第五章②

「他に黒幕って……どういうこと?」

 予想していなかった言葉に、朱音はクロへと詰め寄った。

「そのままの意味だよ。朱音の友達だけが犯人じゃないと思うってこと」

「どうしてそんなことがわかるの……」

「単純に、妖力の量かな」

「妖力の量?」

 朱音はやや気まずそうな表情を浮かべた。

 何故なら朱音は妖力を全く持ち合わせていないので、この手の話になるとついていけなかったり、話の蚊帳の外になったりすることが多いからだ。

 だが、クロはそれを見越していたのか、なだめるように朱音の頭を撫でながら話し始めた。

「あの『呪い』は『狐』によるものだけど、そうなると犯人はそれに相当する妖力を持っていなければ『狐』が言う事を聞く筈もない。一部例外は除くけど」

 一部例外とは、まさにクロと朱音のような関係……つまり個人的にあやかしが相手の人間を気に入り、手助けをする、ということだ。

 しかしこの手のパターンは滅多に無いのと、実際に『狐』は容赦無く真衣に『呪い返し』を喰らわせていたため、その線は無いだろうと推測した。

「あの学園って、持ってる妖力の量でエリート科と普通科を分けてるんでしょ?」

「う、うん」

「もしも朱音の友達が『狐』を扱えるほどの妖力を持っているなら、エリート科に行ってるんじゃないの?」

「あっ……」

 言われてみればその通りだった。

『狐』を扱えるということは、例えるなら蒼亥ぐらい妖力を持っているということになる。もし真衣にそれほどの妖力があれば、今頃蒼亥と一緒にエリート科に通っていただろう。

「誰かと一緒に『呪い』を実行してる……? それとも、誰かに騙されて……? ううう、考えてもわかんないことばっか」

 そう。全ては気を失ってしまった真衣が目覚めるのを待ち、何があったのか……そして狐面の『呪い』とどう関わっているのか訊かなければわからないことばかりだ。

 苦悩する朱音に反し、クロはニコニコと笑みを浮かべながらやはりその彼女の頭を撫でている。

 と、その時。

 部屋に響く着信音。

 朱音は慌てて通話ボタンを押し、一方のクロは二人の時間を邪魔されたことに不満げだった。

「も、もしもし椿姫さん?」

 着信は椿姫からだったこともあり、余計に朱音は慌てた。

 使用人扱いは無くなったとはいえ、長年染み付いた習性である。

『単刀直入に聞くわ。蒼亥さんはどうしたの?』

「……えっ?」

 突きつけられた椿姫からの本題に、朱音は一瞬、何を言われたのかわからなかった。

「え、あの……蒼亥がどうかしたんですか?」

『それを聞きたいのはこちらの方よ! 蒼亥さんがまだ帰って来てないのよッ? 貴女が帰って来ようが来まいがどうでもいいけど蒼亥さんは別よ!』

 放課後に屋上でひと悶着があり、そしてこのクロの屋敷で目を覚ました。

 この部屋に時計は置かれていないため、朱音がクロの方を向くと、クロは指で『七』を示す。だいたい今、夜の七時ということだろう。

 基本的に蒼亥は部活に属さず、真っ直ぐ鬼ヶ華家に帰宅することが多い。もし放課後に用事があったとしてもそこまで遅くはならないし、そもそもその場合は必ず当主である椿姫に一報入れるわけである。

 連絡も無く夜の七時を回っても帰ってこない蒼亥に、椿姫は業を煮やして直々に朱音へと電話をかけたという流れだろう。

「蒼亥……まだ帰って来てないんですか……?」

『だからそう言ったでしょ! 何? 貴女も行方を知らないの?』

「は、はい……」

『あっそ。だったらこの電話も無駄ね。切るわ』

 やや言葉に被りながら、何の余韻も残さずブツリと電話は切れた。

 使用人扱いを無くしたのはあくまで忌神クロの威光があったからだ。椿姫は今も朱音を良く思っていないようだった。

 だが、今はそんなことどうでもいい。

「蒼亥……」

 呟いて浮かぶその姿は、あの屋上で、保健室に運ぶために真衣を負ぶっていた姿だ。

「まさかあの後、何かあったんじゃ……」

 クロの力で一時的に狐面の『呪い返し』を払ったとはいえ、元となる『呪い』についてはまだ解決していない。

 朱音は急いで蒼亥へと連絡してみたが、やはり応答は無かった。

「どうしよう……蒼亥……っ」

 あの時、軽率に真衣を頼んでしまったことを朱音は悔いた。

 自分自身を責めるように、朱音は自分の爪が当たっていることも気にせず強く拳を握った。

「朱音……」

 だが、その拳はそっと開かされる。

 恋人のように手を絡め、クロが、その赤い瞳を朱音へと向ける。

「朱音が弟くんのことで手をダメにするのは嫌だなぁ」

「そんなこと言ったって……」

「弟くんがそこに居るかは知らないけど、あの『呪い』が今どの辺りにあるかはわかるよ」

「えッ!」

 食いついてきた朱音に対し、クロは嬉しそうに笑う。

「連れて行ってあげようか」

「そりゃ……いやでも、次はどんな対価が必要なの……?」

「これぐらいのこと、対価なんていらないよ。オレは朱音を愛してるんだから」

「………」

 朱音は、自分に妖力が無いからこそ、対価について忘れてはいけないと、クロと出会ってから強く感じていた。

 妖力は、あやかしに何かしてもらうための対価である。つまり、人間でいうお金と同じようなものだ。

 それなのにクロは、その対価を『好意』で『無償』にしようとする。

 タダより高い物はない、ということわざがあるように……理事長先生や蒼亥が警戒をしているように、その『好意』に甘えていたら最後、いつの間にか戻れぬところまでいってしまう気がするのだ。

 それに、あやかしだとか妖力だとか抜きにしても、何でもタダでやってもらうのは朱音にとってどうにも気持ちのいいものではなかった。

 だが、今は一刻を争う時である。

「わかった。後でお礼するから、『呪い』の場所へ連れて行って!」

「え、お礼してくれるの? 何してくれるの?」

「うえっ、えーと……」

 おそらく口付けのことが頭によぎったのだろう。

 顔を赤らめながら慌てる朱音を前に、クロは笑顔を見せた。

「あはは。何してくれるのかなー?」

「う、うるさい! キスはもうしないから!」

「えぇ~。キスがお礼なら、オレなんだってしちゃうよ?」

「しない!」

「ふふふ……」

 とても楽しそうに笑いながら、クロは指先でゆっくりと朱音の頬を撫でる。

 その笑みも仕草も、あまりにも官能的でありながら、クロの瞳はただ一心に朱音だけを見つめていた。

「朱音が望めば、何だってやってあげるのに。対価なんていらないよ。ああ、いや……朱音が元気に生きててはほしいかな。それがオレの傍でだったらもっとイイけど」

「……なんだかんだ対価あるじゃん」

「あはは、そうかもね。でもほら、オレが対価を望もうと望まないと関係ないからさ」

「どういうこと?」

 クロは、笑う。

 それまで見せていた笑みとは違う、歪んだ笑みを、口元に貼り付ける。

「やろうと思えばほとんどのことをオレは叶えられるもん。朱音をこの屋敷に閉じ込めることも……そうだなぁ、催眠術で言うがままにすることもできると思うし」

 冗談めかして言っているが、それはあまりにも恐ろしい内容だ。

 朱音は文字通りクロから目が離せなかった。

 そんな朱音の緊張を感じ取ってか、クロはすぐにまとう気配を緩和させ、ゆるい空気感へと変化させた。

「でも、さっきも言ったけど、朱音に嫌われたくないからしない。嫌われてでもしちゃおうって思ったらするけど」

「やめてよ」

「はぁい。とりあえず朱音が一生懸命考えてくれるお礼を楽しみにしてるね」

 どこまでも一枚上手な気がするクロからの熱い視線を感じながら、朱音は話を戻す。

「そうと決まれば早く行こう」

「そうだねぇ」

「ちなみに何処なの? その『呪い』の気配がするところ、って」

「あの学園」

「え?」

 クロは喋りながら、ヒョイッと朱音をお姫様抱っこした。

「でも結界の中って感じだね」

「結界……?」

 あやかしは現実世界と少しズレた時空を行き来することができるらしい。

 そこを区切ったものを結界と呼び、場合によってはそこに人も入ることが可能だとか。

「なんで結界の中なの?」

「さあ?」

「っていうか、なんでお姫様抱っこしてるのッ?」

「それはオレが朱音といっぱいくっつきたいから」

「ちょっと!」

「ほら行くよ」

 恥ずかしさで暴れようとする朱音を抱き締めながら、クロは自身の影に自分たちを飲み込ませ、転移するのだった。

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