第2話 僕と響の出会いは斯くも衝撃的であった。

 私立三崎丘みさきおか大学附属高校には、ちょっとした事件が起きていた。

 どれもこれも部外者にはたいしたことではなかったが校内資料部を預かる僕には、まあ、それなりに困ることだった。




 僕の名前は津久見つくみ龍児りゅうじ

 この高校の三年生で校内資料部の部長をしている。そして今は夏休み中だった。

 

 

 

「侵入者の姿を捕らえた?」




 昼食の時間である。

 僕が購買部でパンを買った帰り道の廊下のことであった。

 血相を変えた松田まつだが巨体を揺すらせて走ってきたのである。

 小脇にはノートPCを抱えている。

 

 

 

 松田は二年の男子生徒で僕の引退後に校内資料部の部長になるのが内定している男だ。

 体重百キロ近い柔道家で中学時代は東京都の代表だったにも関わらず校内資料部に入部した変わり者でもある。

 

 

 趣味はPC。

 父親が大手IT企業の重役なだけあってコンピュータの知識がハード、ソフトの両面で備わっている。

 

 

 

「そうなんですよ。昨日、部長といっしょに仕掛けたカメラにばっちりと」




 松田は嬉しそうに頷いた。

 

 

 

 事の起こりは先週だった。

 校舎棟のいちばん奥、大学部との境の森の中にある三崎丘みさきおか文庫に何者かが侵入した形跡があったのだ。

 三崎丘文庫とは古い歴史を持つ三崎丘高校の資料館で江戸時代以前からのさまざまな資料が保管されている。

 

 

 

「女子でした。スリムな体型の髪の長い女の子です。たぶん……、美少女です」




「女? まさか?」




 あり得ない……。

 僕は驚きのあまりパンが入った紙袋を落としてしまった。

 それを松田が拾ってくれた。

 

 

 

「俺も驚きました。

 姿はわずかしか映っていませんが間違いなくこの高校の生徒ですよ。

 しかも……、信じられないことが起きていたんです」

 

 

 

 紙袋を僕に手渡しながら松田はにやりと笑った。

 

 

 

「見たいな。部室で見られる?」




「いや、そこで十分です」 




 僕が質問すると松田は手にしたノートPC型を見せて手近な教室を指さした。

 そこは二年生の教室だったが、夏休み中なので今は誰の姿もない。

 

 

 

 僕は手近な椅子を引き寄せてPCに向かうと松田は僕と松田しか知らないパスワードを打ち込んで離れた位置にあるサーバにアクセスした。

 すると高感度カメラからのカラー映像が画面に映し出された。

 

 

 

「今日の午前十時過ぎです」




 松田が一時間単位でまとめられた画像ファイルのひとつを選択する。

 すると……、二時間前に撮影された動画がゆっくりと再生された。

 

 

 

「確かに女だね」




 僕の言葉に松田が頷く。

 昨日、三崎丘文庫の天井にこっそりと仕掛けた隠しカメラに気づいた様子もなく、ひとりの少女が映っていた。 

 ただし画像は高い位置からの撮影なので侵入者の顔まではわからない。

 

 

 

 カメラは松田が家から持って来たものだ。

 父親の会社の試作品で、とにかく小型で見つかりにくいだけでなく、さまざまな倍率の映像を同時に記録できる優れものである。

 しかし画像は荒くブロックノイズが目立つのはまだ研究段階なので仕方ない。

 

 

 

 それでも映っているのが半袖のセーラー服の女生徒なのはわかる。

 間違いなく三崎丘高校の制服だった。

 扉を開けて文庫内の様子をうかがっているのが見える。

 

 

 

「驚いたな。

 ……じゃ、この子があの鍵を壊して侵入したってこと?」

 

 

 

「だと思います。

 方法はわかりませんがバールかなにかを使えば女の力でも可能でしょう」

 

 

 

 松田はそう言う。

 だけど前回の事件のとき鍵を調べたら硬い物を使った形跡はなかった。




 鍵は昔ながらの南京錠。

 ただしサイズは手のひらに余る特大で、とてもじゃないが簡単に開けられるものではない。

 それが力任せに破壊されていたのだ。

 

 

 

 しかも……『U』の字になった輪っかには金属などの固い物で引っ掻いた傷がひとつなかったのである。

 そのことに疑問は残るが、まずはこの映像の成り行きが大事なので僕はその点には触れないでいた。

 

 

 

「二年生?」




 僕が尋ねると松田は頷く。

 倍率を上げて拡大された映像に胸元の名札が映った。

 名札のラインが黄色なのは二年生の証明だ。

 ただし不鮮明な画像なので名前の文字まではわからない。

 

 

 

「俺と同じ学年なのは、間違いないですね。

 でも……、この角度からじゃ顔は見えないし、わかりません。

 いちおうさっき部室で『ロングヘア』『スリム』『女子』『二年生』と言うキーワードでデータベースを検索してみたんですが……。

 候補者が百人以上いるのでお手上げです」

 

 

 

 松田がそう言うのも無理はない。

 この高校は大学附属のちょっとしたマンモス校で一学年に生徒が四百人はいる。

 そしてすべての学年が十四クラスもあるのだから、僕にしても三年生になるまでいっしょに過ごしてきた同学年で名前も顔も知らない生徒たちが大勢いる訳である。

 

 

 

 ちなみにこのデータベースは僕たち校内資料部が特権を利用して勝手に作ったものであった。

 

 

 

「ちょっと待って。画像が速すぎる。

 再生速度は一倍速でいいから」

 

 

 

 画面に映る女の子が移動を開始した。

 ところが次の瞬間にはモニタから消えていたのである。

 

 

 

「部長もそう思いますよね? 

 でもこの動画が等倍、つまり一倍速だとしたら、どう思います?」 

 

 

 

「どう言うこと?」




 僕が怪訝な顔になると松田は、ほくそ笑む。

 

 

 

「あり得ない話なんです。

 俺もなんども確認しましたが、この再生速度は一倍速、つまり現実の時間の流れと同じ等倍です。

 決して早送りとかじゃないんです」

 

 

 

 松田はボタンをクリックして画像を初期位置に戻した。

 そして再びスタートボタンを押した。

 扉を開けて文庫内に侵入した女生徒が一歩足を踏み出した瞬間、その姿はかき消えた。

 先ほどと同じ映像である。

 

 

 

「試しに拡大してみましょう。

 ……部長はこれをどう説明します?」

 

 

 

 画面が後方にズームした。

 すると体育館並に広い文庫内の様子がすべて映し出された。

 女の子の姿は今はゴマ粒のように小さくなっている。

 松田がにやりと笑いながら僕の顔を見た。頷くと松田は動画をスタートさせる。

 

 

 

「……機器の故障ってことは絶対に考えられないの?」



「ええ、考えられません。

 もしカメラが壊れているのなら、そもそも動画を記録再生すること自体が不可能です」

 

 

 

 僕は唸った。

 画面の少女は入り口の扉を閉めたあと、次の瞬間には文庫のいちばん奥にあるガラスケースにまで場所を移動しているのだ。

 

 

「俺……、計算してみました。

 入り口から奥までの距離と、そこまでの到達時間から割り出すと……。

 時速七十キロくらい出しているんです」

 

 

 

 僕は松田の台詞に背筋に震えがきた。

 

 

 

「……どう言うこと?」




「……つまり、この女の子は百メートルを五秒くらいで走っているんですよ」




 僕と松田は無言のまま互いに顔を見合わせた。

 窓の外からセミの鳴き声が聞こえてくる。

 

「……わかった。

 機器の故障はないとしよう。

 そしてどうやって鍵を壊したのか、そしてこの子がどうしてができるのかも問わないとして話を進めようよ。

 そこで問題だ……。この女の子の狙いは、なに?」

 

 

 

 僕は納得できない疑問たちを先送りして一時停止された画像に目をやる。

 

 

 

「このガラスケースって、あの古いミイラだよね?」




 僕の質問に松田は頷く。

 文庫にあるガラスケースには破損がひどい小柄な子供と思える古いミイラが保管されている。

 

 

 

 干からびて縮んだそれはもう数百年も前のものだといわれている。

 伝承では天狗のミイラといわれているが、その特徴である長い鼻も背にある羽も確認できない。

 

 

 

 以前、興味を持った僕はそれを念入りに調べてみたが、風化した木片みたいで持ち上げてみるととても軽かった記憶がある。

 正直本当にそれがかつて人間の子供だったのかどうかもあやしいと思った。

 

 

 

「ええ、そうです。

 だから俺、文献を調べました。

 幸いにも卒業した先輩たちが何年にもわたって文庫内の資料をデジタル化してくれていたので助かりました。

 ……これです」

 

 

 

 松田はサーバ内のフォルダをどんどん掘り下げてやがて目当てのファイルを見つけ表示させた。

 

 

 

「昭和十七年? って言うと、えーと1942年か。って言うとこの学校の国立時代?」




「そうです。かなり昔の話ですね」




 三崎丘大学附属高校の創立は明治初期まで遡ることができる。

 開校以来私立だったこの学校には、ある一時期その経営を国に譲った時期があった。

 昭和十七年から二十年までの約三年間である。

 

 

 

 当時の陸軍からの強い要請で学校は私立から国立となり三崎丘文庫はそのとき設立されていた。

 そのとき軍部からさまざまな資料たちがこの学校に運び込まれてきた。

 そのひとつがガラスケースのミイラであった。 

 その後終戦を迎え経営が私立に戻されて今に至っている。

 

 

 

「詳しく調べてみるからそのフォルダを僕のフォルダにコピーしてくれる?」




 松田は頷いて、すぐさま作業にかかってくれた。

 

 

 

「ほかにも気にかかることが少々あるんです」




 PCの画面を見つめたまま松田が言う。

 僕のPCのフォルダに転送しているファイルはそうとう大きいようで、かなり時間がかかりそうである。

 

 

 

「誰かがサーバに不正侵入しようとした形跡があるんです。

 もちろん完全にブロックしていますけど」

 

 

 

「校内資料部のサーバ?」




「いいえ『異形いぎょうたちの森』にです。

 アクセスログを調べようとしていたみたいですね」

 

 

 

 僕は驚きの顔になる。

 価値があるとしたら間違いなく三崎丘文庫の方である。

 

 

 

『異形たちの森』とは校内資料部が非公式に運営している趣味のサイトに過ぎない。

……もっとも僕もこの松田も、それに関わりたくて校内資料部に入部した訳ではあるが……。




 □ □

 

 


 僕たちが廊下に出ると遠くから講義の声が聞こえてきた。

 高校は夏休みに入っていたが夏期登校が始まったため校内には多数の生徒が登校していた。

 

 

 

 夏の模擬試験が近いため教える教師も教わる生徒も真剣そのもので廊下にも白熱した雰囲気が伝わってくる。

 そんな中この高校の三年生で、この授業を受けていないのは将来の出世をあきらめて付属の大学に内部進学する道を選んだ僕のような根性なしだけである。

 

 

 

 僕と松田は教室の前を素通りして校内資料部の部室へと向かう最中である。 

 グランドでは真夏のぎらぎらとした太陽の下で練習しているサッカー部の連中が見えた。

 その中に見慣れた顔ぶれはいなかった。

 

 

 

 普通、夏のこの時期になると窓の外にいるサッカー部のように部活動は後輩たちに譲るのが当たり前なのだが、僕が所属する校内資料部は伝統的に卒業式まで三年生が現役で部活動を行っている。

 僕がその日も学校に来ているのはそんな理由からだった。

 

 

 

 校内資料部は正式には部活動とはいえない。

 どちらかと言うと委員会に近い。図書委員とか保健委員とかと同じだ。

 

 

 

 そしてその役目は三崎丘文庫などの学校の歴史を編纂し管理することであると言う、とても地味な年寄り臭い部活動だった。

 ……だが何物にも代え難い魅力もある。

 そのひとつがPC機器である。

 

 

 学校の歴史を保管すると言う大義名分からコンピュータは毎年のように新型が支給されるし、古文書などの古い資料をデジタル保存するため、との建前があれば高性能デジカメやスキャナ、プリンタなどの周辺機器もほぼ無条件で購入ができる。 

 しかもインターネットは、し放題だ。




 そのことから松田のようなPCオタクが毎年のように入部してくる。

 そしてもうひとつの魅力がある。

 それは校内資料部が『異形たちの森』と言うブログを運営していることだった。

 

 

 

 このブログはオカルトを話題とするサイトで、管理人は代々、校内資料部の部長が務めることになっている。

 ……つまり今は僕が管理人なのである。

 このことは公然の秘密で僕は入学早々それが目的で入部したのであった。

 

 

 

「そう言えば『異形たちの森』にエリーさんたちの書き込みがないですね。

 双主ふたぬしの里、でしたっけ?」

 

 

 

「うん。気にはなっているんだけど……」




 松田の問いに僕は頷いた。

 ブログの常連であるエリーさんとリーフさんが二人して双主の里に出かけたのが昨日。

 僕は今朝自宅で確認してみたがそれからの書き込みが一切なかったのである。

 

 

 

「せんぱーい! 津久見つくみ先輩! 松田先輩!」




 廊下の角を曲がると部の一年女子が血相を変えて走ってくるのが見えた。

 肩で大きく息をしている。

 そうとうあわてているようで、僕たちの目の前で豪快に足をすべらした。

 

 

 

「ぶ、部室に知らない人が……! 

 勝手にコンピュータを使ってるんです! 注意してもやめてくれなくて!」

 

 

 

「知らない人?」




 僕が助け起こすと後輩は立ち上がりながら頷く。

 

 

 

「俺ちょっと、やめさせてきます」




 松田が小走りに部室へと向かうのが見えた。

 

 

 

「何年生の人?」




「二年の人です。女の人です」




 僕が尋ねると後輩は髪をかき乱して説明する。

 かなり興奮しているところを見ると、そうとう強くクレームを言ったみたいだが、まったく聞き入れてくれなかった様子だった。

 

 

 

「わかった。僕も行く」




 僕が歩き出すと後輩が後ろからついて来るのがわかった。

 そして……、部室のドアに手をかけたときだった。

 

 

 

「勝手に使うな! ……あ、お前はっ!?」




 開け放されたドアの中では大声で注意する松田の巨体と、その向こうで一心不乱にPCに向かう髪の長い小柄な少女の姿が見えた。

 上履きの色を見ると確かに二年生だと言うことがわかる。

 開いた窓から強い風が吹き込んでカーテンがばたばたとたなびいていた。

 

 

 

「お前……知っているぞ。確か四組に転校してきた女子だろ!」




 松田が確信を込めた口調で言う。

 だが少女は、そんな松田の言葉には一切耳を貸さなかった。

 

 

 

「おい、いいかげんにしろ!」




 松田がそういって強引に少女の右肩に手をかけたときだった。

 松田の身体が一瞬浮いたかと思った瞬間、その巨体がすごい風圧とともにこっちに飛んできたのだ……。

 

 

 

「きゃあーーーーっ……!」




 叫んだのは後輩だった。

 後輩の一年女子はそのまま声を張り上げたまま、どこかへと走り去るのがわかった。

 

 

 

 そして僕はと言えばまったく動けなかった。

 ……空手? 合気道? さっぱりわからない……?

 だが少女が、松田になにかをしたのは事実だ。

 その証拠に少女は松田を突き飛ばすために伸ばした右腕をキーボードに戻すのが見える。

 

 

 

 後ろを振り返ると、廊下の壁に背を打ち付けたまま『く』の字の状態でうめいている松田の姿が見えた。

 柔道の猛者である松田のことだから、とっさに受け身を取ったのは間違いない。

 そしてその松田は、僕に手を振って自分が無事であることをアピールしていた。

 

 

 

「き、君はなにをしたんだ……?」




 僕は尋ねてみた。

 声は震えているし、口の中もからからに乾いているのは仕方ない。

 なにしろ百キロ近い松田の巨体を簡単にぶっ飛ばした怪人物が目の前にいるのだ。

 

 

 

「……お願いだから邪魔しないで」




 少女は前を向いたままそう答えた。

 返事があったことで僕は少しだけ冷静になる。

 どうやらいちおう人間で会話はできるようだった。

 

 

 

 ……待てよ? 僕は少女の横顔を見た。

 

 

 

 そしてあることに気がついたのだ。

 横を見ると一台のPCが起動したままになっているのに気がついた。

 全校生徒のデータベースが開きっぱなしになっている。

 

 

 

 運がいいと思った。

 おそらくさっき、松田が三崎丘文庫に侵入した少女の正体を調べようとしていた状態のままに違いない。 

 パスワードを知っているかどうかの関係で、このPCを使えるのは僕と松田だけであるからだ。

 

 

 

 そしてその証拠に『ロングヘア』『スリム』『女子』『二年生』と言うキーワードに一致した三崎丘高校の女子生徒の顔写真たちが画面いっぱいに並んでいた。




 僕は更にもうひとつのキーワードを打ち込んだ。

 すると表示される顔写真は一気に減った。

 

 

 

 そして、……見つけた。

 

 

 

「ええと……神通かみどおりひびきさんだね?」




 僕の言葉に少女は反応した。

 キーを叩くのを止めて、ハッとした表情で僕を見上げる。

 全体的に小さな造りの顔で、透き通るような大きな両目とびっくりするほどの長いまつげと少し上向きのつんとした小さい鼻が印象的だった。

 

 

 

 僕が追加で打ち込んだキーワードは『美少女』である。




 どうやら文庫の侵入者の方から出向いてくれたらしい。

 改めて見ればその姿は確かに三崎丘文庫の隠しカメラに映った少女と同一人物だった。

 

 

 

「あなたは?」




 僕は自分の名を告げた。

 目の前の響と言う少女は「……津久見つくみ龍児りゅうじ」と僕の名前を何度も小さく繰り返している。

 

 

 

 やがて僕は真横に気配を感じた。

 見ると松田が立っていた。首をさすりながらも、イテテ……、と苦笑している様子から、どうやら怪我はないようである。

 

 

 

「ごめんなさい。

 私とっても大事なことで急いでいるの。暴力を振るったことは謝るわ」

 

 

 

 松田が片手を挙げてそれに答えた。

 別に怒っているようには見えなかった。

 それを見て目の前の響と言う少女はPCの不正使用を再開した。

 

 

 

「あのさ……神通かみどおりさん?」




「……ひびきでいい」




「じゃ、じゃあ、響……。

 君はなにをしたいの? できることなら手伝うけど」

 

 

 

 僕が話しかけると響の手が一瞬だけ止まる。

 横から「ちょっとまずいですよ、部長……」と、松田が困惑して僕の肩を叩くが僕が頷くのを見て観念した様子だった。

 

 

 

「三崎丘文庫の鍵を壊して侵入したのも、『異形たちの森』の管理ページにアクセスしようとしているのも響でしょ?」




 僕の質問に響は素直に頷いた。

 その顔はどこか寂しそうに見えた。

 画面を見ると表示されているのは『異形いぎょうたちの森』で、管理画面のパスワードがわからずに適当に打ち込んでいるのがわかった。

 

 

 

「僕はこれでもいちおう部長だから、アクセスする権限はあるし」




「……部長? ってことはこのサイトの管理人? 

 あ、そっか!」

 

 

 

 響は目をまん丸にして僕を直視した。

 僕は思わずのけぞった。

 こんなかわいい女の子にまっすぐ見つめられるのには慣れていない。

 

 

 

「そっか! 龍児ってことはあなたがタツノコなのね?」




「え? あ、うん……。そうだけど」




「……そ、そっか。……そうなんだ」




 突然の問いに僕は面食らった。

 タツノコと言うのは『異形たちの森』における僕のハンドルネームである。

 それから響はしばらくの間、僕の顔を黙ったまま、じっーっと見つめている。

 

 

 

(……ど、どうしたんだ? いったい?)




 ……僕は急に居心地が悪くなり、なんだかこの場から逃げ出したくなった。

 

 

 

「書き込みの感じから、どうもタツノコがこのサイトの管理人じゃないかと思っていたのよ。

 助かった……」

 

 

 

 響は立ち上がると僕の腕を強引につかんだ。

 手加減はしてくれたのかも知れない。

 だけどその腕力はやはりそうとう強かった。そしてそのまま僕を無理矢理PCに向かわせる。

 

 

 

「アクセスログを見せて欲しいの! 早く!」




 有無をいわさない迫力だった。

 僕はそれに気圧されてパスワードを打ち込んだ。

 

 

 

「……やっぱり」




 表示されたログを見て響が呟いた。

 

 

 

「……学内からですね。

 大学部の歴史学部の研究室からのアクセスが異常に多いです」

 

 

 

 横から手を伸ばした松田がマウスを操作した。

 そしてキーボードをものすごい勢いで叩き始めた。

 まるで機関銃のようである。

 

 

 

「……研究室? 

 民族学科の神通霧島きりしま准教授? 

 同じ苗字だね? 響の親戚?」

 

 

 

 僕は表示されたアクセス元を見てそう言った。

 

 

 

「叔父よ。……二、三日前から家に帰って来ないの」




「あのさ……、どう言うこと?」




「行方不明。やっぱり双主ふたぬしの里に行ったんだと思う」




 ……なんだって? 

 僕は思わず響を見つめた。

 響は悲しげな顔になり下唇をキッとかみしめていた。

 

 

 

「先生! こっちです! 暴力女が部室を占拠してるんです!」




 そのときだった。

 小走りの足音と同時に声が聞こえてきた。

 どうやら後輩の一年女子が教師を連れてきたらしい。

 

 

 僕と松田は思わず顔を見合わせた。

 響に手伝うと約束した以上、この場を見られるのは非常にまずい。

 

 

 

「タツノコ、ありがと」




 その声が聞こえたのは部室のドアが開いて後輩と教師の顔が見えたときだった。

 振り向くと響の姿はなく、開いた窓と風に揺れるカーテンが見えた。

 僕と松田はとっさに窓に駆け寄った。

 

 

 

「……部長。ここ四階なんですけど」




 僕は松田の言葉に頷いた。

 眼下には百メートルダッシュを繰り返す陸上部の練習風景が見えるだけで響の姿はどこにもなかった。

 その後、僕と松田が暴力女の正体とその行方をすっとぼけたのは当然の行為であった。




 □ □




 その夜、僕は自宅の部屋でPCに向かいっぱなしだった。

 

 

 

「……異常なくらい転校が多いんだな。まるで旅人だ」




 思わずひとり言が出た。

 画面には神通響の顔とそのプロフィールが映っていた。

 校内資料部部長と言う特権を悪用して高校の事務室のサーバに侵入してかき集めた資料である。

 

 

 

 響は十五ヶ月あまりの高校生活だけで、すでに五回も転校を繰り返している。

 中学時代を含めると北は北海道、東北、南は九州、沖縄までほぼ全国を暮らし歩いている計算になった。

 

 

 

 今の住所もわかった。

 やはり響の言葉通りに大学部の歴史学部民族学科の神通霧島准教授の自宅と同じだった。

 

 

 

「……謎は深まるばかり、か」




 昼間、松田がコピーしてくれたファイルにも目を通した。

 三崎丘文庫に保管されている古いミイラの資料である。

 

 

 

 あのミイラは昭和十八年に旧陸軍が持ち込んだもので東北の山奥の廃村から運ばれたものだった。




 すでに褐色に変色している当時撮影された数枚の記録写真を見ても、そうとうの奥地にあったらしく、報告書にも歩兵たちが道なき道を三日間走破してやっと到達できたほどの場所だったと記載されていた。

 

 

 

 しかも……、ミイラは三崎丘文庫に来る前に陸軍の研究施設で一時期保管されていたのである。

 

 

  

 ……訳がわからない。なぜ響は鍵を壊してまでミイラを調べていたのか?

 

 

 

「……それにあの脚力と腕力」




 松田の計算が間違いないならば響は百メートルを五秒で駆け抜けたことになる。 

 あり得ない……。

 オリンピックの世界記録の約半分のタイムなんて、とてもじゃないが、それは人間業とは思えない。

 

 

 

 ……しかし、その松田の巨体を軽々と突き飛ばしたのは確かだ。

 これは僕自身の目でしっかり見ている。

 しかも……、その後、響は四階の窓から一瞬にして姿を消した。

 

 

 

「……本人に聞けば間違いないんだけどな」




 僕は改めて画面に映る斜に構えた美少女を見る。

 プロフィールには神通准教授の自宅電話番号が記載されている。

 

 

 

 だが……、出会った初日に電話をかけるほど僕は野暮じゃないつもりだ。

 僕は無言のままスマホを見つめた。

 

 

 

 そしてそれだけじゃない、響は『異形たちの森』を知っていた。

 もしかしたら書き込みなんかもしたのかも知れない……。

 

 

 

 そのときだった。

 ふいに携帯に着信があったのである。僕は思わず飛び上がった。

 

 

 

『ああ、龍児か?』




 電話をかけてきたのは悟郎ごろうさんだった。

 佐々木ささき悟郎さんは僕の母の末の弟、つまり叔父にあたる兄貴のような存在だった。

 

 

 

「え? アルバイト?」




 悟郎さんは、僕が夏休みで暇だろうからとバイトを紹介してくれるらしい。

 どうせ彼女もいないんだろう? と余計なことまで言ってくる。

 

 

 

「ええと、僕はこれでもいちおう高三の受験生なんですけど……」




『嘘つけ。お前は根性なしの内部推薦で、もう付属の大学への入学が決まってるんだろ?』




「……う。……まあ、そうなんですけど」




 見抜かれていた。

 おそらく僕の母親から吾郎さんに情報が伝わったに違いない。

 ウチの母親と吾郎さんは残念なことに今でもとても姉弟きょうだい仲がいい。

 

 

 

 僕は……、PCの画面に映る響を見ていた。

 結局、僕は承諾した。

 そして……、そのバイトで響と再会できるとはそのときの僕が知るよしもなかった。

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