しいような声が、イヤホンのスピーカー越しに返ってきた。
『いつもすみません、助かります』
「いーえ。今日は何について勉強するの?」
『えっと…』
ここ連日、夜はバイト先の後輩⸺友江渚ちゃんと通話をしている。今日は3日目になる。
しばらくはお互いほとんど無言で勉強に集中して、分からないことを聞かれたりしつつ、ぽつりぽつりと会話を始めたら…気が付けば会話に花咲いて盛り上がっていく。
『この間、私も連絡先を渡されたんですよ。お客さんに』
「わぁ〜、モテモテだ」
『…………嫌味ですか?』
「え。全然そんなつもりないよ?」
『ですよね。…でね、いつもみたいに適当にきっぱり断ったんですよ、会社のルールなんで〜って』
「断るの上手だもんねぇ…すごいよ。尊敬しちゃうな」
『尊敬してる場合じゃないです、皆月さんも参考にしてください。まったく…』
「う…ご、ごめんなさい」
『あー…いえ。それで、断ったんですけど、その後どうなったと思います?』
「えぇ〜、なんだろ?また渡しに来たとか?」
『まぁ似たようなもんです。…待ち伏せされてました』
「わ、それは怖かったね…大丈夫だった?」
『その場で通報してやりましたよ。へへ』
渚ちゃんは意外にもお喋りで、ついついわたしも勉強を忘れて聞き入っちゃう。
最後に聞こえた得意げな声が幼くてかわいいな〜なんて、呑気に思いつつ…そっか、渚ちゃんツンとしてるようでかわいい顔してるもんねと、彼女が連絡先を貰ったことに納得する。
「通報なんて…勇気あるなぁ、わたしには真似できないや」
『皆月さんは優しくてお人好しですもんね。それはそれで素敵なことだと思いますよ』
「やだ、照れちゃう」
『…もっと褒めましょうか?』
「えぇ〜?恥ずかしくなっちゃうよ〜、だから遠慮しとくね?」
『まだまだ褒め足りないくらいですよ』
冗談交じりに言われても、たとえこれがお世辞だとしても、真っ直ぐな言葉で褒められると嬉しくなっちゃう。
渚ちゃんはバイト中も、いつもこうだ。良いことは良い、悪いことは悪いと遠慮なくバッサリ言えるのは、わたしにはない性格で……少し、羨ましくもなった。わたしは当たり障りない言葉を選びがちだから。
話せば話すほど、改めて渚ちゃんの魅力に気付いていく。
散りばめられた魅力の欠片を見つけた時は嬉しくて、もっと知りたいな…と興味も湧いた。
「ねえね、渚ちゃんってさ…」
『うん…』
夜も更けてきた頃、くだらない質問をしようと声をかけたら、いつもより高い…眠そうな声が耳に届いた。
「…ねむい?」
『いや……ねむくない。眠くない、です』
かわいい。
今にも寝ちゃいそうな声なのに、意地張って否定してくる感じが…寝たくない時の子供のそれで、つい頬が緩む。
「座ったまま寝ちゃうと体痛くなるし、風邪ひいちゃうかもだから…お布団行ったら?」
『でも…勉強しないと』
「無理はよくないよ。休むことも大事だから……ね?」
『うぅ〜ん…でも、切りたくない…』
駄々をこねるような拗ねた声に、キュと心臓が縮こまる。
普段、年齢のわりには大人びた話し方をする渚ちゃんからこんな幼い声が聞けるとは思ってなくて、ちょっとだけ動揺した。
「…まだ切らないから。大丈夫」
なるべく穏やかに声を掛ける。
わたしの心配が伝わってくれたのか、その後すぐに移動するような音が聞こえた。…よかった、これで座って寝ちゃうような事はなくなったかな。
「お布団入った?」
『うん…』
「ん、よかった。寝るまでお話してるから、いつでも寝ていいからね」
『やだ……まだ、話したいです…』
紅葉も夜に寝かしつけてた時、よくこんなことを言ってた。
幼い手でわたしの服を掴んでくる姿を思い返しながら、最近はもう一緒に寝てなくて、そんな風に甘えられることも減っちゃったな…とひとり寂しさを抱える。
だからかな。
甘えられると、嬉しくなっちゃう。
『話してて……皆月さん…』
「うん、もちろん。なんのお話しよっか」
『なんでもいい…声…ききたい』
トクンと、心臓が脈打つ。
「かわいい〜…赤ちゃんみたいだね?」
『うぅん……ちがう…』
「ふふ。…ねむいね、もう寝ちゃおうね。おめめ閉じてごらん?」
赤ちゃんを寝かしつけるみたいに声を出した。
きっと目の前にいたら、眉毛の辺りを親指の腹で何度も撫でながら、まぶたを下ろさせようとしてた。体に染み付いた動きは、なかなか記憶からも消えることはない。
紅葉がまだ赤ちゃんだった頃のことを思い出す。
「かわいかったな…今も、かわいいけど」
『ん……うん…』
「ごめんね、ねんねしてていいよ」
こんな気持ちになったのは、ずいぶんと久しぶりだ。
母性本能をくすぐられまくって、胸はずっとキュンキュン高鳴る。やっぱり子供はかわいいな。
…渚ちゃんは普段はこんなことしないから、余計にかわいく思えるのかも。
誰かと電話をするのが楽しいなんて。
そんなことを思えたのは、人生で初めてのことだった。
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