帰り道にふと妙案が降ってきたりする

 予期せぬ形ではあったものの、クラス中に小野川さんと付き合ってるという事実が広まった。

 それがどんな影響を与えるのかはわからない。大した影響を与えないかもしれないし、とんでもないくらいに影響を与えることになるかもしれない。どっちに転ぶかはわからない。どっちに転んでもおかしくないと私は考えてる。


 本当に五分五分だろう。


 まぁ……だとしても小野川さんという陽キャブランドと、鴨川さんという陽キャブランドがある限り悪いように扱われることはないはず。

 だから、鴨川さんとはこれからも仲良くして用心棒的なポジションに立っていてもらいたいものだ。


 と、打算的なことを考えてみる。


 なにはともあれ、周囲の目を気にせずに小野川さんと仲良く喋れる環境ができた。

 それは素直に喜ばしいことだ。

 ポジティブに考えるならばそう捉えることができる。

 もっとも元凶を作った私が大きく手を広げてそんなこと言えないけど。


 「帰ろう?」

 「そうね」


 こんな会話ができるのも、幸せだなぁと思う。

 あの私の失態がなければ、きっと今日も教室の端っこで湿っぽく小野川さんのことを見てただけだったろうし。

 失敗したから全てが悪い方向に転がるわけじゃない。それがわかっただけでも大きな収穫だ。

 もっとも、失敗しないに越したことはないのだろうけど。本当に大事なのは失敗した後にどうするかなんだろう。


 教室を後にする。

 他の生徒に紛れるように帰宅する。

 今までは、こうやって帰るのはあまり好きじゃなかったのに、今は嫌な気持ちは一ミリたりともない。

 なんなら幸福感に包まれる。

 いままでとの違いは隣に小野川さんが居るか否か。

 たったそれだけだ。それなのにこんなにも感情は大きく変化するのだ。人間の心って不思議だ。単純なのに奥が深い。


 下校道中。

 小学生の集団と重なる。

 小学校が近くにあるから仕方のないことなのだが、騒がしいのであまり好きじゃない。

 突発的に走り出したと思えば、急に止まったりするし、前も上も見てないので突進されることもしばしば。

 私の影が薄いせいなのかもしれないけど、一々ぶつかられるのは面倒だ。

 それで転んで泣いたりすると、周囲は私が悪者であると決めつけ軽蔑の眼差しを向けられるから尚更だ。

 介抱しないと周囲には薄情者を見るような目をされる。

 勝手にあっちがぶつかってきただけなのに。被害者はむしろ私である。歩行者と自動車の関係みたいだ。全部大きい方が悪くなる。理不尽だ。


 「そろそろ夏休みだな~」

 「っしゃ、あと何回学校行けば終わりだろうな」

 「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一……わかんね」

 「だぁ、なんか長く感じるな」

 「けど終わりだよ。もう少しで夏休みだもん。夏休みはなにすんだ」

 「ウチはばあちゃんちに行くよ」

 「へぇ、良いな。お土産待ってる」

 「任せろ。そっちは?」

 「宿題終わるまで家出してくんないから、夏祭りくらいかなぁ、行けてもさ」

 「うげー、つら」

 「宿題なんてなきゃ良いのに」

 「それそれ、ほんとにそれ」

 「あ、あそこの電柱まで競争な」

 「うぃ~」


 騒がしいなと思えば、急に走り出す。

 まさに私が敵視してる小学生の集団だ。男だけの集団なのでまだマシだけど。奴らは案外ぶつかったらしっかりと謝罪してくる。転んだとしても泣くことはない。膝とか擦りむいて、こっちが心配になってもケロっとしてるから。でも好きじゃないけどね。喧しいし、行動があまりにも予測不可能だから。

 でも今回は少しくらい小学生に感謝しないといけない。

 夏祭りという概念を私に思い出させてくれたから。

 無縁すぎて忘れてた。というか、記憶から抹消してた。

 陽キャたちが騒ぎまくるイベントという認識だったから。

 その時期になると私は家でなにしてんだろうって虚無になって、虚しくなりながらも私はアイツらとは違うんだっていう謎のマウントをとって、自らのプライドを守っていた。

 でも今年は違う。私には恋人がいる。彼女がいる。陰キャだけど、陽キャ側に立つことができる。そう、夏祭りに出かける権利があるのだ。


 「あ、あの」


 小野川さんに声をかける。

 勢いで声をかけたのは良いものの、口を動かしてから、舞い降りてくるように、私なんかが小野川さんを夏祭りに誘って良いのだろうか。烏滸がましいことをしてるんじゃないかと不安が私の心を蝕む。

 世界が反転するかのように恐怖心が私の勇気を包み込む。あぁどうしよう。断られる未来しか見えない。きっと「えー、夏祭り? 平戸さんと? うーん、考えられないわ。ごめんなさいね」と苦笑されながら断られるのだ。

 そう思うと言葉が続かなくなる。断られるぐらいなら……と口を噤んでしまう。


 「うん?」


 小野川さんは不思議そうに首を傾げる。

 頬をぽんぽんと触りながら見つめた。

 妙な圧を感じる。なんで黙ってるのと、責められてるような感覚だ。

 勝手に感じてるだけなんだろうけど、そう思ってしまうとなにか言わなきゃという気持ちにさせられる。もちろん、そういう気持ちにさせられたからと言って、なにかパッと頭に浮かぶほど頭の切れる人間ではない。


 「い、い、嫌なら、そ、その、別に、断ってもらって構わないんだけど」

 「そんな大変なこと押し付けられるのね。なんでもどんとこい」


 小野川さんは楽しそうに胸をぽんっと叩く。

 くすくす笑う彼女を見てると、気持ちが少し和らぐ。


 「来週、私の地元で大きな夏祭りがあるんだ。結構有名で二キロくらい出店が並ぶようなお祭りなんだけどね。もし良かったら、一緒に行ってくれないかなぁと思って。ただそれだけ……」


 どうせあれこれ誤魔化したって、嘘を吐いてると簡単にバレてしまう。その未来が瞬時に見える。

 だから素直に吐露した。今言うか、後で言うかの違いでしかないのだろうし。


 「なんだそんなことね」


 ふーん、と腕を組む。

 ちろりと見る。

 断るのならさっさと断って欲しい。

 緊張で胸が張り裂けそうになる。


 「せっかくなら彼女と一緒に夏祭り行きたいから」


 緊張を隠すように付け加える。


 「あー、はいはい。わかったわよ」


 俯きながらぶっきらぼうにそう口にする。


 「行きましょうか、夏祭り」


 小野川さんはパッと顔を上げる。


 「そ、そうだよね。ご、ご、ごめん。私なんかが夏祭りに誘っちゃってごめん。ごめん、なさい。彼女と夏祭りデートをしたいだなんて、すっごく浮かれて、理想を描きすぎだよね。反省するか……って、え? 良いの?」


 断られることを前提にただただ謝る。断らせてしまったという手間を謝るのだ。

 しかし、小野川さんの答えは私が思っていたものとは違った。良い意味で違った。

 だから拍子抜けな変な声が出てしまう。


 「むしろなんでダメなのよ」


 腕を組んだままの彼女は少し不満そうにこちらを見つめる。

 私は押し黙ってしまう。なんでって言われると難しい。

 言語化するのがとても難しい。だから黙る。答えることができないという方が正確なのかも。

  歩行者用の信号が直前で点滅し、私たちは足を止める。


 「私って平戸さんの彼女のつもりだったのだけれど」


 小野川さんはすっと前に出てきて、こちらに体をくるっと反転させて、顔を近付けながらそう言う。

 赤色に光る歩行者信号。車はびゅんびゅん横切る。


 「もしかして私の勘違いだったのかしら」

 「いや、そんなことは」


 ぶんぶんと首を横に振る。

 小野川さんはすーっと流れるように私の隣に戻る。


 「ない?」

 「ない。そんなことはない」

 「本当に?」

 「本当に。うん、本当にそんなことはないよ」


 しっかりと明言した。

 けどこれだけじゃあなんとなく足りないような気がする。


 「小野川さんの勘違いじゃないよ。大好きだから」

 「はぁ」


 小野川さんはこめかみを抑える。


 「平戸さんって少し変わっているわよね」

 「そう、かな?」


 あまり自覚がない。そう指摘されるようなことをした覚えもなければ、口にした覚えもない。身に覚えがないのだ。

 それはそれで怖い。今回は優しい口調なので怒っていないとわかるから良いけど、いつか無意識のうちに怒らせてしまうかもしれない。その時に原因がわからない……ってのは非常に困る。


 「そうよ」


 小野川さんはそう頷くと微笑する。


 「でも、そこが平戸さんらしさだと言われてしまえば、それは確かにそうなのかもしれないわね」

 「な、なるほど?」


 顔を朱に染める。夕焼けの色よりも赤く、綺麗だ。

 目の前の赤信号よりも鮮やかに染まる。そんな横顔に見惚れる。


 「夏祭り行きましょう」

 「う、うん」


 私はこくこくと激しく頷く。

 夢に見た夏祭り。恋人と出向く夏祭り。縁もゆかりも無いイベントだと思って遠ざけていた夏祭り。

 あぁ良かった。頑張った、良くやった。今日だけはしっかりと自分のことを褒めてあげたい。


 「楽しみだね。夏祭り」

 「まだ先の話でしょう?」

 「来週だよ」

 「来週はまだ先よ」


 青信号になり先に横断歩道を渡る小野川さん。

 置いてかれないように、私は少し駆けながら後ろを追いかけたのだった。

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