第61話 姫と魔王、ハジける

 時は少し前に遡る。


「あ~~~~~~~~~~~~~…………もう無理ですわ……」


 ハリボッテ王国第二皇女パトリシア・ハリボッテはなんかもう色々限界に達していた。

 勇者を召喚し、魔族との戦争を終わらせると息巻いていたあの頃はどこへやら。

 今の彼女は書類を見るだけでじんましんが出る程に仕事に対して拒絶反応が出ていた。


「何故ですの……? 何故、こんなにも仕事をしたくありませんの……?」


 ぎゅっと手に持った召喚の杖を握りしめる。ここ最近、これを握りしめることが多くなった。

 これを握っていると、どこからか魔力が流れ込んでくるかのように疲労が回復してゆくのだ。


 しかし相対するように仕事に対する意欲、やる気が削られてゆく。パトリシアはそれを自身の不甲斐なさからくるものだと信じて疑わず、心に喝を入れ続け、仕事を続けた。


 結果――彼女はハジケた。


「もうやってられませんわぁぁぁあああああああああああ!」


 ダムが決壊すれば大量の水が溢れ出すように、我慢し続けた彼女の反動は凄まじかった。

 せめてもの書き置きを残すと、素早く着替え、勢いのままに城を飛び出し、夜の町を駆けまわった。服装はお忍び用の平民っぽい衣装があったのが幸いした。


「いやっほおおおおおうううううう!! お外走るの気ん持ちいいですわぁああああああああ!」


 完全にキャラが壊れていた。


「あはは、あははははははは、あーっはっはっはっは……はぁ」


 ただ笑っているだけなのに、何故か目からは涙が止まらないのだろう。パトリシアは笑いながら泣いていた。鳴いていた。哭いていたのだ。その声はどこまでもむなしく響いた。


「あああああああもう嫌ですわぁ、仕事なんて……仕事なんてクソ喰らえですわあああああ! このストレスをどこにぶつけてくれましょうか! 合法的に……そう合法的に何かを殴ったり、壊す方法はありませんの……」


 発想が完全にヤバい。もはやどこからどう見ても立派な不審者だった。


「ママー、なにあれ?」

「しっ、見ちゃいけません。チーちゃんはああなったらいけませんよ」


 あまりの醜態っぷりに、子供の眼を覆う親まで居たほどである。

 まさかこれが自分達の国を治める王族の第二皇女とは誰も思わないだろう。というか、言ったとしても、誰も信じないだろう。それ程までに今のパトリシアはぶっ壊れていた。


「はっ、そうですわ。ダンジョン! ダンジョンがあるじゃありませんのっ。あそこならモンスターがいくらでも湧きますし、どんなに暴れたところで問題ありません。となれば善は急げ。ひゃっほーいですわぁ~♪」


 既に王族としての責務を放り投げてる時点で大問題なのだが、そこに気付く思考は今のパトリシアには微塵もない。

 とまあ、そんな感じで彼女はダンジョンへ向かうのであった。




 一方その頃、魔王城を逃げ出した魔王イーガ・ヤムゾは自身の行いに酷く後悔していた。


「あぁ……やってしまった。やってしまったのじゃぁぁ……」


 パトリシア同様、ストレスが限界に達した彼女はつい責務を放棄して、逃げ出してしまった。

 ひょっとしたら誰かが途中で連れ戻してくれないかとも考え、時間をかけて、魔族領を歩いて、歩いて、歩きまくって、気付けばハリボッテ王国の近くまでやってきてしまっていた。


「……なんで誰も探してくれないんじゃ? 儂、やっぱり嫌われてるのじゃろうか……?」


 もともと自分が弱いと思い込んでいるイーガは物事をネガティブに考えることが多い。

 マケールやウーラはイーガを探していない訳ではない。

 ただ単純にイーガの移動ペースが速過ぎて、誰も追跡できていないだけだ。


「アイも見つけにきてくれない……なんでじゃよぉ……」


 完全に面倒臭い構ってちゃんだった。

 この魔王、ちょっとメンヘラの気もあるらしい。

 ちなみにアイはまだイーガが失踪したこと自体知らされていない。ここ連日の任務で体調を崩し寝込んでいるからだ。いちおう、イーガにも一報は入っていたのだが、忙しすぎてすっかり忘れていたのである。


「……うぅ、儂はなんとみじめで情けない魔王なんじゃ……」


 イーガはこんな自分が大嫌いだった。どうしていつも失敗ばかりを繰り返すのか。


「変りたい。自分に自信が持てる強い魔王になりたいのじゃ。でもどうすればいいのじゃ?」


 変わるためのきっかけはなにかないだろうか? なにかヒントが欲しい。

 そんな風に考えていると、イーガの耳にその声が響いてしまった。


「おーっほっほっほ! おーっほっほっほ! ほらほら、モンスター共! さっさとくたばりやがりませですわあーー!」


 なにやら非常に独特かつ個性的な叫び声である。


「……なんじゃ、あの声? 不審者?」


 でも、なぜか気になった。だってその声は自信に満ち溢れるような声音だったから。

 自分にはない『ナニカ』を持っている。そんな気がしたのだ。

 気付けば、イーガはこそり、こそりと声のした方へ向かい、その人物を見つける。


 ――蝶の仮面をつけ、鞭を片手にモンスター相手に無双するパトリシアの姿を。


「な、なんなのじゃ、あの仮面の女性は……」


 月光の下で、鞭を振るう彼女はとても輝いて見えた。その笑みは三日月のように裂け、目は爛々と輝き、紅潮した頬には爽やかな球の汗が浮かんでいた。

 控えめにいって怪しさ満点である。


 しかそその姿は、イーガにはとても輝いて見えた。


 モンスターと戦っているとは思えないほどの清々しい動きと表情。

 そして何より、あの蝶の仮面だ。月光の光を浴びてピカーンって光っている。


「……か、カッコいいのじゃ……」


 イーガは心奪われてしまった。

 アレだ。自分もああなりたい。ああいう風になればきっと自分も変れる。

 皆に誇れる魔王になれる。そう確信した。


 アイやマケールが居れば「いや、それ間違っているから。止めろ。引き返せ」と全力でイーガを引きとめただろう。

 しかしこの場に居るのはイーガだけ。

 悲劇のピタゴラスイッチを止める者など誰も居ない。


「ふぅ……ダンジョンに潜る準備運動にはなりましたわね。ふふ、これでも幼い頃から騎士団に厳しい戦闘訓練も受けてきた身。まだまだ腕は錆びついておりませんわね」


「あ、あのっ……!」


「あら……こんな夜更けにどなた――って魔族!? どうしてこんなところに?」


 イーガのこめかみから生える角を見て、パトリシアは一瞬で警戒モードに入る。

 しかし、イーガから発せられた言葉は、まるで彼女の予想外の一言であった。


「わ、儂を貴方の弟子にして欲しいのじゃ! お願いします! 儂を貴方のような素晴らしい女にしてたもう!」


「…………はい?」


 こうして皇女と魔王は出会った。

  

 出会ってしまったのである……。


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