第2話:妖狐の名前

視点:とある教師


「に、日本政府って……そ、そんなわけ無いでしょう!?今の政府といえば、募金活動や奉仕活動、ゴミ問題や二酸化炭素の問題なども解決してきた、優秀で心優しいと話題の政府ですよ!?」

「だから言っただろ?『言っても信じない』って」


 妖狐は少し後ずさりながら不安げに言った。私と目は合っていない。


「貴方……まさか政府を悪く言って崩壊させようと目論んでいるのではないでしょうね」

「……そう思うんなら通報でもすりゃいいさ。その瞬間、この世界は終わりだけどな」

「……………………」


 私は黙るしかなかった。

 世界中の貧困ひんこんで困っている人々に、多大な額を寄付したり、、地球の文明や科学も変えようと努力して来た偉大な人達。

 ネットやニュースでも、「今の政府は正義感の塊だ」「これ以上完璧な政府は過去にあっただろうか」「心から尊敬する」といったことばかりが載っている。

 実際、私だってそう思う。


 だがこの妖狐の言っていることはどうだ。

 政府を悪だといい、その服従石を使おうとしていると言うのだ。


 絶大な信頼を誇っている世界政府と、たった今知り合ったばかりの妖狐ようこ。

 普通なら前者の味方に着くだろう。

 私だってそうする。そうしたい。

 でも、でもなんとなく。なんとなくだけど、目の前の妖狐が嘘をついているようには思えなかった。


「信じてくれねぇならそれでいいぜ。ま、たった今知り合った、しかも純種じゅんしゅなんかを信じる奴なんか居ねぇよな。いたとしたら、そりゃ変人かバカの二択だ」


 妖狐の声は酷く震えていた。

 先程、自分で噛んだ前足は痛々しく、まだ血は流れ続けている。


「でも、これは本当だ。信じなくてもいい。けど、知っていてほしいんだ」


 妖狐は少し不自然に笑った。

 私は手を震わせながら、長銃の引き金に手をかけた。

 それが見えたのか、妖狐は目を閉じた。


バン!


 体育館に大きな銃声が響いた。

 妖狐はそっと目を開いた。


「…え? 」

「失礼。後ろのピッチングマシン(野球などで使われる、投手とうしゅの変わりにたまを投げてくれる機械)が勝手に作動してしまったようで」


 私はそう言って、妖狐の斜め後ろを見ると、銃弾で撃ち抜かれた野球ボールが、妖狐に当たるギリギリの所で落ちていた。

 銃弾の威力で、野球ボールの速度は弱まったのだろう。


 私は長銃を背中にしまった。妖狐が驚いた顔をする。


「お、おい、良いのか?銃しまって」

「ええ。あなたは害を及ぼす者では無いと判断しましたので」

「政府を悪だと言った純種を?」

「ええ」

「二百年前、人類を滅ぼした気性の荒い純種を!?」

「ええ」

「襲うかもしれねぇんだぞ?今この服従石を使うかもしれねぇんだぞ!」

「なんですかもー。貴方、撃たれたくないんじゃなかったんですか?」

「いや、ホントに下ろしてくれるとは思わなくて……」


 妖狐の美しい三本の尾は、また下がりきっていた。


「では、改めてよろしくお願いします。妖狐さん。あ、お名前は?」

「さあ?」

「さあって……あなたまさか名前ない感じですか?」

「おう。だってぼく、二百年前に説話せつわから具現化したあとずーっとひとりぼっちなんだぜ?名前なんてねぇよ」


 妖狐はさも当たり前かのように言った。いやまぁ、純種にとっては当たり前なのだろうが。


「困りましたね……ずっと『妖狐さん』と呼ぶ訳にも行きませんし……」

「あ!ならお前がつけてくれよ!知ってるぞ!混種って親が名前付けてくれんだろ!」

「私親じゃないですが!?」

「ぼくを信じてくれた人なんだから、ぼくにとっちゃお前は親だ!」


 親ならお前呼びは良くない。と、ついつい叱りたくなるのは、一種の職業病だと思う。


「……まぁ、分かりましたよ。別に名前つけるのくらい減るもんじゃないですし」

「まじ!?サンキュー!!」


 妖狐の顔はパッと明るくなった。

 とはいえ、名付けとなるとやはり難しい。

 キラキラネームは論外だし、かといって普通の名前もなんだか妖狐には味気ない気がする。


「あー、じゃあ好きな食べ物とかあります? 」

「好きな食べ物……えーっと、リンゴとかかな」

「リンゴ!いいじゃないですか!よし、今日からあなたの名前は『林檎りんご』です!」

「単純すぎねぇ!?」


 私は、よく人からネーミングセンスが無いと言われるが、まさか純種にまで言われるとは。


「じゃあなんですか。『赤林檎レッドフルーツ』とかがいいんですか?」

「ぼくが悪かった。ごめんなさい」


 妖狐は真っ青になりながらそう言った。

 私は少し笑ったあと、とある事に気がついた。


「あ……苗字どうしよう」

「みょうじ……?」


 妖狐は首を傾げながらそう言った。

 苗字を知らないとは。世間知らずにもほどがあるぞ?

 そう思ったが、純種なら仕方ないかもしれない。

 そして、相手が知らないことを教えたくなるのは、きっと教師の職業病しゅくめいだろう。


「苗字とは、簡単に言うと名前の上につく名前です。例えば、田中太郎さんとかだと『田中』が苗字です」

「なるほど。でもそれいるのか?」

「ええ。とても。例えば田中太郎さんと佐藤花子さんが結婚して家族になったら、『田中』花子さんになるんです。例外もありますけど」

「へー!なるほど!この人と結婚して家族になったよって言う証みたいなものなんだな!」

「そゆことです」


 妖狐は意外と賢いようだ。いやまぁ、人語を話せている時点で相当ですがね。


「ん……?てことはぼく、誰かと結婚しなきゃなれねぇのか!?」


 妖狐は目をまん丸にして言った。単純で可愛い。


「大丈夫ですよ。適当な苗字で。戸籍は私がどうにかしますので」

「そうなのか!よかった!」


 ほっとしたのか、妖狐の美しい尻尾はピンと上がった。狐と言うよりは犬みたいだ。


「それで、苗字どうします?リンゴ関連のものがいいですかね」

「うーん、リンゴは赤いから……『あか』とかは? 」

「さすがに変じゃないですかね……」

「じゃあ何がいいってんだよ」


 妖狐は顔を膨れさせて私を見た。リンゴ関連のもので行くならば……旬の時期などだろうか?

 リンゴの旬は長かった気がするが、確か九月とかだったはずだ。

 しかし、だからといって、

九月林檎くがつりんご』とかは流石に安直すぎる。ならば……


長月ながつき……とかどうでしょう?」

長月ながつき……いいな!よし!今日からぼくは長月林檎ながつきりんごだ!」

「お気に召したようで良かったです」


 妖狐……いや、長月さんがこんなに喜んでくれるのなら、私もしかしてネーミングセンスあるんじゃ……?


「そうだ!お前の名前は何だ?聞いてなかっただろ? 」


 私が少しだけ自惚れていると、妖狐が私の名前を尋ねてきた。確かに、まだ名乗っていなかったな。


「私は『紅月小麦あかつきこむぎ』よろしくお願いします、長月さん」

「おお!よろしくな!紅月小麦さん!」


 フルネーム+さん付けで少し笑いそうになったのをこらえながら、私は手を出した。

 妖狐が不思議そうに見る。


「握手です。握手」

「あくしゅ……?」

「混種の中では挨拶として使われるんですよ。ほら、前足出して下さい」

「……?」


 妖狐は首を傾げながら、左前足を出した。

 私はその前足をそっと握った。

 途端に、ふわっとした感触が私のてのひらに伝わる。


「これがあいさつなのか?」

「ええ」

「混種の手って変な感じだ。でも面白い!」

「お気に召したなら光栄です」


 私は、笑顔ではしゃいでいる長月さんを見て、ひとつ疑問が生まれた。


「そういえば……貴方これからどうするんですか?」


 すっかり仲良くなって忘れていたが、この妖狐……じゃなかった、長月さんは、元は追われている身。このあとなんて何も考えていなかった。


「どうするって……まぁ、ぼくの話を信じてくれたいい人に出会って、しかも名前まで貰ったから、また人気ひとけのない森にでも隠れるぜ」

「そうですか……それは残念ですね……」

「またどっかで会えるさ!世界は割と狭いからな!」


 私は心がいたんだ。

本当にこのままでいいのだろうか。

 の先生として、このまま妖狐を見送って良いのだろうか。


「名前付けてくれてありがとう!今度誰かに会った時は、長月林檎だって名乗るから!」


 ダメだ。


「じゃあな!紅月小麦さん!」


 止めなければ。


「ありがとう!」


 ダメだ!


「待ってください!」

「?」


 妖狐は足を止めて振り向いた。私に信じて貰えるよう、自分で噛み砕いた右前足からは血がどくどくながれている。


「あ……え、えっと……」


私は言葉を詰まらせてしまった。


「んだよ?なんかあんのか? 」


 私がやろうとしている事は、果たして良い事なのだろうか。

 もし長月さんが純種だとばれたら、私も生徒もタダじゃすまない。

 本当に、正しいのだろうか。


「……?大丈夫か?」


 でも、それでも。


「何も無いなら行くぞ?」


 私はこの妖狐を、長月さんを見送ることなんてできない!


「じゃあな、ありがと……」

「あの!」


 私は長月さんの言葉を遮さえぎって呼び止めた。


「私の学校に……入学する気はありませんか?」

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