第8話 夕食をご馳走します―酔ったふりして僕を誘っている?

翌日の日曜日の午後に沙知からメールで料理のリストが送られてきた。


和食:親子丼、焼き鳥丼、鰻重、海鮮丼、散し寿司、炊き込みご飯、生姜焼き、治部煮、豚汁、すき焼き、鰆の西京焼き、出汁巻き卵、茶わん蒸し


中華:餃子、チャーハン、酢豚、エビチリ、八宝菜、中華丼、五目焼きそば、チンジャオロースイ、マーボ豆腐、ホイコーロー


洋食:オムレツ、チキンライス、カレー、ビーフシチュウ、クリームシチュウ、ボルシチ、ポークソテイ、ハンバーグ、エビフライ、クリームコロッケ


食堂のメニューに近いが、沙知が作ってくれた親子丼も焼き鳥丼もとってもおいしかった。そこいらの食堂で食べるより遥かにおいしかった。沙知は味覚がすぐれているのかもしれない。だから、再現ができる。僕も味覚は良い方だと思っている。


中華も洋食も食べてみたいが、やはり和食がいい。数点を選んでくださいと言われていたので、全部で6点を選んだが、ほぼ和食のフルコースになった。それをメールで送った。


[どれもおいしそうで食べたいのですが、お言葉に甘えて、以下の和食6点をお願いします。鰆の西京焼き、治部煮、出汁巻き卵、茶わん蒸し、豚汁、炊き込みご飯。品数が多くなったけど、大丈夫ですか? 材料費は僕が負担します]


すぐに返信があった。


[大丈夫です。材料費も大丈夫です。多めに作って冷凍して、自分用にしますから。それと日時ですが、来週の土曜日午後5時に来ていただけますか? 住所と地図はメールでお送りします]


[ありがとう。楽しみにしています]


◆ ◆ ◆

沙知は住所と地図を次の週の木曜日にメールで送ってきた。僕は地図アプリでその場所を確認した。梶ヶ谷駅から徒歩4~5分のところにあるアパートの201号室だった。


土曜日、僕は溝の口駅で降りて、果物とケーキを買った。そして5時5分前には二階建てのプレハブアパートに着いた。ここの二階の端の201号室が彼女の部屋だ。


5時丁度にドアホンを押す。すぐに返答があってドアが開いた。花柄のブラウスに紺のスカート、白いエプロンをしている。髪は後ろに束ねていて、眼鏡をかけている。料理をするときは眼鏡の方がよいみたい。今となっては眼鏡の沙知も可愛く見える。すぐに買ってきた果物とケーキの箱を渡した。


「ありがとうございます。お気を使わせてすみません。すぐにここが分かりましたか? 先輩の部屋ほどではありませんが、お入り下さい」


玄関を入るとすぐにダイニングキッチンがあった。その横にバスルーム、反対側は寝室みたい。僕のところよりかなり狭い。ダイニングにはテーブルがあって、椅子が二脚。テーブルの上には鰆の西京焼きと出汁巻き卵のお皿が並んでいる。


「テーブルが狭いので、食べたら料理のお皿を入れ替えます。すぐに食べられるように準備してあります」


促されて僕はテーブルに着いた。


「僕と違って、やはり食器は二つずつあるんだ。さすが女子だね」


「お酒はどうしましょうか? ビールと日本酒を準備していますが」


「せっかくだから日本酒で」


「お燗しますか?」


「いや、冷でいいよ」


日本酒のボトルとガラスのお猪口を二つ持ってきて沙知が座った。そしてお酒を注いでくれる。僕も注いであげる。


「乾杯、ご馳走になります」


僕はまず出汁巻き卵を食べてみた。心配そうに沙知が見ている。味が洗練されていてとてもおいしい。居酒屋より遥かにおいしい。鰆の西京焼きを食べてみる。下味がしっかりしていておいしい。


沙知がお酒を注いでくれる。お返しに僕も注ぎ返す。お互いにお酒が進む。沙知はいつもよりお酒のペースが速い。お腹が空いていたこともあって、僕はすぐに二品を平らげてしまった。


「とってもおいしい。ご免ね、おいしいので夢中で食べてしまった」


「そう言ってもらえて作った甲斐がありました。味わって食べていただけたみたいでよかったです」


沙知は味を確認するように食べ終えてから、席を立って次の料理の盛り付けにかかっている。しばらくすると、治部煮と茶碗蒸しが出された。


「治部煮」は鴨肉や鶏肉の切身に小麦粉をまぶして、季節の野菜と一緒に出し汁で煮込んだ郷土料理だ。一度だけ料亭で食べたことがあるのでもう一度食べてみたかった。


「この治部煮、いつか料亭で食べたのと同じ味だ。おいしいね」


「亡くなった父が好きでしたので、よく作っていました。父は味にうるさくて好みの味になるまで何度も味見をしていました」


「思い出の料理をありがとう」


沙知はお酒を注いでくれるので、僕も注ぎ返す。彼女も料理の味を確かめながら飲んでいた。お酒のペースがやはり速い。


「茶わん蒸しの味はいかがですか?」


「これも出汁が効いて、優しい味だね。おいしいね。よく味わって食べさせてもらいます」


「次は締めの炊き込みご飯と豚汁になります」


「炊き込みご飯もおいしそうだね。豚汁も楽しみだ」


僕は夢中で炊き込みご飯を食べている。もう一杯食べたくなってお替りをしてしまった。豚汁も具がたくさん入っていておいしい。


食事を終えたとき、もうお腹が一杯になっていた。二合瓶の日本酒は空になっていた。二人で飲んでいたが、半分くらいは沙知も飲んでいた。日本酒は後でまわる。


「お酒をずいぶん飲んだけど大丈夫?」


「大丈夫です」


大丈夫じゃあなかった。酔いが回ってきたみたいで、後片付けに立った沙知がよろけた。すぐに気が付いて、手を伸ばして身体を支えた。沙知は僕に身体を預けてきて抱きついた。


一瞬の出来事だった。僕はどうしてよいか分からずに戸惑った。気を取り直して彼女をゆっくり椅子に座らせた。


「大丈夫かい。後片付けは僕がしよう。余っている料理は冷蔵庫に入れておくから」


沙知は「すみません」といって頷いている。こんなに急にアルコールが回るとは思わなかった。あまり、お酒を勧めるのではなかったと後悔した。


キッチンのシンクには食べ終わった食器がおいてあったのできれいに洗って、洗い籠にいれておいた。


余った料理はそれぞれお皿にとってラップして冷蔵庫にしまった。豚汁が余っていたので、冷ましてどんぶりに移して冷蔵庫にしまった。沙知が明日にでも食べるか冷凍するだろう。


キッチンが片付いて綺麗になった。二人で食べようと買ってきたケーキ、これじゃあ食べられないので、これも冷蔵庫にしまっておいた。


沙知はテーブルに顔をつけて眠っている。困った。このままにして、帰るわけにもいかない。どうしよう。


「大丈夫? こんなところで寝ていたらいけないよ。一生懸命、僕のために料理を作ってくれて疲れたんだね。それでお酒を飲んだから酔いが早くまわってしまったんだ。きっと」


「眠りたい」


これは寝かせるほかはないと思った。寝室のドアを開けるとベッドがあった。僕のより小さめのシングルベッドだった。椅子に座って屈みこんでいる沙知を抱きかかえて持ち上げた。慣れないことなので落としそうになったら、沙知が抱きついてきたので驚いた。


それが無意識にか意図的にかは、とっさのことで判断がつかなかった。寝室に入ってベッドに横たえようと降ろした時、沙知がまた抱きついてきた。


一瞬これはやはり意図的か、誘っているのかな?と思ったくらいだった。いっそこの際、この可愛い沙知を自分のものにしてしまおうという誘惑にかられたが、思いとどまった。


もし沙知が望んでいるとしても、こんな酔っている状態で自分のものにしたところで後悔するに違いない。また、沙知も酔った勢いで誘惑したことで同じことが言えると思った。


「さあ、ゆっくり眠って」


しがみついている手をゆっくりほどいて、寝かしつけて布団をかけた。沙知はなすがままになっていた。


「ごちそうになったね。ありがとう。おいしかった。おやすみ。帰るよ。明日電話するからね」


そういって、その場を離れた。玄関脇の棚の上に同じ鍵が二つ置いてあった。このまま鍵をかけないで帰ると不用心なので、その一つで鍵をかけて持ち帰った。明日、その旨を連絡して、月曜にでも返せばよいと思った。


◆ ◆ ◆

日曜日の朝9時過ぎに、僕は沙知に電話をかけた。


「おはよう、昨日はご馳走になってありがとう。酔って眠ってしまっていたけど、調子はどうですか?」


「ごめんなさい。ご招待したのに酔ってしまって、後片付けまでしていただいて。朝、目が覚めたら、ベッドで寝ていたので、驚いて跳び起きました。食事が終わってからの記憶がほとんどありません。ちょっと頭が痛いです。こういうのを二日酔いというのですか? 酔って失礼はありませんでしたか?」


抱きつかれたとは言えなかったし、言わなかった。


「いやいや、眠いと言って静かに眠っていたけど。それから鍵が二つあったので、そのうちの一つで鍵をかけて、持って帰って来た。月曜にでも返すから」


「いえ、しばらく持っていてください。先輩にまた来ていただくこともあるかもしれませんので」


「分かった」


「失礼します」


今日の沙知は少し元気がなかった。昨日酔ってしまったことを後悔しているのか、それとも誘ってみたのに僕が何もしなかったことに失望した? それに鍵を持っていてくれとはどういうことなのだろう。好意を示してくれたということだろうか。女心は測り難い。

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