第2話 災難に遭うて普通の有難き

───そんな言葉を、灰月ヒロは取り返しのつかない災難に遭ってから知った。




何て事の無い、いつも通りの休み時間。

3階へ降りる階段で、ヒロは足を踏み外した。


階段が濡れていたわけでも、足を怪我していたわけでもない。

ただ本当に、つい、踏み外してしまったのだ。


とっさに手すりに掴まろうとして、しかし階段の真ん中を降りていたため手が届かず、逆に手を伸ばした事で体勢がさらに崩れて体が反転する。

そして後頭部が、階段のちょうど角目掛けて落っこちて・・・


ヒロの人生最後の言葉。

それは戦国の武将達の辞世の句のような名言でもなければ、親への感謝や謝罪、ましてや身に降りかかった災難への恨み言ですらなく・・・



「あっ」



・・・そう。たった2文字。


「あっ」という言葉だけを残し、灰月ヒロは死んだのだ。




「だってホントに一瞬だったんだもんよ!!!」

リアルorzな恰好をして、ヒロが涙ながらに地面を殴りつけた。


「走馬灯?そんなモン無かったよ!あったとしてもきっと大した事なかったよ!ああそうさ、何のとりえもなく平平凡凡な17年間だったからな!でも人生の最後くらいもうちょっと華々しいのであってほしかった!!」


死んでも死にきれないとはまさに現状の事だ。

酷い死に方。本当に納得いかない。

誰のせいでもないから恨む事もできないし、怒りをぶつける事も情けない。


「本当に・・・嫌になるよな・・・」


そんな不満と憂鬱を抱えて成仏できないヒロは、この学校に憑いてから3年くらいになる。


生きていた頃の同級生は全員卒業した。とはいえいわゆるボッチだったヒロにとっては、クラスメイトが卒業しても特に泣いたりはしなかったが。


だって友達いないし。


クラスメイトはクラスがたまたま一緒になった同年代の人間であって、友達ではないし。

だから卒業しても悲しくなんてないし。


―――むしろ悲しくない事が悲しい。



改めて自分の死に方やら生きていた頃の学生生活やらを思い出してうなだれるヒロに亜紀が嘆息する。


「死に方を選べる人生の方が稀だと思うよ?」


それはそうだけども。


頬をちょんちょんと突いてくる亜紀の白い指を払って、ヒロは立ち上がる。

いつまでも下駄箱の前で膝をついていてもしょうがない。

歩き出したヒロの後ろをついて来ながら、亜紀は小首を傾げてヒロに尋ねた。


「それとも、ヒロはあたしみたいな死に方がよかったの?」

「うッ・・・そ、それは・・・」


以前教えてもらった亜紀の最期を思い出して、ヒロは気まずそうに目を反らした。




新里亜紀は、言葉が好きだった。

言葉は全てを形作る。目に見えないはずの言葉が、人々の意識を揺さぶり、想像力を刺激し、感情を生み、世界を創るのだ。

だから言葉を扱うアナウンサーという仕事に憧れて、小学校から高校まで、ずっと放送委員会に入った。

亜紀にとっては、委員会が部活のようなものだった。

青春の全てをぶつけて、とことん楽しみ、そして技術を吸収しようとした。

いずれ叶えてみせる、アナウンサーという夢の為に。


その日も亜紀は一人熱心に委員会の仕事をしていた。

蝉の泣き声が幾重にも響き渡り、肌を差すような太陽光がアスファルトを焼く、記録的な猛暑日。

明日から夏休みに入る為、今学期中の仕事は今日で片づけないといけない。

「ほどほどにしなよー」という苦笑交じりの先輩に笑顔で返しつつ、愛用のヘッドフォンをかけて黙々と作業に没頭する。


一度やろうと決めた事にはとことんのめり込む。

それが亜紀の美点であった。


――――だからこそ、悲劇というより他は無いだろう。


戸締り確認をしていた用務員が鍵を閉めてしまった事に気づかず、結果亜紀一人が視聴覚室に閉じ込められてしまったのだ。


西大倉高校の視聴覚室は、完全防音で窓が無い。

亜紀の両親は長期の出張中で、近所付き合いも希薄だった事も災いした。

3階の隅に位置する視聴覚室には、明確な用事が無ければ誰も前を通らない。

叫んでも、扉を叩いても、夏休み中で無人の学校には誰ひとり亜紀を助ける人間はおらず。


そして2学期になった頃―――・・・




「第一発見者は可哀想よね」

自分で言うのもなんだけど、と付け加えて、亜紀が嘆息する。

1ヶ月以上、空調設備も動かず灼熱の部屋の中で水も無いとなれば・・・

まあ、その死体は悲惨な様相になる訳で。


「あれをヒロもやりたいの?世の中にはいろんな死に方があるけど、個人的にあれは特にお勧めしないわよ」

「なんか・・・うん、ごめんな・・・」


改めて死因を聞くと、本当に同情を禁じ得ない。

本人は死んだ事に関して「もう飢えも暑さも感じないし、救われたよー」なんてあっけらかんと言っているが、その発言はよくよく考えるとかなりの闇を感じる。

生きるにせよ死ぬにせよ、理不尽というものは人間に付きまとうものだが、それにしたって亜紀の場合は虚しいと思う。


(俺と違って、やりたい事も将来の夢も、それを叶える為の努力だってしてたのに)


この話を思い出すたび、ヒロは本人である亜紀以上に悔しく感じるのだ。

それに快活な性格の亜紀は、友達にも恵まれていただろうに。


(何でこいつみたいな奴が、死ななきゃならなかったんだろう・・・)

「ハイハイ!もーこの話題はおしまい。終わった事を嘆いたってしょうがないでしょ」

「既に終わってるはずの俺達がそう言うのもどうかと思うけどな」


軽く手を叩いて、沈鬱した空気を吹き飛ばした亜紀はヒロの腕を自分のそれに絡める。


「さあて、頼まれた仕事をしなくっちゃ。ヒロはもうやりたい事やったでしょ、結局幽霊っぽく驚かせる事はできなかったけど。なら付き合ってよ」

「分かったから引っ張るなって」


腕を組まれたまま引っ張られ、辿り着いたのは放送室。

もはや亜紀の住処と言っても過言ではない場所だ。

亜紀は慣れた手つきで機材を操作し、準備を整えると、一拍置いてからマイクを握る。

夜の校舎に、亜紀の声が響き渡った。


『みなさんこんばんは。元2年3組放送委員、新里亜紀です。今日はついに最後の夜、もうじき午前2時となります。約束通り『七不思議』のみなさんは指定の場所に集合して下さい』


耳に心地良い、澄んだ声だ。

生きていたならアナウンサーの他にも、声優や歌手も目指せたのではないかと思う。

一緒にカラオケに行ったら楽しいんだろうな、とヒロは何度か考えた事があるが、しかしすぐに思い出すのだ。

生前から路傍のモブだったヒロにとって、女子とのカラオケなんて高等すぎる。

実際そうなった場合きっと何もできないだろうと。


(それにこいつ、マイク握ったら絶対離さないもんな・・・)


放送委員の血が騒ぐ、という訳のわからない理由で、一度マイクを手にするとテコでも譲らない。その力はスッポン並と言っていい。しかも歌の好みはよりにもよってシャウト系。

こんな綺麗な声をとことん低くして「ヴォオオオオオオオイ」と魂から叫ぶ様は、思わず別の意味で涙を誘う。

シャウト系が悪いわけではないけれど、もうちょっと別の歌じゃ駄目なのかよ・・・と。


そんな事を考えながら、放送を終えた亜紀と共に放送室を出た。

成仏できないまま学校に憑りつき、いつの間にか『学校の七不思議』に数えられてしまったヒロと亜紀もまた、先程行った放送通り指定の場所に向かう。


「何?」


歩きながらつい横顔を見つめてしまっていたようだ。ヒロの視線に気づいた亜紀が小首をかしげた。その動きに合わせてポニーテールが揺れる。


「いや、もったいないなって思って」


こいつの性格上、正直に言うと絶対に調子に乗るから言わないけれど、亜紀はかなり可愛い部類の女子に入ると思う。

明るくて可愛くて声も綺麗なら、将来絶対にモテだだろうなあ。

・・・隣を歩いているのが俺で悪いな、とさえ思えてしまうくらいに。


ヒロの短い言葉に込めたそんな意味を、しかし亜紀は読み取ったのか虚を突かれたように目を丸くした。それからニヤニヤとからかうように笑いだす。


「ふうん、ヒロってばもしかしてあたしに惚れちゃった?」

「はあ?そんな意味じゃねえよ、何言ってんだ。自意識過剰すぎだろ」

「ひっどーい。・・・あたしはそれでもいいのにな」

「・・・えっ?」


今度はヒロが呆然とする番だった。

言われた言葉を脳内で反芻して、ようやく意味するところを理解し、ぼんっと顔が爆発したかのように真っ赤になる。

血など通っていないはずの体が熱くなり、わたわたと慌て出した。


「なっ・・・・ななな何言って・・・マジで何言って・・!!」


動揺のし過ぎで二の次が告げず、ただあたふたするばかりのヒロを見て、亜紀は耐えきれないとばかりに吹き出した。


「そんな訳ないじゃーん。自意識過剰すぎでしょー?」


ヒロの額を軽く突いて、亜紀はしてやったり、とばかりににやりと笑った。

からかわれたという事にようやく気付き、ヒロは先ほどとは別の意味で顔を赤くする。


「やっぱり、女の子に免疫が無い男子をからかうのって楽しいわよねー」

「おっおまっ・・・!お前ッ・・・・!」

「ふふん。・・・・・ドキドキした?」


上目づかいで、挑発的な笑みを浮かべる亜紀。見上げるように覗きこまれて、ヒロはぐっと息詰まった。

冗談であると、からかっているとわかっているのに、それでもドキリとしてしまうのは悲しい男のサガなのか。

繊細な男心を弄ぶなんて・・・


「この悪魔め」

「ざーんねん。幽霊でしたー」


べ、と舌を出して先を行く亜紀。

言い返す事も出来ず、ぐぬぬと呻くヒロを見て、亜紀は嬉しそうに笑った。


だが、そんな明るい雰囲気に、ふと影が差す。


「・・・こんなやりとりができるのも、今夜で最後だね」


亜紀がぽつりとこぼした言葉に寂しさが滲む。

ヒロもまた、沈鬱な表情で秋の背中から目を反らし、窓の外を眺めた。


校庭、体育館、プール、第二校舎。

学生として過ごした日々は短かったけれど、こうして幽霊となって校舎に住み着いてからは、まさに家も同然な、大切な場所。

それも、明日には全て無くなる。

理由は単純。


この西大倉高校は取り壊される。


今日をもって、廃校になったのだから。







すっかり静かになった廊下を、二人はとぼとぼと歩く。

2人とも幽霊なので、やろうと思えば浮遊して天井を突き抜けたり壁を通り抜けたりといった事もできるのだが、そうはせずに地面を踏みしめて歩くのは、やはり生への未練に他ならない。


「私達、どうなっちゃうんだろうね・・・」


それは、答えを求めていない問いだった。

亜紀自身、尋ねたところで、誰も答えられない事は、とうにわかっているのだ。


自分達は、この学校に憑りついている地縛霊のようなものだ。

だからいくら浮遊できても、壁をすり抜けられても学校の敷地内からは出られない。

だからこそ、学校自体が取り壊された時、自分達がどうなるのかは、見当もつかない。


「ここ、取り壊された後ってどうなるんだっけ?」

「あー、確か大規模な土地開発で、マンションとか建つんじゃなかったっけ?」


商業施設と一体型の、最新高級マンション。

その敷地内に学校も入る事になったと、昼間の職員室で教師たちが離していた事を思い出す。


「全くいい迷惑よね!確かに年々生徒数は減ってたけど・・・」

「仕方ねえよ。それに遅かれ早かれ、こうなる事は避けられなかったと思うぜ。まあ、潮時かもな」


自分達は、この世に居てはいけない存在なのだ。

これが丁度良いきっかけなのかもしれない。

寂しくは、あるけれど。


「ヒロ」


わずかに開いた廊下の窓から、夜風がふわりと舞い込んだ。

震えないように、感情を押し殺せば押し殺すほど、その悲しみが伝わってしまう声。

せめてこぼさぬようにと我慢した涙が瞳を濡らして、月光に淡く輝いた。


「あたし、ヒロと出会えてよかった」


真夏の視聴覚室で、必死に助けを呼びながら息絶えた最期。

幽霊となって、苦しみからようやく解放されたと思った後も、孤独は変わらずその身を蝕んだ。

誰も自分に気づかない。必死の叫びは届かない。

自分の身に降りかかった不幸に、理不尽さに押し潰されそうになった時。


出会ったのがヒロだった。


自分と同じ、不慮の死を迎えてなおかつ幽霊になった少年。

人づきあいが苦手らしく、時々突っかかるような態度を取るけれど、言葉をかけたら返してくれるし、触れて透ける事も、振り払われる事も無い。


何より、生前の事を思い出す度に苦しむ自分の傍に寄り添ってくれた。

もう孤独ではないのだと、言葉に出さずに伝えてくれた。

だから今では笑い話のように話せる。

ヒロのぶっきらぼうな優しさに、亜紀はこれまで救われてきたのだ。


だからせめて、最後はきちんと言葉にして礼を言おうと思った。

震える声を、零れそうになる涙を必死に押し込めて。


「亜紀・・・」


つい今しがたまで自分をからかい、明るく笑っていた亜紀が、唯一人震えるか弱い女の子に見えて。

ヒロがそっと手を伸ばそうとした、その時。



「せんぱ―――――い!!!」


場の空気を変える朗らかな声で二人の間に割って入ったその人物は、窓の外から現れた。

ちなみに此処は4階である。


月光を背後に浮遊する少女は、ヒロや亜紀と同じく幽霊以外の何者でもない。

ただ少し、服装が違うだけだ。


少女はヒロ達同様学生であるが、二人のように学生服は着ていない。

代わりに着ているのは、水着。

紺色の典型的な学校指定水着・・・通称スク水を着て、少女は夜の闇に浮かんでいる。


・・・・これがありのままの光景だ。

冗談かと思われるかもしれないが、現実だ。


何もおかしな事は言っていない。


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