一味違うミミックの舌料理 #2
大ぶりに切られたものと思われるそのタンの塊は、口に入れると濃厚な旨みを感じられた。
思っていたよりも強い風味に、マルガレータは驚いた。
(牛とも違う、けど確かに肉らしい風味……?)
シチューの濃厚な風味だけではなく、タンそのものの風味の主張。
それが確かに感じられる。
噛んでみると、軽い歯ごたえ。トロトロになったタンのその奥に芯のように主張する歯触り。
よく煮込まれているのだろう、歯を少し立ててやればコリッとした小気味よい感触とともに繊維が崩れるようにして舌に残る。
シチューに使われる牛タンといえばこの食感がたまらないものだが、ミミックの舌はまた少し違った。
牛と違う風味が面白い。だが決定的ではない。
農耕の役割を終えた牛と、ミミックではそもそもの肉質に差がある?それもそうだろう。
だが、それだけじゃない。この違いは――脂だ。
(食感だけじゃない。形が崩れた瞬間に確かに脂身が溶けたような気がしたわ)
牛タンでシチューに使われる部位――いわゆるタン先――は脂が殆ど少ない。濃厚な旨みと固い食感が個性的な部位だが、ミミックの舌は違うようだ。
その食感の上に、上質な脂が確かにノッているのだ。噛み切った瞬間にトロリとその脂が溶けていくのを確かに感じられる。
タンの旨みと風味だけでなく、極上の脂が適度な分量で溶け出していく。
今までにない味わいで、マルガレータは思わず目を瞑った。
単に柔らかく脂がのっているわけではなく、これほどまでに煮込んでも確かな食感と旨みを残す。
なるほど、これは病みつきになる美味しさだ。
タンシチューは、タンの濃厚な旨みが溶け出してこそ美味いと聞く。
だが、それだけでなくタン自体にこうも上質な脂身があるというのであれば、その相乗効果と来たら!
「最ッ高……!」
思わず唸る他にない。絶品の肉料理といえた。
「これは、今後ミミックを見る目が変わるわね……」
見る度に口の中で唾を飲み込むことになりそうだ、とマルガレータは苦笑した。
勿論、そのときは必ずこの店に食材として持ち込みたいところだ……。
「お待たせいたしました。残りのメニューをお持ちしました」
そうしてタンシチューを堪能していると、ダニエルが再び配膳にやってきた。
「ありがとう。……ハンバーグ?」
見れば盆に乗っているのは一皿。
時々食べるハンバーグのようだった。
「はい。自信作だそうで、是非食べてほしいと。先程のタンシチューは先端を主に使っていたのですが、このハンバーグではより硬いタン下を使っているそうです」
「へぇ。挽肉にすることで食べられるように?」
マルガレータの問いに、ダニエルは頷いた。
そしてどこか楽しそうに、悪戯めいた笑みを浮かべた。
「そういうことらしいですね。それだけじゃなく、例の箱部分も活かしているとか」
「え。木が入っているの?」
思わず訊ねてしまった。
ダニエルは大きく頭を振る。
「いえ。どうやらあの木材をスモークチップとして使ったそうです。それで燻したタンを使っているとか」
「あ、あー。なるほど……?」
燻したタン。流石にそれは食べたことがない。
しかもそれに使った木材はミミックのものだというのだ。
これは絶対に今までにないものだろう。
この店でセリーヌが自信作だというのだから、美味しいのは間違いないが、しかし未知の味になるはずだ。
「味見をしたお嬢様曰く、『可能ならいつでも持ち込んできて欲しい食材ね』と仰っていたのでよほどお気に召したようですよ」
「それは楽しみね……。わたしも正直、既にタンシチューだけで大分気に入っちゃったし。言われずとも持ち込むつもりだったわ」
「それほどに。……後でまかないとして味を確かめることになっているので楽しみにしておきます」
「えぇ、楽しみにしておきなさい」
弾むような声で、マルガレータはそう言った。
もしかすると、案外、ミミックが食用に乱獲される未来なんかもあるのかもしれない。
そんなことを夢想するぐらいには、マルガレータは既にその魅力にとり憑かれ始めている。
セリーヌが気に入るのも分かるというものだ。
(まぁ狙って出会える魔物ではないから、希少食材になるんでしょうけれど。……下手に上流階級に話が流れると面倒だけど、うーん)
かといって自分たちだけで独占しよう――というのも性に合わない。
何よりセリーヌは了承しないだろう。
おそらく、供給量が少ないとしても、可能な範囲で客に提供しよう……ぐらいのことは考えるはず。
(暫くは常連客限定のメニューにしてもらうとか、それとも煮込み料理でメインに使ってもらって、一人一欠けみたいにするとか? 味気ないかもしれないけど、その辺かしらねえ)
とはいえ、どれもこれもそれこそ「主人を除いて計算するべからず」。
ついつい料理のことにまで思いを馳せてしまったが、先のことに思いを馳せてしまっても仕方がない。
「ま、まずは目の前のハンバーグを堪能しましょう」
見てみれば、普段食べるハンバーグに比べるとやや小さめのサイズで、それに魅惑のドミグラスソースがかけられている。
ソースとハンバーグの香りだろう。立ち上る湯気に乗って鼻孔をくすぐる香りは、いつもよりも強いものに感じられる。
十分に濃い味わいと香りを持つタンシチューがまだ残っているというのに、それを上書きしかねないほどに強い主張。
いかなマルガレータとて、とてもではないが堪えきれるものではなかった。
魔性の魅力というか、引力というか。
そんなものを感じてしまうぐらいに、蠱惑的な香り。
「相変わらず柔らか……でもタンで一番固い部位を使っているはずなのよね……?」
挽肉のようにしているからだろうか。試しに切り分けてみればまるで抵抗のないその様子に、マルガレータは首を傾げた。
「あむ……」
口に入れると、ソースの強い主張とともに、先程食べたタンシチューのものと同じぐらい、いやそれ以上の肉の風味が広がる。
それだけではない。
コリコリとした食感と、不思議と滑らかな食感が同居している。
これは何と表現すれば良いのだろうか。
マルガレータはただその心地よい食感と旨みに口内を支配され、ただただ噛みしめる他になかった。
「うっわ……」
なにこれ。
思わずそう呟いて、口元に手を当ててしまう。
ただでさえ美味であるハンバーグが、また違う料理に昇華されている。
柔らかくジューシーな肉汁が売りだったはずだが、粗い挽肉と細かな挽肉が混ぜ込まれているのだろう、食感のハーモニーがもうズルい。
それだけではない。タンの強い味わいで、薫香が感じられないのではないかと危惧していたが、そんなことはなかった。
なんと香り高いのだろう。燻した肉特有の、しかしそれでいてくどすぎない上品な香りが鼻を抜けていくのを確かに感じるし、更にあれほど強く感じた旨みを更に超える、濃厚な肉のエッセンスが問答無用で舌に残る。
おそらくは燻したものとそのまま挽肉にしたもの両方を混ぜ合わせ、バランスを整えて作られている。
これほど濃厚なタンの味が舌に残るというのに、中に入れられている玉ねぎや……もしかして卵の風味だろうか?
とにかくそれらがうまく味を包み込むように広がり、味が喧嘩しないようにされていた。
ジュワァ、コリ、しっとり。そんな口内の感覚とともに伝わるソースの塩味と甘さ、奥深さに包まれた肉の強い旨みと香り。そして燻製肉特有の強烈な後味。
とにかくズルい――そうとしか言いようがない、絶品だった。
「新米にとっては恐るべき魔物もこうして食べれば最高の珍味か……」
思わず、マルガレータは考え込んでしまった。
他の恐るべき魔物たちも。
セリーヌにかかってしまえばそれは単なる珍しい食材になってしまうのだろうか。
そんなことを考えると世の無常というか、複雑さというか、面白みというか。
とにかくなんだかおかしな気持ちになってしまう。
誰かが恐れて、自分にとっては何でもない魔物。そのことに思うことがなかったわけではないのだが。
それ以上に、食材にまでなってしまうとは。
なんとも不思議な気持ちになる。
「全く。次も何か持ってこようかしら」
きっとまた、面白い出会いがあるに違いない。
マルガレータは確信をもって、そう言えた。
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