優しさは人の心を蝕むこともある

 早朝。

 小野川さんと駅で待ち合わせをして、学校へと向かう。

 いつもの私なら小野川さんの顔を見ればこの憂鬱な気持ちも簡単に発散できたんだけど、今日はできない。

 むしろ憂鬱な気持ちは留まることなく肥大化する。


 「おはよう」

 「うん」


 挨拶をされても素っ気ない態度をとってしまう。

 別に小野川さんのことが嫌いになったわけじゃない。なんなら好意は日に日に大きくなってる。


 「あ、あ、あ、あ、あの」


 夏祭り行けなくなった。と言わなきゃいけないのに言えない。

 言いたくない。

 小野川さんは悲しむかもしれない。幻滅されるかもしれない。この歪な関係が終わってしまう。そのトリガーになる可能性を秘めてる。だから言いたくても言えない。そう一言で言ってしまえば怖いのだ。

 言わなきゃ今日はこの関係は続く。明日も言わなきゃ明日まで続く。

 けどいつかは言わないといけない。ずっと黙り続ける。隠し続ける。それが不可能なのはわかってる。理解してる。だからこうやって苦悩して、一歩引いて、足踏みする。そしてなによりも、頑張った過去の自分を踏み躙ってしまうことが嫌だった。


 「なにかあったのかしら?」


 不思議そうに首を傾げる。


 「あの、その、ごめん」


 いつしか言わなきゃいけない。後になればなるほど、言い出し難くなるのもわかってる。

 私はいつまで臆病なままでいるのか。せめてこれくらいはハッキリと言ったらどうなんだ。小野川さんはそんなんで私のことを嫌うような人なのか。いいや、そんなことはない。

 自分で自分を奮い立たせる。


 「急に謝ってどうしたのよ」

 「その、行けなくなっちゃった。ごめん」


 足を止め、深々と頭を下げる。

 ちろりと小野川さんを見る。

 唇に手を当て、こてんと首を傾げてた。


 「とりあえず頭上げてちょうだい。目立つから」


 それはたしかにと顔を上げる。


 「それにしても唐突ね。思い当たる節が……」


 小野川さんは顎に手を当て、空を見上げる。曇天で太陽は一切見えない。私も綺麗とはお世辞にも言えないような空を見上げてみた。


 「もしかして夏祭りのことかしら?」

 「う、うん。そうです」

 「そっか」


 目線を落とし、表情に陰りを見せる。けどそれを隠すようににこりと笑う。

 その取って付けたような見え透けた作り笑いに心が痛む。

 ずきずきと激痛が走る。

 助けて欲しいと言えば助けてくれるのかな。でも、それじゃあ結局小野川さんに迷惑をかけることになってしまう。

 それは私が望むことではない。本末転倒だ。


 「しょうがないわね。用事があるとかなのでしょう? 私と出かけたくなくなったとかなら悲しいけれど、そうじゃないなら仕方ないことじゃない」

 「小野川さん」

 「それに来年行けば良いでしょう?」

 「来年も……」

 「そう。来年も」


 小野川さんは大人だ。

 自分の気持ちを押し殺して、私がもやもやしないように慮ってくれてる。

 私が小野川さんの立場だったとして同じ対応ができただろうか。多分できなかっただろうな。


 「それとも来年は私と行きたくないのかしら……」

 「そ、そんなことはないよ。行きたい来年も!」

 「ふふ、良かったわ。振られるかと思ったもの」


 安堵するように小野川さんは微笑む。その笑顔に私は救われる。


 「そうだね。来年こそは一緒に行こう」


 今の私にできることは落ち込むことではない。小野川さんが出してくれたポジティブな話に乗っかることである。


 「そうね。それはそれとして、なにか埋め合わせとか期待しても良いのかしら。私これでも結構楽しみにしていたのよ」


 にやにやしながらちらちらとこちらを見る。


 「うん、埋め合わせする。今度遊びに行こ」

 「言質取ったわよ」

 「私……」


 嘘吐かないからと言おうとして、口が止まる。後ろめたさがあった。


 「私頑張って予定立てるから」


 目を逸らしながら誤魔化す。

 胸の痛みからも目を逸らしたいんだけど、そう簡単にはいかない。だから胸の痛みとは向き合う。私への罰とでも言えば良いだろうか。もっとも小野川さんに課せられたわけではない。一人で勝手に背負い込んでるだけ。


 「楽しみにしてるわね」


 小野川さんの笑顔が私の心をさらに蝕む。じわじわと。

 でも苦しい顔はできない。辛い顔もできない。浮かべちゃいけない。せめてそのくらいは遂行しなければならない。ただえさえ弱くてワガママな人間なのだから。

 苦しさを隣に置きながら私は作り笑いを浮かべる。

 どうだろう。笑えてるかな。しっかりと、自然に、違和感なく、笑えてるかな。笑えてないだろうな。でも笑わないと。


 「任せて」


 ポンっと胸を叩く。

 明確には嘘は吐いてない。それでも悪いことをしてる自覚はあるから。

 せめて、小野川さんとの埋め合わせくらいはしっかりと予定を考えようと思う。

 この前のデート以上にワクワクして、ドキドキする。胸が躍るようなそんなデートプランを。

 小野川さんの視線に私は苦笑した。

 やっぱり上手く笑えてなかったのかもしれない。


 はぁ……。

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