第17章 腹黒王子

第135話 腹黒王子 1

 世界が白く染まる。

 国内全てのダンジョンから、低い唸り声のような叫びが外の世界へと溢れ出す。不快感しか与えない音。風に乗って王城にまで届く。

 第二騎士団と第三騎士団は、既に王都中に散っており、城内へ避難するよう呼び掛け続けている。


 国境沿いのダンジョンの制圧に向かった第一騎士団からの通信は途絶えたまま。


 白い何かに世界がゆっくりと覆われる。


 世界の終わりとは、もっと暗くおどろおどろしいものだと思っていた。

 全て白く染まり、静かに消えて行く。

 王都が飲まれるのも時間の問題だろう。


 ジークヴァルトは、バルコニーに立つ王の傍らで、遠くの景色に目を遣る。

 城壁の向こうに見えていた美しい森は既に無い。あるのは、只々白いだけの世界。


 第二騎士団が誇る航空兵器が飛び回る空も、第三騎士団の巨大戦艦が主戦場とした海も、全てが消えた。


 仮に城に民を集めたとて、時間稼ぎに過ぎず、逃げ遂せる術など無い。

 兆候はあった。ここまで事態が悪化する前に、もっとできたことがあったはず。ジークヴァルトは己の二十四年の人生を振り返り、拳を握り締める。


 誰もが無言で、消え行く世界を見つめていた。

 そんな中、バルコニーの外から声が降って来た。

 

『許せ……』


 声は、空中から聞こえた。

 ジークヴァルトは思わず、まだ僅かに青い王城の上空を見上げる。

 ゆっくりと空から【浮遊】で降りて来たのは、剣を背負った少年。

 自分や王と似た面差し。二千年前に描かれたとされる肖像画に酷似していた。


「精霊様……?」


 実在したことにジークヴァルトは驚く。

 一方で王は迷わず膝をつき、両手を合わせた。すぐにジークヴァルトも我に返り、王に倣う。


 少年は中空から王を見下ろし、静かに告げた。


『汝らは迷宮と共に、界を渡れ』


     ◇


「……王太子? 眠っているのかしら?」


 遠い昔の記憶に思いを馳せていたジークヴァルトが目を開くと、顔を覗き込むように腰を屈めた、意味不明な服装の男が目の前にいた。


「スケルトンは眠らぬ」

「あら? 目瞑って返事もしないから、寝てるかと思ったわ」


 この服飾デザイナーは異国の出身の為か、生前から王族に対しあまり敬意を払わない。


「何用か、ダグラス」


 片手で追い払うような仕草をすると、和服のような衣装のダグラスは一步だけ下がる。


 謁見の間で、まるで王のように玉座で足を組んでいたジークヴァルトは、更に下がるよう、ダグラスに手を振る。


 実質、普段は仕事などないジークヴァルトは、それでも居場所だけは他のスケルトン達にわかるよう、こうして座りたくもない玉座に腰を下ろして日々を過ごす。

 以前、本に夢中になってしまい、王城内の王立資料館に三十六時間居続けたところ、城勤めのスケルトン達が「殿下がおりません!」と、事もあろうに主に助けを求めてしまった。


 国も界も存在しない今、自分はただの偉そうなスケルトンに過ぎないが、民は未だに自分を特別扱いする。

 姿が見えなければまた心配をかける。ジークヴァルトはそれ以来、出来うる限り目立つ場所にいるよう心掛けている。


 居ても居なくとも、特に日々の生活に問題は生じないが、視界に入る位置に存在し続けることに意義があるのだろうと、ジークヴァルトは諦めている。


 だが実際、平常時において、ジークヴァルトには本当に役割が無い。

 基本的に侍従くらいしかジークヴァルトに話しかけては来ない。稀に退役軍人のオリヴァーが、趣味で開いている茶会に誘いに来るくらい。


 そんな自分の前に、わざわざやって来たということは、何か用があるのだろうが。

 外の世界で、ジークヴァルトが必要となるような非常事態は起こっていないはず。

 眷属となったことで、外の世界で主が見聞きしたことは全て知覚出来ている。いつも通りの平穏で馬鹿馬鹿しい日常が繰り返されているだけ。


 訝しむように見つめるジークヴァルトに、ダグラスは両手を胸の前で合わせて小首を傾げて来た。


「王太子、たまには外に運動に行きましょ。アタシ達のレベル上げに付き合ってほしいのよ」

「……私がいては訓練にならぬであろう」


 ジークヴァルトが持つスキル【統率】は特殊だ。

 同じ戦場に、ただ存在するだけで仲間の基礎能力を底上げする。

 王族は幼少期からダンジョンに入り、このスキルを鍛える。

 世界が終わる直前、ジークヴァルトのスキルレベルは五千を超えていた。


 界を渡り命を落とし、生きた人間と契約することで眷属となった時点で基礎レベルは1に戻ったが、各々のスキルレベルは生前のままだった。

 現在、【統率】のスキルレベルは少しだけ上がり、8,006。


 他のスケルトンとダンジョンに入れば簡単にモンスターは屠れるだろうが、簡単過ぎて訓練にならない。


「レベルが上がれば良いのよ、さあ行きましょ」


 ダグラスは戦闘職ではない。【居室】内で技術を磨くことを優先する生産系の職業だ。

 それがなぜダンジョンに行きたがるのか。


 強引に腕を引かれ、ジークヴァルトは眉を寄せる。王族にここまで遠慮がない男は、ダグラスくらいのものだ。


 現在、【統率】を持つ者は自分しかいない。

 王は精霊と共に最後まで戦う道を選び、弟達は第一騎士団の戦車に乗り込み討って出たまま戻らなかった。

 キャタピラーの音が好きだと豪快に笑っていたすぐ下の弟が、実は自分よりも【統率】のスキルレベルは高かったのだが。


 他の誰かに代わりを頼むこともできない。自分が必要とあらば仕方がない。

 だが。


「何故レベルを上げたがる?」

ぎん様の衣装を作るのよ!」


 以前から頻繁に作っているではないか。


 ジークヴァルトは剣を持ち、額に掛かる金色の前髪を掻き上げる。前髪の大部分は後ろに流しているが、短めの幾筋かが常に目元に掛かっている。

 残念ながら、これは生前の姿を模した幻。真実のジークヴァルトは骨のみの存在。いくら煩わしく感じようと、前髪がこれ以上伸びることはない。


「信じられないわよ! アタシの作った服が破れるのよ!?」

「ほう……腕が鈍ったか、ダグラス」


 揶揄からかうように笑うジークヴァルトに、ダグラスは人差し指を突きつけて来る。王族を何だと思っているのだろう。


「むしろ腕は上がってるわ! アタシの【裁縫】と【付与魔法】のスキルレベルは五万超えよ!」


 主達全員の戦闘服を一手に引き受けるダグラスは、スキルの使用頻度が他の誰よりも高い。スキルレベルも上がるだろう。


「この前なんて、左袖が肩から綺麗に消えてたのよ! その前は、背中とお腹に大穴よ!?」


 その場合、服の中の本体も無事では済まないはずだが。


「銀様からは、もっと丈夫な服が欲しいって言われるし! 騎士様達も軍服が細切れになったって言うし! 細切れって何なのよ!? 骨が木っ端微塵ってことかしら!? なんであの騎士様達、消滅もせずに普通に存在してるのよ!?」


 珍しく興奮気味に早口で訴えられ、ジークヴァルトは言葉に詰まる。

 本当に、王族を何だと思っているのだろうか。


 そもそもダグラスは、王室御用達の服飾デザイナーであると同時に、全軍の装備を監修する優秀な付与術師でもある。

 そのダグラスが手掛けた戦闘服が破損する。ダンジョンと二千年戦い続けた歴史を持つ自分達でも及ばぬほどの深層に挑んでいるとでも?


「普通にスキル使うだけじゃレベルが追いつかないのよ! もう基礎レベルを上げるしか手はないわ! さあ、わかったら行くわよ、王太子!」


 腕を引かれ謁見の間を出ると、ダグラス配下の職人達が全員そこに並んでいた。


 更には、ジークヴァルトの侍従まで武装して控えている。


「殿下、参りましょう」


 自分以外の全員が目を輝かせている。仕方がない。だがその前に一つだけ大切なことがある。


「……主様あるじさまの許可は取ったのか?」


 主は自分達の行動を制限するような人柄ではないが、最低限の筋は通すべきだ。


「本日の探索に同行する許可は得ております。集合時間までは自由にして良いと」


 ダンジョン内での自由行動は、同行とは言わない。


「あまり主様から離れぬよう」


 ジークヴァルトは【装備変更】で戦闘用の装備に変え、回廊を進む。

 それにしても。外に出るのは、いったい何年ぶりだろう。

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