錬金術の森~未成年孤児エルの半生~

一仙

第一章 森の迷い子

第1話 生を求めて

 その者の人生を振り返る時に語り始めるには始まりの日が一番良い。それはこの世に生を受けた日ではなく、大きな成功を収めた日でもない。その後の人生の礎となったであろう日を語るのが相応しい。


 私がその森を訪れたのはある老人に会う為だった。その老人にかの英雄の冒険譚が誠であるのかを確認したかった。その英雄は幼くして叙勲され一代貴族となった。そして歳若くして領地を賜り、その地を後に繁栄させて名君と呼ばれた。その後、救国の英雄となり、今は書物の中の英雄として語り継がれている。

 しかし、彼が活躍したのはほんの100年ほど前の話。私ですら幼き日にその英雄の冒険譚を祖父や父から聞かされ、祖父は実際に英雄と共に酒を飲み語らった経験を持っていた。


 森の中に小さな小屋がある。ずいぶんと昔に建てられたように見えるが、手入れは行き届いておりその雰囲気は森の中に溶け込んでいるように見えた。


 薄暗い部屋の中、積み上げられた本で埋め尽くされたその空間に一人の老人が座っている。


 おや、こんな場所までよく一人で来れたものだ。最近はめっきり誰も会いに来なくなってねぇ。こんな皺くしゃの婆さんと話そうなんて物好きはいなくなってしまったよ。うん?あいつに会ったのかい?元気にしていたかい?そうだねぇ。久しぶりに思出話でも聞かせてあげよう。

 いつか誰かに聞かせてやっておくれ。約束だよ?


  ・・・・・・・・・・・・・・

 

 西ドルア大陸の中央にある幻霧(げんむ)の森。タリネキア帝国・イルメリア教国・モルド王国・ロンダリオン王国の4国に囲まれ西ドルア大陸の3割をも占める広大な森。様々な生物と植物が混在するこの土地は大陸に住むものにとっては未開の土地であり、不侵を約束された場所であった。森を奥へと進むにつれて生い茂る植物は希少性を増し、恐ろしい魔物が跋扈するようになる。

 道々の岩は苔を纏い、空気は蒸し暑さと絡み付く湿気を醸す。高く生い茂る無数の木々が陽の光を遮り太陽を忘れさせる。何処かから視られているような気配はあるが姿は見えず、己の足音だけが小さく頼りない足下で儚く鳴り続ける。


 子はただ独り、足や体やらに無数の傷と痣を作り裸足のまま森深くを構わぬと走り続ける。もうどれほど走ったか。暗い森では時の流れすら不確かになる。何度も立ち止まりそうになりながらそれでも何処へ行くと分からず走り続ける。手に巻かれた鉄製の鎖の重みがその歩みを邪魔する。それでも体の中の全てを出し尽くし、果てて倒れるまで今は走り続けるのだ。


 子は幼くしてタリネキア帝国の南西部、幻霧の森近くにある都市ジェリドに居を構える奴隷商の商品として育てられた。どこから来たかも覚えておらず、いくらで誰に売られたのかすら知らされず、ただただ暗い牢の中で数年の時を過ごしていた。最低限の読み書きを教わり、すぐにどこかの農場にでも売られるものだと思っていた。しかし、子は幼すぎた。奴隷があまりに幼ければ、買い手も奴隷がまともな働き手となるまでに世話をせねばならず、余計な手間と金がかかる。そんな事だから子にはなかなか買い手は付かず、奴隷の世話係からの扱いも年々と酷くなっていった。あまりに痩せていては見栄えが悪いと飯は食わせてもらえたが、とてもではないが人の食うようなモノではない。所謂、残飯を与えられ生きる為にそれを無理やり胃に押し込んだ。


 そんなある日、帝都アレクタリアで各地の奴隷商が集まり大きな規模の奴隷市が行われるとの事で、奴隷商その市に手持ちの奴隷たちを売りに出すべく、何台かの檻付きの馬車に押し込み乗り切らない者は鎖を付けて帝都まで歩かせた。帝都までの道のりは長く、何日とかかるか子には分からない。奴隷商は少しでも早く着きたいと危険を顧みず街道から外れた幻霧の森近くを突っ切ろうとした。そんな道中のある夜、奴隷商の一行は魔物の群れに襲われた。

 大きな物音に飛び起きた子は壊れた馬車と何人かの奴隷たちが魔物に喰われている光景が目に入るが、偉そうにいつも鞭を振るっていた世話係も卑しい笑みを浮かべ見つめてきていた奴隷商も姿が見えない。その時にふと気付いた。自分の手を繋いでいた鎖が杭から抜けているのを。鎖はまだ手に巻き付いたままだが逃げる事は出来そうだ。魔物が暴れまわっていた時に当たって杭が抜けたのか。いや、そんな事はどうでも良い。逃げねば。魔物からではない。街道か茂みの中か、どこで奴隷商たちが息を潜め、魔物が去るのを待っているか分からない。この千載一遇の機会は幼い子であっても二度と訪れぬものだと理解していた。無駄に出来ぬ。

 森の外の街道に逃げれば見つかりまた捕らえられる。ならば。迷いは無かった。


 走れ。走れ。走れ。走れ。鎖を引きずろうとも構わず、転がる石や木々の枝に体が傷付こうとも気にせず、ただ無心に森の奥を目指した。奴隷商に捕まりあの終わることない苦しみをまた感じ続けるならば、奴隷商に見つからぬ場所でいっそ魔物に喰われてしまった方が良い。

 走る。走る。走る。走りながら何度か来た方向を振り返るが魔物の気配はない。しかし、どこで見られているか、狙われているか分からない。子は恐怖を感じながらも更に森の奥へと走り続けた。しかし、無心の走りも子の体力では長くは続かず、やがて引きづるような歩みに変わりそして遂には動けなくなった。見つけた大木の陰に隠れ、背中を木に預ける。焼けるような胸の熱さと苦しさに今にも叫びそうになる。頭は割れるように痛み、足はもう感覚すらない。

 森の茂みを揺らす音がする。魔物に見つかったのか。子は自分の生の終わりを覚悟する。出来るならば痛みに苦しむ事無く、あっという間に喰われてしまいたかった。喰われる事の怖さよりも地獄の日々を抜け出せる事が嬉しかった。


 あぁ。。。終わる。。。あの苦しみが。意識を失いかけ霞む視界を覆う人影に恐怖を覚えながら、子は己の意識を手放しかけたその時。


「おい!こんなトコに子供がいるぞ!」


「何をしておる!!早く運べ!!!」


 あぁ。。。見つかってしまった。。。

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