No.37 Rapid Rabbit

電磁幽体

その悪魔は〈しろうさぎ〉と呼ばれていた


 少女の頭頂部からは二つの突起物が生えていた。

 変異を来たし頭蓋骨が捻じれ出て表面を筋繊維が覆っている。

 二つの天に伸びた赤黒いそれらに不格好に白髪が絡まっている様子は、見方によっては醜悪なに見えるのかもしれない。


 次いで赤い瞳。

 闇夜の中で淡く揺らめく双眼の光点は、無双の狩人を連想させた。


 少女であり、ウサギの耳に白い髪、赤い瞳を持つ。

 これが知りうる〈しろうさぎ〉についての情報だった。


 何故なら〈しろうさぎ〉は敵対する全てを尽くしており、確かな証人は一人として存在しないのだ。

 噂の伝聞という形でしか“こと”を知り得ない。


    +++++


 冬の夜の街は不思議な熱気に包まれている。

 人々の欲望が渦巻き、“ひとでなし”の悲しみが憐憫を誘う。


 駅広場で、〈首輪〉を付けた少女が歩いていた。

 黒い瞳と澄ました鼻梁、薄紅のルージュで形作られる表情は異国人的な美貌を放っていた。


 少女の着飾りは、髪をまるごと隠すような古臭い灰色のキャスケットに、毛皮で覆われた黒色のトレンチコート。

 少女の腰の細さを示すかのように、胴回りを灰色のベルトで二重に締め付けている。

 膝の半ばまで伸びるコートのその先は透き通るような白い肌を成している。

 足元には歩きにくそうな、角度の付けられた黒のハイヒールを履いている。


 肌の白さに際立つ瞳の黒と唇の赤、小さな体躯を覆う気品のある灰と黒の装いは、幼さと高貴さがアンバランスに入り交じっている。

 夜の街を歩く少女の出で立ちは、まるで幼い娼婦を想起させた。


 そしてそんな想像が間違いではないことが、少女の首元にある〈首輪〉が証明している。

 極悪なる囚人がその身分を示すような、鈍い金属光沢を放つ漆黒の枷。

 人間が身に着けるものにしては、その姿形があまりにも非人道的な〈首輪〉。

 それは最も少女に不釣合いで、あるいは異様に似合っているである。


「おい、お嬢ちゃん。まてよ」

 会社帰りだろうか、くたびれたスーツを着た壮年の男が少女の〈首輪〉を掴む。

 そして強引に自分の眼前へと少女の顔を持ってきたのだ。


 そんな行為を何も気にしてない、何も考えていないような無機質じみた少女の表情を、男は気にせず厭らしい目線で舐めるように見渡す。

 そして〈首輪〉側面に公然と記されていた個人情報を眺めて、

「一六歳、サナ。あれれ、フルネーム表記じゃねえのか。珍しいな、初めて見たよ。

 まあそんなことはどうでもいいか、聞いてくれよ、こっちはこないだ女房に逃げられてさ」

 勝手に一人語りを始め出した。


「ちょっと援助交際がバレてな、家の中が暇なんだ。そんで、おれも暇だ。

 お前もアレが要るだろう? 〈安全保障〉がな。どうだい、こんだけ可愛ければでも十分慰み物になる。

 とりあえず一ヶ月は面倒を見てやるぞ?」


 スーツの男は劣情を滾らせた顔つきを、美しいサナの相貌へと接近させる。

 サナの表情は人形のように微動だにしない。

「おい、聞こえてんのか? 喋れねえのか? ああ?」

 そこで……〈首輪〉を掴む腕に誰かがポンと手を置いた。


 サナの前を歩いていた三〇代半ばと思わしき男が、サナの顔に数一〇センチまで近づけていたスーツの男の頭部を引き剥がした。

 男はところどころ剥がれかかった茶色いレザーコートを羽織っており、安物のカーゴパンツを履いていた。


「ソレは俺のだ」

 男はポケットからとある手帳を取り出し、その一ページ目を見せる。

 そこには〈サナ〉という文字の上に〈岸谷誠司〉と記されてあった。


 岸谷は冷淡に所有権を主張する。

 未だサナの〈首輪〉から話さない男の手を、きつく握り締める。

「イテテテッ! 何しやがる!」

 男は手を振り解き怒鳴り込むが、岸谷が一瞬睨みつけると、その凄みに恐れをなしたのか「ちぇっ、先客かよ」と捨てセリフを吐いてすごすごと夜の街に消えた。


 その一部始終を見て、サナに声をかけようとした男たちも周りへと散ってゆく。

 ……サナに目をつけた男たちの行動はなんら不自然ではない。


 〈首輪〉をつけた少女が、人通りの多い場所をうろついているとなれば自分を売ろうとしているということなのだから。


     +++++


 まるで人権を無視したかのような〈首輪〉の存在は、——人の枠組みから外れた人外たる〈化物キメラ〉を象徴する証であり、キメラを管理するシステムである。

 そしてキメラに人権など在るはずも無く。

 彼らは定期的な〈安全保障〉無くしては生存できない。

 奴隷か家畜の如き境遇が彼らを待っている。


 〈安全保障〉が無くば——〈首輪〉がキメラを殺す。


     +++++


 それは三年前のある日のこと。

 日本で人間から人外の化物、通称〈キメラ〉への突然変異現象が観測され始めたのである。


 キメラの外見は人間のままだが、その内部機構はもはや別物と言って良いほど変わり果て、全てのキメラにはバケモノじみたチカラと、暴走の危険性を付与する。

 暴走したキメラは理性が崩壊し精神を狂わせ、「人をキメラに変容させるウィルス」を振りまく一次感染源となる。


 キメラが発生した当初は、生を渇望するキメラと政府命令により駆逐任務を遂行しようとする公安部隊との衝突で日本各地は紛争状態に陥り、経済が著しく衰退した。


 キメラ発生騒動から半年後にキメラ関連の法整備が為され、キメラは殲滅対象から管理対象へと扱いがシフトする。

 その理由は度重なる実験と検証の成果で、暴走の予兆だけは解析できるようになったからだ。


 この技術により、暴走さえしなければ、キメラは人間以下の扱いを承認することで辛うじて生を享受する権利を保有したこととなる。

 生きる権利を得た代わりにキメラに課せられた義務は、一切の自由が存在しない〈首輪付きペット〉の待遇を受け入れることだ。


 それが〈安全保障〉制度。


 かつてナチスドイツにおいてユダヤ人に強制した〈黄色いダビデの星ヘキサグラム〉のように、この世界では人外の存在と化したキメラに、管理と象徴としての〈首輪〉を強制する。


 キメラが生きるためには第三者の扶養者の人間が保証人として必要であり、二週間に一度保証人と共に〈管理局〉での検査を受けなければならない。


 暴走の予兆が感知されたキメラ、あるいは〈安全保障〉の最終更新から二週間以内に保証人との契約が途切れたキメラに待っているのは、〈首輪〉による殺害処理だ。


 つまりは、不幸にも人からキメラになってしまったモノは、基本的人権を喪失し、奴隷や家畜のような境遇でもって他者から〈安全保障〉を乞い授けられなければ、二週間後のその命が存在しないのである。


 老人のキメラはたいていがすぐに〈首輪〉に処理される。

 労働のできるキメラには、まだ仕事がある。


 では、労働年齢に達していないような、社会的に無力な子供のキメラはどうか?


     +++++


 寒空の夜を岸谷とサナは歩む。

 後ろにいる存在を無視しているかのように岸谷は大きな歩幅で歩み、サナはただてくてくと付いて行く。


「ここか」

 毒々しいネオン光の灯る繁華街を抜けて、切れかけた街灯が点滅する寂れた路地裏の一角で岸谷は足を止めた。

 目の前に地下への階段があり、扉に〈CLOSED〉と立てかけられたバーに続いていた。


 岸谷は階段を降り、扉にノックを二回鳴らし、数十秒経ってから今度は五回鳴らす。


「……を売りに来た」

 岸谷が新聞受けの間からそう告げると、扉が内側に開かれ、中から店主と思わしき妙齢のマダムが姿を表した。

 岸谷はすぐに〈安全保障〉に関する一切が記された手帳を手渡す。


「一応、確認させてね」

 マダムは服の上から岸谷の体を上から下に触っていき、怪しい膨らみが無いかチェックする。

 次いでサナの黒い瞳と黒い〈首輪〉を一瞥してから、軽く笑みを浮かべた。


「ついてきな」

 岸谷とサナは酒瓶がいくつも並ぶ店側のカウンターを通る。

 その奥には更に地下へと続く螺旋階段があった。

 階段を下りしばらくすると、ふと開けた空間に飛び出した。


 そこではさながらパーティでも開催されているように見えた。


 高さは三階分ほどのぶち抜きで、縦横は目算で五〇メートルほどある。

 等間隔で円形テーブルが設置されており、一目見て高級だと感じるような中華料理やフランス料理などが並んでいる。


 ドレスコードでもあるのか、正装姿の紳士淑女がワインの注がれたグラスを片手に華やかに談笑していた。

 空間内の全ての装いが高水準ななか、着飾ったサナはともかく、干からびたブラウンのレザーコートを羽織った岸谷は悪目立ちをしていた。


 だが、先客の紳士淑女はそんな岸谷を見ても笑みを崩さない。

 ある意味ではお金欲しさで、を売りに来るような男の格好は、薄汚いものこそ説得力があるのだから。


「どうも、司会者のピエロマンです、お見知り置きを」

 顔に趣味の悪い極彩色のメイクを施した青年が岸谷の手を取って恭しく礼を述べる。

 次いで岸谷の後ろに居るサナの手を取り、値踏みする。


「雪のように白く、絹のような柔肌。黒い瞳と麗しき唇、ああ、キミは久しぶりの極上品だ、喜び給え、キミの値はもしかしたら今までの中で一番高くになるかもしれない。

 ……しかしキミ、怖くはないのかね? キミの待遇はこれから、〈首輪付きペット〉以下になるのですよ?」


 サナは相変わらず無表情だ。ピエロマンは何かを察し、哀愁のような微笑みを浮かべた。


 ピエロマンはサナの手を取って広場中央の高台へと案内する。

 サナを高台の上に1つある背もたれのない丸椅子へと座らせる。

 1つ咳払いをしてから、手を大きく叩いて注目を集めた。


「レディース、アーンド、ジェントルメン……お待ちかね、オークションの時間がやってまいりました!

 今宵のは一六才、サナお嬢様です!」

 紳士淑女はテーブルに飲食物を置いて、中央高台に座るサナに拍手喝采を浴びせた。


「さて、の岸谷様から、何か一言お願いできますでしょうか」

「……腹が減った。飯を食わせろ」

 会場内は貧乏人の一言でさげずんだような笑いに包まれた。


「ユーモアのあるお言葉、ありがとうございます。さあ、岸谷様にご馳走を給いなさい。

 ないふとふぉーくの使い方は分かりますかね? 食べやすければ手づかみでもかまいませんよ」

 ピエロマンは饒舌にまくしたてて会場を沸かせ、岸谷をすぐ横のテーブルに案内した。


「さて、お話が逸れました。それではまず、お嬢様に自身の花弁をめくってもらいましょう。

 オークショナーの方々も、参考にお眺め下さい」

 そういってピエロマンはまずサナに衣服を脱ぐよう指示したが、サナは首を横に傾げただけで何のリアクションも取らなかった。


 ピエロマンは困ったような笑みを浮かべ、失礼と先に述べてからサナのトレンチコートに手をかけた。

 襟を肩から外し、なるべくサナの皮膚に触れないようにゆっくりと脱がせにかかる。


 次いであらわになった明るいブラウンセーターのボタンを、ピエロマンは前から一つずつ外していく。

 上着は黒いチューブトップだけになった。

 それは背中が大きく開いており、ボディラインに密着して小振りなサナの胸部を浮き彫りにする。


 ピエロマンは感嘆のため息を浮かべ、次いでトレンチコートに隠れていた膝丈のスカートに取り掛かる。

 なるべく少女に触れないようにホックを外し、チャックを上から下へと下ろしきる。

 ストンとスカートが落下した。

 太もも半ばまでを覆った薄い黒レギンスが現れ、黒いチューブトップと頭にすっぽりと被った灰色のキャスケットだけになった。


 そのキャスケットはこれまでの衣服と違い、干からびた年代モノの風格を放っている。

「お嬢様、帽子をお取りしてもよろしいですか?」

 ピエロマンがぼろぼろのキャスケットに手を伸ばそうとした時、サナはゆっくりと両手で自らの頭頂を押さえつけた。


 顔を上げて、どこにも焦点を合わせていなかった黒い瞳を、ピエロマンの両目に向ける。

 ここに来て初めて意思表現したサナに、ピエロマンは若干たじろいだ。


「……なるほど、そこがキミの、キメラとしてのなのかね。見せたくないのかい、これは失礼致しました。

さて、オークショナーの皆様、申し訳ありませんがこの続きは、ご購入後にお確かめ下さい」

 ピエロマンはテンションを持ち直して饒舌に語る。


「さて、お待たせしました。花の可憐さはしかと皆様の目に焼き付いたことでしょう! ここからはオークションのお時間です!

 どうぞ、!」


 恰幅のいいぴっちりとしたスーツ姿の男性が手を上げ、笑みを浮かべて一言叫んだ。


!!」


 チャイナドレスの年若い美女が叫んだ。


!!」


 髭を蓄えた老紳士が、その横にいる老婦人が、モデルのような顔つきの青年が、会場中の人々が一斉に叫びだす。


「「「「ゼロ!! ゼロ!! ゼロ!! ゼロ!! ゼロ!! ゼロ!! ゼロ!!」」」


 突然の出来事にオークションそっちのけで料理を堪能し、七面鳥にかぶりついていた岸谷は面食い辺りを見渡す。


 ピエロマンはいつになく歪んだ笑みを浮かべ、サナに恭しく述べた。


「いやはや、演劇はすぐに終わらせるつもりでした。

 サナお嬢様がなかなかどうして何のリアクションも示して頂かれないから、我々のドッキリもくどいものになってしまいました。

 服を脱がせてしまったご無礼、誠に申し訳ありません。

 このような美しいお嬢様を〈首輪付きペット〉にし、感情を閉ざさせてしまった罪深き男には天誅を下したく思います」

 次いでピエロマンは、岸谷を一瞥する。


「岸谷様、お分かりいただけましたでしょうか?

 私はと延べました。これは岸谷様、です。今日ここで、貴方はゼロになりましょう。

……私達は〈管理局〉のキメラに対する非人道的扱いに怒りを覚える者達の集合体。〈からなるレジスタンス。

 〈管理局〉への〈仇なす者アグレッサー〉でございます」


     +++++


 いつの間にか銃火器を手にしていた紳士淑女達は、あっという間に岸谷を包囲し、壁の端へと誘導する。


 彼等は衣服に隠していた〈変異部位〉を晒し出す。

 それは獣の爪を取るものがあれば、鳥のクチバシをしたものや、虫の触覚じみたものまであった。


 ピエロマンもズボンに隠していた〈変異部分〉を惜しげも無く晒した。それは、猫の尻尾に似ていた。

 ……異常発達した背骨が臀部から突き出し、形骸化した小腸が深く絡み付いている。


 〈変異部位〉とはキメラの持つ身体的特徴である。

 ウィルスによって人間以外の遺伝子情報が肉体に発現する。

 本来ならば生物の皮膚裏面に在る構造物——それは例えば臓器、白骨、筋繊維——を無理やり引き摺ずり出し捏ね繰り回したかのような露悪的な奇形のオブジェクトであり、人からキメラへの変異を示す悲劇の烙印である。


 これは罠だった。

 キメラの売買オークションに見せかけ、〈首輪付きペット〉のキメラを救済し、飼い主の人間を殺す茶番じみた見世物だ。


「最近は〈管理局〉の動きが活発であまり動けませんでしたからね。あの〈しろうさぎ〉に我らが同胞が何人も殺され、あるいは捕獲されたか……」

 〈しろうさぎ〉という名前が出た瞬間、多くの者が憎しみに顔を歪めた。


「さて、岸谷様、最後の晩餐のお味はいかがでしたか?」

 前方から銃口を向けられ壁にもたれかかった岸谷は、どこか諦めたような笑みを浮かべてつぶやく。

「……料理はうまかったぞ」


「不思議ですね。サナお嬢様のようなお方も、岸谷様のようなお方も初めてだ」

 ピエロマンは名残惜しそうに言い、ポケットから取り出したリモコンのスイッチを押す。


 すると岸谷の背後の壁が駆動音を立てながら下へと消えていった。


 岸谷は背もたれの無くなった後ろを見る。

 新たに現れた三〇メートル四方の空間には干からびた人間の白骨が無数に散乱していた。


 銃火器を構えた紳士淑女は扇状に岸谷を包囲した。

「さあ、どうぞ! 皆様方、盛大なる銃撃を!」


 ——ピエロマンが両手で指を鳴らすと同時、無数もの銃撃音が閉鎖空間をつんざいた。


 弾薬の炸裂と、銃弾を受け止めた緩衝材の剥離片により岸谷の居る空間は真っ白な煙に包まれた。

 風のない空間で白いヴェールが落ち着くまで時間がかかることだろう。


「……おい、あのキメラが居ないぞ!」

 獣の爪を蓄えた恰幅のいい男が叫ぶ。


 サナのすぐ横に居たはずのピエロマンは、その言葉で横に眼をやった。

 壇上に存在したはずのサナが霞のように消えていた。

 黒のハイヒールだけが、脱がされた衣装の上にぽつんと置かれていた。


「——手の込んだ寸劇だなあ、おい」


 消えかかった煙の中から銃刑に処されたはずの岸谷の声が聞こえた。

 薄っすらと見える人影は二つ。

 1つは成人男性の大きさで、もう一つは少女の形をしていた。


 煙が落ち着き、二つの姿形がはっきりと現れた。

 岸谷を守るかのように、サナが立ち塞がっていた。


 サナの伸ばされた右手は、何かを蓄えたかのように膨らんでいる。 


 鈍い金属光沢を放つ漆黒の〈首輪〉。

 背中が大きく開いた黒のチューブトップに、太もも半ばまである黒のレギンス。

 さっきまで被っていた灰色のキャスケットは、代わりに左手に握られていた。

 帽子の中に隠されていた髪の色は混じりけのない純白で、耳元で切り揃えられている。


 

 変異を来たし頭蓋骨が捻じれ出て表面を筋繊維が覆っており、二つの天に伸びた赤黒いそれらに不格好に白髪が絡まっている様子は、見方によっては醜悪なに見えるのかもしれない。


 サナは握りしめた右手を開放した。

 がパラパラと床にこぼれ落ちていく。


 会場内の誰かが恐怖とともに叫んだ。

「し、〈しろうさぎ〉……!」


 ピエロマンは驚愕の表情を浮かべ、それでも言葉尻は変えずに言葉を放つ。

「〈しろうさぎ〉の瞳は、赤色だったはずではないのか!?」


 岸谷は落ち着いた口調でサナに命令する。

「外してやれ」

 サナは指を自身の両眼に突っ込み、すぐに手を離す。

 黒のカラーコンタクトを床に捨てた。

 その濡れた瞳はルビーのような輝きを放ち、場所が違えば素直に見惚れていたであろう。


 ……少女であり、ウサギの耳に白い髪、赤い瞳を持つ。

 キメラの身でありながら〈管理局〉の忠実なる〈首輪付きペット〉であり、〈管理局〉の支配構造の体現者。

 の悪魔が、そこに居た。


「俺達は調べ物に来たんだよ」

 岸谷は悠長にポケットからタバコを取り出し、火を付けた。


「このキメラ売買オークションが本当にただのオークションだったら、〈管理局〉は

 〈管理局〉にそれを止める権限はない。知っての通り、キメラに人権なんてものは無く、勝手に売られようが買われようが、それは〈保証人〉の自由だからな」

 岸谷の言葉にピエロマンは歯ぎしりする。


「でもこれは、オークションなどではなく、ただの茶番だ。ここにいる全てのキメラは〈首輪〉をしていない。つまり、お前らは〈管理局〉の執行対象だ」


 チャイナドレスの美女が唐突に銃弾を放った。

 銃弾は岸谷の頭部に吸い込まれる。

 しかし銃弾と岸谷の間には、いつの間にかサナの右腕が存在していた。


 それは一瞬の出来事、に硝煙を放つ弾頭が捉えられた。

 サナが行った曲芸に誰もが息を呑む。


「〈管理局〉の方針はただ一つ。敵対するものは、使えそうなものは捕獲して、使えそうにないものは処分する。

 ……おまえらは、使えそうにない」


 サナは左手に握りしめたボロボロのキャスケットを岸谷に手渡した。

 岸谷がそれを受け取ると同時に——サナの姿が掻き消えた。


 銃火器を構え岸谷を扇状に囲んでいたキメラ達の頭部が、一斉に胴体から分断された。

 それらが宙を舞うのとほぼ同時に、壁際にサナが突如現れた。

 感情のない二つの赤の瞳で、他の生存するキメラを見る。

 再び姿が消失した。


 五〇メートル四方からなる閉鎖空間に、床や壁、天井を蹴る音が断続的に響き渡った。

 で、サナは三次元空間を縦横無尽に飛び跳ねる。


 着弾と同時に上へ飛ぶ。右下へと落ちる。左上へと跳ね、真下に落下する。

 サナが通過した空間に存在したキメラは、頭部が陥没し脳漿が飛び散り、あるいはいくつにも肉体が分離され、または心臓を抉り取られていく。


 その光景はさながらピンボールのようだった。

 箱の中を飛び跳ねる〈しろうさぎ〉は、道すがらにある生命を余すこと無く刈り取って行く。

 


 ……〈変異部位〉を顕現させたキメラは異能じみた力を保有する。

 人体機構の原形を留めないほどの延長線上にある、進化の先のその能力。正式名称を〈異常進化デフォルメ〉と呼ぶ。


 サナの〈異常進化デフォルメ〉は、自身のあらゆる身体機構を任意に加速する。

 それは音速を超える〈肉体加速〉。単純明快にして完成された力だ。


 壇上の中央に立つピエロマンはただただ呆然としていた。

 こんなことがあっていいのか。

 会場内のキメラも〈異常進化デフォルメ〉持ちだ。

 しかし、それが発動されるより前に、有無を言わさず、たったひとりの幼い少女が生命を踏み躙って行く。

 、ただそれだけの力の前に全てが敗北する。


 目で追う事すら叶わないが跳ね回る。

 倒れ伏す死骸の山だけが、サナの通り道を示していた。

 流れ出る鮮血が湖のように床を満たした。鏡合わせの水面が、惨劇を二つに映し出す。


 ——キメラの血は、赤色だ。

 何も人間と変わることはない。

 ただほんの少し、運命の歯車がずれて、人間が人間と分類されなくなっただけであり、感情も、倫理も、何一つ人間と変わることはない。 


 キメラは、単に悲劇に巻き込まれた被害者にすぎない。

 ここに居た者たちは、そんな被害者を救い、キメラの権利を主張するレジスタンスだ。

 普通に生きている人間には手出しをしないことが信条だった。

 キメラをする薄汚い人間だけを、これまで裁いてきたつもりだ。


 ピエロマンはかつて、〈首輪付きペット〉だった頃の自分を思い出す。

 この極彩色の道化師の化粧も、飼い主に強制されたものだった。


「私を笑わせろ、さもなくば私はお前を〈保証〉しない」

 その一言だけのために、誠実な医学生だったピエロマンは、おどけた言葉使いに矯正し、自らを滑稽に装った。

 このオークションに連れて来られた時も、いくつもの仕込まれた芸を披露した。


 飼い主は銃刑に処され、〈首輪〉を解かれ、誰にも所有されない一人の個人の存在だけがここに残った。

 仲間となった者たちは、仕込まれた芸でも嘲笑することなく賞賛してくれた。


 だからピエロマンは、そこで初めて、進んで個人の意思で道化師になることを決めたのに——


 ——銃弾に匹敵する速度で迫り来るサナの凶手が、ピエロマンの胸部を貫く。

 皮膚を割いた瞬間に、そこから多量の血液が噴き出し——


 ——を形成した。


 ……ピエロマンは、自身が骨髄で生成した血液であるならば、本来ならば出血箇所のみで生じるべき血液凝固反応blood clottingを、意図的に全身の血管内で、更には体外へと飛び出した血液にも作用させることが出来る。

 それは血液をあらゆる形に任意形成し硬化する〈血液操作〉の〈異常進化デフォルメ〉だ。


 サナの右腕を受け止めたピエロマンを見て、少しだけ瞬きをした。

 瞬時に後ろへと飛び去り、距離を取る。


 かつてのパーティ会場だった空間は、今では血の海に横たわる残骸で埋め尽くされていた

 生命反応は三つしか存在しない。

 岸谷、サナ、そしてピエロマンの三人だ。


「……お前は、なかなか使えるかもしれないな。〈管理局〉の〈首輪付き《ペット》〉にならないか? 

 頷くならば、今ここで殺しはしない」

 岸谷の問いに対して、ピエロマンは目を剥き憎悪に顔を歪ませながら叫んだ。

「同胞を虐殺して、何を抜け抜けと嘯くか! ふざけるなあッ!!」

 ピエロマンにとって今行うべき選択肢は復讐しか存在しない。


 右腕から伸びた赤色の盾を三つ赤色の槍に変換し、立て続けにサナへと射出した。

 サナは右へと飛んで赤の槍を避ける。

 上から楕円を描きながら赤の槍が襲い来る。

 それを避けると、今度は両脇からギロチンのような赤の刃が出現し、サナを挟み込もうとする。


 避け続けていてはキリがないと判断したサナは、両脇のギロチンに構わず、ピエロマン目掛けて前方へと疾走した。

 ギロチンの範囲外を抜け、ピエロマンへと右の凶手を放とうとする約一〇メートル手前——


 ——突如床から出現した二つの槍が、正確にサナの両足の平を貫通した。


 それは、血の海に紛れ込ませて待機させていたピエロマンの伏兵である。

 槍の先端が、サナを逃さぬよう深く反り返る。

 サナは加速の慣性運動に耐え切れず、前方に倒れこむ。

 衝撃により大音量を立てて床が砕け、サナは血の海にダイブした。


「哀れだ、その転けっぷりは実に滑稽だよ、〈しろうさぎ〉。さあ、立ち給え」


 サナの後ろから現れた新たな鮮血の二槍が、追突の衝撃で白骨と筋繊維が剥き出しになったサナの両腕を突き刺す。

 二つの槍はピエロマンの意思に応じてサナを持ち上げた。サナは両足と両腕を槍によって宙に吊り上げられる。


 その光景は聖者の磔にも似ていた。

 〈しろうさぎ〉と称された真っ白な髪の毛は、異形の両耳ごと血塗りの赤に染まっていた。


「……皮肉にもキミが作りだした血の海のおかげで、私の〈血液操作〉は水を得た魚のようだ」

 勿論ピエロマンは自身の血液しか操作出来ない。

 しかし特異な進化を遂げた骨髄は限りのない造血を可能にしており、ここにおいては瑣末な問題にすぎない。

 本質は、木を隠すなら森のなか。

 血の海に紛れるピエロマンの〈血液操作〉を見分けることは、不可能に等しかった。


「喋り給え〈しろうさぎ〉! 何故キメラの身でありながら〈管理局〉に手を貸す? 何故同族を殺す?

 何故だ! 何故だ! キミの論理をキミの言葉で私に教えろ!」

 ここに来て、置いてけぼりを食らっていた岸谷が代わりに喋った。

「そいつに対話を持ち掛けても無駄だぞ。なにせ俺も、二年半ほどの付き合いがあるがだ」


 岸谷は、持ち駒であるサナが絶対的不利な状況であるにも関わらず、何一つ焦りを見せようとしない。

 それは余裕と言うよりも、自らの生命に対して興味がないように見えた。

 そしてそれは、サナにも当てはまるように思えた。


 ピエロマンは空中に浮かぶサナを見上げる。

 四肢を鮮血の槍に貫かれても、眉一つ動かそうとしない。

 血塗られた無表情は静かにピエロマンを見下ろしている。

 何の感情の篭ってない二つの瞳は、無性に怒りを覚えた。


「そうかい、キミはあくまでも沈黙を貫くわけだね。まあいい

 ——そのまま死ね」


 ピエロマンは指揮者のように右手を持ち上げた。

 手首の動脈から裂けて飛び出した細く鋭い赤の槍は、的確にサナの心臓を抉り貫いた。

 サナの体が一瞬の痙攣を起こし、動かなくなる。


 〈しろうさぎ〉と恐れられても、この程度なのか……。

 四肢を宙に固定する四つの槍が引き戻され、サナは血の海に落下した。

 びしゃりと血が跳ねる。

 ぐったりとうつ伏せになるその姿を見て、ピエロマンは呆気なさと僅かな無常を覚えた。


「さて、岸谷様。お次は貴方が地獄へと召される番ですよ、覚悟してくださいませ」

 道化師の笑みを浮かべながら、岸谷の心臓へと右腕の照準を合わせ——


 ——ビクリと何かが動く音がした。そう、丁度ピエロマンの一〇メートル先の……


 そこでは、死んだはずのサナが何事もなく立ち上がろうとしていた。


「ッ! お前の心臓は確実に貫いたは…………は?」

 ピエロマンは驚愕した。

 立ち上がったサナの胸部、赤の槍によって心臓を抉り取られ、向こう側まで穿孔した穴の跡。

 その開いたはずの穴が、元の形を取り戻していったからだ。


 背中側の皮膚と筋肉、断絶された背骨や肋骨が——無くなったはずの心臓が、細胞が螺旋を描いて再構築される。

 それは受精卵から胎児へと存在が劇的に変遷するパラダイムシフトを連想させた。


「馬鹿な……ありえない……」


 キメラの特徴は〈変異部位〉と〈異常進化デフォルメ〉、そして身体能力と自然回復力の向上。


 確かに、キメラの傷の治りは、一般人から見れば驚愕するほど早い。

 脳や心臓という鍛えようのない人体構造の急所に大きな傷害を負わない限り、一般人から見て致命傷の重体であっても死には至らず、自然治癒のみで回復してみせるほどだ。


 しかし、目の前でサナが起こした現象はキメラの自然回復力を考慮しても理解できない。

 数十秒で欠けた肉体が再構築されるなんてことはありえないのだ。

 〈異常進化デフォルメ〉としての〈肉体復元〉は存在するが、サナは既に〈肉体加速〉を持っている。


「まさか、二つの《異常進化(デフォルメ)》持ちなのか!?」

「そんな都合のいいものはないぞ」

 岸谷は左手に灰色のキャスケットを携えながら語る。


は〈肉体加速〉しか持ってない」

「では何故だ……」

「簡単だ。〈しろうさぎ〉はを加速させている」

 ピエロマンは道化師の表情を凍らせた。


 ——〈肉体加速〉によって、キメラとしての自然回復力を数千、数万倍に加速させて、本来ならば何週間も掛かる自己修復の時間を数秒で終わらせる——


 ……それは魔法の力でも何でもなく、寿


「正気……なのか……」


 ピエロマンは生まれて初めて本当に理解できないものに直面した。

 相手が悪であれば、ピエロマンは何の滞りもなく裁けたであろう。

 だが、〈しろうさぎ〉の持つ性質は、悪でも善でもない。


 無——そこには何も無く、恐怖や憎悪を超えて全てのキメラを無に帰すという生存命題を持つ。


「クソ……、クソが! クソが! この、化け物め!」

 血の海を通じて片っ端から凶器を〈血液操作〉で形成する。

 赤の槍で全身を刺し貫き、赤のギロチンで半身を切断する。

 赤の槌を降らせて圧壊し、赤のワイヤーで細切れにする。


 その全てが即死を目的とした攻撃であり、一切の手心も加えていない。

 なのに〈しろうさぎ〉は立ち上がる。

 引き千切られた肉体が溶けて混ざり合い復元される。

 ゆらりと揺らめき立ち、ピエロマンの正面に佇む。


 サナは右の凶手を構える。初速から音速を超えて、血の海を飛び散らせながら一〇メートルの距離が一瞬のうちに肉薄する。


 ——ピエロマンはと認識していた。

 いくら目にも留まらぬ攻撃を繰りだそうとも、ピエロマンの肉体に攻撃が傷を入れた瞬間に、

 そして開幕の一撃から、サナの攻撃は赤の盾に通用しないことが分かっていた。


 サナの右手がピエロマンの胸部に突き刺さった瞬間、噴き出した鮮血が多重構造の赤の盾を形成する。

 幾重にも緻密に展開された赤の盾が、サナの拳の勢いを吸収しようとする。


 ——しかしピエロマンの思惑から外れ、サナの右手は赤の盾の一層目にめり込み、二層目、三層目と突き進んでいた。


 サナは自らの肉体を均一に加速させるのではなく、足の裏から右手の先へと変速的に加速させていた。

 全身に負荷が掛かり、

 脚部の踏み込みよりも臀部の伝達を速く、胴体の捻じれよりも腕の振り被りをより速く、まるで第一宇宙速度へと達する多段階式ロケットのように。

 

 先端の右の拳を最速とした命がけの一撃が、赤の盾の多重構造全てを貫き、ピエロマンの心臓部分へと到達した。


 ——とてつもない運動エネルギーが衝撃波となり、ピエロマンの背中から血液ごと吹き抜けた。




〈了〉

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