鬼『OGRE』

七音壱葉

あるべき鞘に戻る

(一)帰って来た鬼

 黒く、あらゆる色を吸収してしまう程の真っ黒なスーツを身に纏った男を乗せた中型船が月照らす上海の港に着いた。

 男の年齢は二十後半か三十弱か。詳細な年齢は分からない。だが彼の氣からは確かな功夫クンフーが感じ取れる。

 船を降り、甲板から見下ろしている淡いオレンジ色のサングラスを掛けた日本人を見つめる。日本人は笑みを見せ、彼にと語りかける。

「見送りは必要かい?」

 首を横に振る。感情があるのか、はたまたないのかが分からない程に男は感情を表に出さなかった。

 甲板の上にいる日本人は顎でしゃくり、船内にいる部下にと指示を出す。すれば船内から二尺程の長袋を持った者がそれを差し出した。

「餞別だ、福成ふくせい。前の一件で失くしたのだろ。反りはほとんど無い。無銘だから雑に使ってくれて構わない」

 長袋を受け取り、取り出してみる。黒漆によって染め上げられた鞘が姿を現わし、袋から全身を取りだす。鞘から抜き出し、刀身に自分の顔が映る。

「確かに受け取った。ここまでの道のり、旅路に感謝する。遊佐ゆさ殿」

 パキン、と刀身を鞘に納め、遊佐と呼ぶ甲板にいる日本人にと感謝を述べた。男は上海に下り、初めて言葉と感情を出した。

「いいって事よ。これでオレはアンタら槍竜そうりゅうと関係らしい関係を築けるんだ。オレはもっと上にいくぜ」

「ふむ。それがお前の野望だったな。任せろ。なれが我を必要とする時、我が汝を助ける。我は汝に恩あるが故に、それは組織も同じ故」

 目を瞑り、ひしひしとそれまでの事を思い出すかのようにして言葉を詠む。

「ははは、そうか。だが、気を付けろ。今の中国は古い文化を前面的に否定していると聞いた。それが古いものとして見なされるかは分からないが、発言や言動には気を配れ」

 後年において文化大革命と呼ばれるような事が今の中国では行われていた。古い文化、物を良しとせず、社会主義を目指したものであった。

 この地に居た頃よりも複雑と化した中国。上海の夜景を見つめる。夜の輝きはいまだ変わりはしない。仕える主も。

「河の流れは絶えず、もとの水ならず。これが世の摂理なり。だが、我の仕える主は変わらぬ。――そろそろ行かねば」

 その言葉の意味、趣旨が分からぬほど遊佐は馬鹿では無かったし、それを教えたのは遊佐自身であった。だが、違うとすればその使い方であった。遊佐が福成に使ったのは物の例え。一方で福成は詩人のようなものであった。

 奇抜、それでいて一切の隙を見せぬ男。遊佐からはそのように映る。それが張福成ちょうふくせい。数年前から日本に渡来し、その身分を隠していた。だがそれも今日で終わりであった。遊佐の下を去るこの日、福成は本来のあるべき場所に戻ろうとしていた。

 絢爛な輝きで夜を照らす上海の街並みに真っ黒なスーツ一着の福成は酷く目立つだろう。けれどもそんな事を感じさせないほどに彼は周囲の雰囲気と場の流れに溶け込んでいた。まるでずっと昔からそこの住人であったかのように。

 彼の目に映る人の波や、店の賑わいは全て泡。例え目に留まったとしても一瞬で弾け、本来の目的地にと足が向く。半ば駆け足で。

 やがてビルの前に辿り着き、立ち止まった。天には届かない。されど多くの人々の流れと金の流れがそこにはある。暗く、黒い裏の社会の一部がそこにはあった。

「この時が来た。我らの栄光が」

 誰に言うでもなく、ほのかな香りを残すかのように静かに呟く。

 迷いなくそのビルへと入る。すればエントランスにいるスタッフが福成に近寄るも、福成はスタッフの耳元で静かに事を告げる。すると忽ちと傍を離れ、一枚のカードを渡した。

「失礼しました。林大田りんだいでん様は地下三階のカジノエリアです。――長い間、お疲れ様でした」

「うむ。万事問題なければ、もう鬼では無くなる」

 恐縮な態度を取るスタッフに大きな態度を取るわけでもなく、流すかのように無な想いで返す。

 エレベーターのある方へと足を動かす。それに付き従うようにスタッフは後ろを歩く。それを払うかのように言う。

「従属はいい。久しぶりの、それも数年越しの友との再会だ」

「ですが、周りには他の客が。それに、襲われでもしたら」

「ここは『槍竜そうりゅう』の縄張りだ。それに、そのために鬼になっていた」

 今の上海に蔓延る三大黒組織、その一つが『槍竜』。数多くのカジノやクスリのルート、販売地を取り締まると同時に政界にも影響を与えるほどの力を持つ組織。このビル、カジノを取り締まっているのもまた槍竜であった。

 「かしこまりました」とだけ言って去る。

 地下へと向かうエレベーターに乗ってカジノエリアへと向かう。光る電子版が『B3』になるのを心待ちにして。

 ここまでの年月、月日は長かった。それまで福成は死んでいた。もちろん肉体的なことでは無い。身分的な事であった。ひっそりと隠れ、偽りの名義で日々を過ごし、張福成という一人の男を殺して生きていた。

 チーン、と目的地に着いた事を知らす音が鳴る。エントランスとは比べものにならない程の人の熱気と騒がしさ。目に映るありとあらゆるものがピカピカと光り、スロットマシンの音や人々の声が絶え間なく飛び交う。

 足音すら掻き消される程の音。けれども、福成はそこから必要な音だけを拾い、彼の下へと近寄る。

 彼の背中が見え、あと一歩であった時であった。後ろに二人、大柄な男が福成の退路を塞いだ。

「私の後ろに立つのは誰だ――なんてな。久しぶりだな、福成。そして、よく帰ってきてくれた」

 福成の方へと振り向き、満面な笑みを向ける。彼こそが福成が探していた者であり、友である男。そして、このカジノを取り締まり、今の槍竜の事実上のトップである男、林大田りんだいでん。歳は福成よりも十、十五くらい上の四十代くらいに見える。だが、サングラスによって具体的な数は分からない。

「帰ってくるのが当たり前だ。五年間で様変わりしたな」

 辺りの様子、このカジノ全体を見渡すかのようにして言う。落ち着いた素振りでここまで来たが、その実は驚いている。ここまで騒がしく、華やかなカジノ場は前までは無かった。

 大田は手を払い、福成の後ろにいる男を下がらせる。

「再開を祝して、一杯どうだ?」

「いや、遠慮しておこう」

「いいじゃないか。何年も待ったんだ、お前が帰って来るのを」

 大げさに肩をすくめる。それを前にして悪いことをしてしまった、との念が強まり、その誘いを断る事が出来ず「一杯だけ」と言った。

「そう来なくちゃな。こっちに来い」

 歩き出す大田。その横に並ぶ福成。どこに向かっているかは分からない。けれども自分がどこに立って歩くかは分かる。彼の隣、それが自分の居場所だ。

「何処に行くのか、って顔だな。何処でも無いし、何処だっていいじゃないか」

 スタッフが持つトレーに載ったグラスを二つ取る。うちの一つを福成に差し出し、それを受け取る。

 大田の眼に映るのはこのカジノの輝き以外の何か違う輝きが映っていた。

「私の所にお前が戻って来た事が何よりなんだ。お前のおかげで私は槍竜のトップに立てた。私とお前なら最強なんだ」

 とても四十くらいの男が言う台詞とは似合わない。そんな彼を前にただ鼻で笑ってみせる。

「フッ。当たり前だ。我がいる限り、お前に害を与える者はなんであろうと排除する」

 立ち止まり、自分にと振り返る大田を見つめる。

「その眼、まだ用心棒としての頃が抜けてないな。私がトップとなった今、お前も幹部として迎え入れられる。いつまでもお前は用心棒では無いことを自覚しろ」

 身分を隠していた五年間の前、槍竜の一人として居た頃は大田とタッグ、正確には彼の用心棒として名をあげていた。大田がトップとなった今、その隣に居た福成が幹部になるのは当然の事であった。

 大田の忠告にも似たその言葉にどう応えればいいか分からず黙りこむ。眼を瞑り、精神を整えて考えを纏める。

「我はただ自分の成すことをするだけ。自分の職を全うするのが己に課せられた使命である。それを他者が口出すものではない」

「チッ、なんだよ。そういう難しい所も変わってないな。まあいいさ。今夜は楽しめ、そして酔い踊れ」

 福成の肩を叩き、気を和らげようとする。しかし彼は変わらず張り詰めた様子であり、それを見守るようにして大田はどこか、カジノ場の奥の方へと行ってしまった。

 去り行く大田。その様をただ見送るしかなかった福成。思うこと、話すことはまだあった。けれども呼び止めなかった。なぜだろうか。自問自答してもその答えが出ない。

「おい、そこの兄ちゃん。アンタだよ、アンタ」

 考え込むなか、ハッ、と現実に呼び戻される。

 辺りを見回し、声の主を探す。しかし、見当たらない。

「ここだよ、ここ」

 下の方、顔の視線より下。そこを見てみれば小汚い服を着た少年がいた。見れば年齢は十、十五くらいだろうか。

 見下ろすように、決して同じ目線にすることなく福成は告げる。

「お前、なんだ?」

「ボスから聞いてないのか? アンタの付き人を任せられた周天しゅうてん。アンタが張福成だろ」

「うむ。林大田に言われてか。ならこう伝えろ、付き人はいらない。汝も早急に去れ」

 子供であれ林大田の関係者であればそれ相応の言葉と態度で対応する。そしてそれがこれだ。自分に付き人は要らない。

 眼中にも止まらぬような態度に不服な想いがこみ上げる天。けれどもここでは言葉と情報を巧みに使い、上手く立ち回る。

「大田からアンタの泊まるホテルの鍵を預かってる。それに、ボスからの指示だよ。逆らっていいものなのかな?」

「ふむ。それもそうだ。鍵とホテルまで案内を頼む。その後は好きにしろ」

 大人しく事態を受け入れ、済ますことをさっさと済ませて後は適当にあしらえばいい。そんな考えでの発言であった。

「分かったよ。じゃあ付いて来て」

 福成は先を行く天の後ろを歩く。ここに来る時の順路を逆に巡るだけ。外に出るまではそんな具合であった。外に出てからはよく分からぬ道のりを案内されるがまま歩く。

「なあ、アンタってボスと仲いいんだよな」

「ああ。友であり、命を拾ってくれた恩人だ。汝にとっての彼はどうだ?」

「ああん? そうだな……アンタと同じく拾ってくれた恩人だ。歩く道がない俺を拾い、組織に入れてくれた」

 街の灯りに照らされ、無邪気な笑みが見える。それがどうしたという。ただの他者である者の感情に同情、感化されるほどやわになったわけじゃない。けれど福成はその笑顔がなぜだか強く脳裏に焼き付いた。まるで焼きごてでも押さえつけられたかのように。

「どうした? 気分でも悪いのか」

「いや、大丈夫だ。それより案内を頼む」

「分かってるよ。とは言っても、もう着いてるよ」

 そう言い、顎で指す。

 福成は立ち止まり、示すその方を見てみる。そこは平民やただの観光客が泊まれるようなホテルではないことは見て明らかであった。

「アンタ、余程気に入られているみたいだね。上海じゃ五本指に入る高級ホテルだよ」

「うむ、そのようだ。分かっているとは思うが、その身なりじゃ入るのは難しいぞ」

 天の身体と身に付けている服を見る福成。やはり、その姿はこの場所には不釣合いであった。

「ホテルの前に服屋だな。そして、その後は靴屋だ」

「俺に金があると思うか? いや、完全に無い訳じゃないがそんな大層あるわけじゃない。ましてや服や靴を揃える金なんて――」

「金なら我が出す。付き人の身なりを整えるのも主の仕事だ。この時間でやっている店は?」

「いくつかは知ってる」

「では汝が知っている中で一番いいと思う場所に連れて行け」

「分かったよ」とだけ告げて天は再び歩き出した。

 会話は必要な事しかしない。自分の身だとか、過去がどうだとかなんて事はお互い聞かないし、二人とも知りたいとも思わない。この世界、黒社会にて大事なのは己の腕と上下関係。二人はそれをわきまえているから詳しくは互いの事を詮索しない。詮索をするのは、まだ今ではない。

 久しぶりに帰って来た故郷の地。生まれ育った場所ではないが、この国で生まれ育った。そしてこの国で自分の武を磨いた。また、福成にとってこの上海の夜景は槍竜に入った頃を思い出させるには充分であった。あの日の夜、大田と共に誓った夢を。

 歩き続けて数十分。天は福成の顔を横目で見た。恐ろしい程に真顔でどのような感情なのか分からない。喜怒哀楽といったものが感じられない。まるで仮面を被っているかのように。

「なあ、アンタ。その、腰に下げてるのってなに?」

 天が指摘したのは福成が遊佐から貰い受けて物であった。別に隠す物でも無いため「これか?」と言ってそれを示すようにして言った。

「日本刀だ。反りは無いが、ちゃんとした日本刀だ」

「ふーん。反りが無いと刀は斬れないって聞いたけど」

「それは誤解だ。反りの無い刀を使う際は振り下ろす時に自分で反りを作る。当然だが汝のような素人では困難な事だ」

「あっそう。反りの無い刀を使うメリットってあるの? 聞いた限りだと無いようだけど」

「当然ある。まず攻撃を確実に受け止める事が出来る。反りがあれば刀や剣を受け止めた際に左右のどちらかに流れてしまう。だがそりが無ければ確実に、しっかりと受け止める事が出来る」

「他には?」と天は声に明確な好奇心とワクワクを募らせて言った。それに応えるように福成も続けて次のメリットを言う。

「突きの攻撃が容易くでき、集団戦において手早く相手を殺せる。そして――」

 一瞬だけ目を閉じ、細くに目を開ける。

「何よりも暗殺に向いている」

 その言葉だけ明確な感情があった。言葉で形容するにはし難いがナニかではあるが、何らかの強い意志が。そしてそれは天の背筋を震わせるほどに。

 天は立ち止まり、後ろにいる彼を見る。畏怖からなのか先ほどよりも大きく見えてしまう。

「どうした?」明らかな異常を見せる天を心配げに福成も立ち止まる。

「アンタ、一体何者だよ。ボスからはやたら強いとは聞いてたけど、なんなんだよ」

「張福成。主に仕える剣だ。それ以上でもそれ以下でもない。さあ、行こう」

 案内を再開しろと命ずる。今だに彼が大田の何であり、どのような者かは分からない。

「ああ、分かってる。ちょっと立ち止まってみただけさ。もう少しで着くよ」

 再び前を見て歩き出す。

 もう少し、その言葉の通り直ぐに着いた。そしてそのお店は福成も良く知る店であった。

「なるほど、來福らいふくか。良いところだ」

「知ってるのか?」

「ああ。我の知人が代々と受け継いでやってる名店だ。服、靴、杖などと紳士には欠かせぬ物がある」

「ふーん」と天は鼻で頷き、店の奥へと入っていく。それを追うように福成も店へと入る。

 店の内装は真新しく、とても古くから続く店とは思えない程に先鋭的であった。

 店の様子は前来た時、つまりは槍竜として上海で活躍していた頃と比べると随分と変わってしまった事を強く実感する。あの頃の面影はほとんどない。

「いらっしゃい。こんな夜遅くに服屋とは――福さんじゃないか。いつ帰ったの、数カ月どころじゃないよ」

 こちらが入るなり駆け寄る店主らしき男は福成を歓迎して。

さん。我が求めるは子の服と靴。何処に出しても恥ずかしくない」

「ああ、その子のね。分かった。他に注文は?」

「そうだな。だったら我の仕事服を頼む。サイズは変わってない筈だ」

「分かったよ。さあ、福さんの少年。寸法するからこっち来て」

 手招きする店主。それに招かれるようについて行き、店の奥へ奥へと行く。

 彼、店主である李国利りこくりは福成にとって遠い親戚であり、古くからの付き合いである。そのため槍竜でなくても彼は福成の生い立ち、どのような人柄か深く理解している。そしてまた、どの道に秀でている者なのかを。

 古い文化を前面的に否定している、そのような言葉をふと思い出した。時代の流れに適するための事だろう。古いものがいいとか、新しいものがいいとか、といったことは福成にはよく分からない。ただ、見慣れたものが無くなっていくのは嫌だ。今までそこにあったものが遠ざかっていくようだから。

「仕立てできたよ。中々の出来だよ、気にいってくれるといいけど」

 国利が戻って来た。その方を見てみれば、忽ちと身替りでもしたかのようにシャンとした天が立っていた。

「うむ。様になってる。李さん、貴方はいい仕事をする」

「そう言ってくれるとやりがいあるよ。福さんのは取りあえず羽織だけね。下の方は整えるのにちっと時間かかるね」

 そう、右片方の手で抱えていた羽織を渡した。

「ありがたい。やはり、我にはこれが必要だ」

「そうかい。朝までにはできるから、明日来なさい」

 にこやかな笑み、自分の仕事に自信を持ったものであった。

 二人のやり取り、そして大事そうに受け取る羽織を天は見つめた。ただの羽織、そんな風には見えなかったし、そんな単純な事でまとめる事が出来る物には思えなかったから。

「ソレ、なんなの? 仕事服の割にはやけに大事そうだけど」

「これは……代々と続く我の道を表すものなり。この地を離れ、日本へと隠遁していた時に李さんに託した」

「そう。あの時は驚いたさ。急にここを去る、って言って預かっていて欲しいだなんて言ったからさ」

 手でその羽織を示す仕草をする。具体的な事は分からぬが、よっぽどそれが大事な物である事が分かった。

「ところで、お代は如何様に?」

「ああ、いいよそんなの。福さんには何度も助けられたしさ」

「助ける事、それが我らの生きる道なり。汝もそのはず。そしてそれが義だ」

 声色は今までの中で一番真剣なものであると同時に、強く芯が通っていた。

「何も変わってなくてよかったよ」

「変わらぬよ。我は、我の道を行く」

 何とも言えぬ表情。何を想い、何を感じたのかが全く分からない。そんな横顔を天は見た。よく分からない人、それが分かった。国利と福成は知り合いであり、その二人の間には何らかの絆がある、との事もまた分かった。

 福成と天は改めて礼を述べ、店を出た。外は変わらず様々な店や建物が光り輝き、夜を照らしていた。

 あとはホテルに向かうだけ、それだけであった。だがしかし、そんな時であった。突如と国利が店から携帯を持って出て来て大声で福成を呼び止めた。

 あまりの事に驚き、その方を向く。

「なんか相手急いでるみたい。福成はいるか、って激昂だよ」

 その言葉に何となく察しがついた。急いでその携帯を取り、耳に当てる。言葉が来るまで、できれば悪いことが起きていない事を祈るしかなかった。

『福成殿ですね。大田様が――襲われました。大田様と同じ宿泊場所におられなかったので、もしかしたらと思いまして』

 電話の相手をよく知っている。昔から大田に付き従っていた彼の右腕であり、槍竜の長老者の宋海そうかいだ。

 電話の内容は天には分からぬが、福成の顔色が恐ろしくなったことでただ事でないことは理解できた。

「敵は……そうか、赤雲会せきうんかいか。今から行くよ」

 福成は携帯を切り、それを国利にと渡した。彼の眼には怒りと、澄み切った一片の迷いの無いものだった。それを横から見る天が恐怖を感じる程に。

「天。お前は先にホテルに、ボスの所に行ってろ。我はやる事が出来た」

 目に映るモノは障害物だ。今やるべきことの妨げになる。今までそこに居た人物を余所に、福成は羽織を纏って目的地へと急いだ。目的地は赤雲会の事務所だ。

 赤雲会は何年もの間に亘って槍竜といがみ合い、敵対していた。今回の事もそうだろう。そして福成もまた何度に亘って戦った。

 走り、駆ける。もっともっとと速度を上げる。早く、一秒でも時間を無駄にしたくない。あいつらに報復するのに時間が惜しい。一秒、一分、一時間でも快を与えてなるものか。今の福成にはビルや店の煌めきは眼に止まらぬ程に急いでいたのだ。

 門に着く。建物は二階建て、門の前には見張りが二人。

 見張りの者たちは目を丸くして驚く。その間に福成は刀を抜き、二人の首から肩に亘って通る腱を斬る。すれば忽ちと倒れ、それを余所に建物の奥へと入っていく。

 見張りが倒れた音に中に居た者たちが異変に気付いてか、はたまた中に入って来た男に気付いたのか、あるいは両方か。理由はともあれ、彼を前にただ見ている筈などない。

「どこの組織の者か分からんが、楯突くならただじゃ帰れんと知れ!!」

 ぞろぞろと現れた何人かの中の内の誰かがそう、福成にと言った。そしてそれに応えるかのようにまた彼もこう言った。

「知れた事か。知るのはお前らなり。今宵の我は、汝等を斬る鬼よ」

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