第48話:逃げちゃダメじゃないけれど

 まだ盗みの技術がなかったから腕ずくで奪った。

 奪うのは簡単だった。盗みがバレても、ある程度逃げたら反撃してぶっ倒す。腹が減った時に目の前の誰かがパンを持っていれば殴って奪い取る。

 ただ、恨みは買う。恨まれ、そいつが別のやつを連れてきて、そいつを倒してもまた別のやつ、それで駄目なら徒党を組んでくる。

 キリがない。

 ゆえにある程度煮詰まると別の都市へ移り、また同じことを繰り返す。何度も繰り返し、少し辟易していた頃にヴァイスと出会った。自分と同じような生き方、全てを暴力で片付けるやり方は自分よりも苛烈で、だからこそ――

「人の振り見て我が振り直せ、だな」

 ソロは其処で生き方を変えた。

 力で抗うと力で返ってくる。最初の内は強ければどうにでもなるが、一人、二人と増えていく中で一人では手に負えなくなり逃げるしかなくなる。

 暴れることしか知らない相方をなだめながら、徐々にソロも穏便に収める方法を学び、それと同時にバレずに盗む技術をさらに磨く。

「結構長いこと一緒におるのぉ」

「あいつを人間にしたのは俺だぞ」

「そなたも学んでおろうが」

「……」

 ヴァイスに注意しながら、自分もこっそり学習していく。そんなに意識していなかったが、こうして改めて思い返すとかなりの時間一緒に行動していた。出会った時は獣同士、まあヴァイスは其処からもずっと獣であり続けたが――

「なんぞ、後ろについて来とるのがおるのぉ」

「……最初はさ、男のガキだと思っていたんだ」

 色々あってヴァイスが暴れたり暴れたり、暴れ散らかしたり、それで流れ流れ、ある都市へ訪れていた。毎度の説教も馬耳東風、それでも少しずつまともになってきた頃、二人でのんびり歩いていると後ろに汚い小さな子どもがついてきていた。

 浮浪児など珍しくもない。いちいち構う気もない。そもそもこれまで人を助けるような余裕もなかった。

「小汚くて、細くて……小さくてさ」

 でも、最近は盗みの技術も上達し、少しばかりの余裕があった。何よりもその子どもは路地裏暮らしが短いのか、全然こなれていなくて、格好の汚さ以外は浮いていた。たぶん、放っておいたらいずれ死ぬ。

 それでも最初は無視し続けていた。ただ、何故か無視し続けているのに、ずっと後ろについてくる。ちょっとした寝床にまでついてきて――

「声をかけちまった」

 邪険に、追い払うために声をかけた。ただ、多分結局それが運の尽き。話して、面倒は絶対に見ないから、とか色々話して、最後は何故か、

「……」

「……」

 ついて回ることを認めた。と言うか、あまりにも鈍臭くて、近くでこっちの真似をして盗みをしようとして捕まりかけ、手助けしたりなどしていたらなし崩し的に認めることになった、が正しい。

 まあ、

「すごい」

「……ほう」

 素直な賛辞に慣れておらず、社交的になるにつれて尖り切って性格が丸くなり、元来のお調子者の血がこの時開花してしまった。

「あにきぃ天才っす」

「……むふ」

 そしてこの子は持ち上げ上手だった。天性のヨイショセンス、かつて尖りまくっていた狼の姿は其処にない。褒められて鼻高々になる単細胞なわんこが其処にいた。

「……見るに堪えぬな」

「うっす」

 過去を俯瞰する猫師匠の呆れ顔たるや、ソロは何も言えなくなる。

 そんな中でも、

「アニキの左腕は芸術っすね」

「もっと褒めていいよ」

 子分と化した子のヨイショは続く。それに気を良くした間抜けも極まっていく。ヴァイスとの対等な関係とは違い、上下関係と言うのは初めてであった。此処までストレートに褒められる経験もなく――

「なんじゃ、甘酸っぱいのぉ」

「……」

 こんなにもストレートな好意を向けられた経験もなかった。アニキアニキと慕う中に、見え隠れする好意を察しない方が難しい。気づいていた。

 気づいて、何も言わなかったし、何もしなかった。

 だって、

「知らなかったんすよ。男女の、好きとか、そういうの」

 知らなかったから。日増しに大きくなり、明け透けにもなる好意。それはとうとう、外敵を排除する、敵意にまでなっていた。

 ただ、好意には気づけても、自分ではない相手に向けていた敵意にまで気が回らなかった。俯瞰して思う。

 そりゃあ、

「じゃあな」

「一人でどこ行くんだよ」

「知らねえよ。最後に一回だけ火、くれ」

「……」

 ヴァイスも去る。今更思う、居づらいよな、と。

「兄貴、家買いましょうよぉ」

「……」

 敵を排除し、彼女はさらに明け透けになった。何処かでソロは言うべきだったのだ。彼女のことを思えばこそ、子分として、妹分として好きだけど、女として好きなわけではない、と。だけどまだ、この時のソロはその違いを知らなかった。

 だから結局、これはたらればでしかない。

「同衾しといてなんじゃ! あれついとるのか?」

「……妹分だったんすよ」

 小さな家、ベッドは一つ、寝るときは一緒。背中に張り付いてくる妹分の熱に、あの頃のソロはずっと戸惑っていた。別に強情である必要はない。相手が何を望んでいるのかわからないほど子どもでもない。

 だけどソロは最後まで手を出さなかった。

 そう、

「ごほっ、ごほっ」

「大丈夫か?」

 流行り病による最後。これもまあ、よくある話である。病に倒れ、そのまま帰らぬ人となる。路地裏ではありふれた光景。ただ、今のソロは本気を出せば二人分くらい、路地に出れば楽々稼ぐことが出来る。

 栄養は与えた。小さな家が雨風をしのぎ、休息も与えた。でも、どうやら今回の流行り病はそれなりに強力だったようで、みるみると彼女は弱っていく。

 ソロは生まれて初めて医者の所へ赴いた。彼女を見てもらおうとして、だけどどの医者も彼らの素性を聞いただけで門前払い。金はあると言っても、その金は何処で盗んだものだと言われた。蔑まれた。

 今までさして気にもしていなかった差別が、ここに来て重くのしかかる。

「待ってろ。医者は無理でも薬は手に入れてくる」

 八方塞がり、医者は無理でも薬などと言っても、薬を持っているのは医者であり、それはソロが主戦場とする路地には落ちていない。

 屋内で、警戒された状態で盗み出す。とても難しいだろう。薬のことなどよくわからないから、それっぽいのを盗み出すしかない。

 幸い大流行中の病、取り出しやすい場所にはあるはず――

「ごほっ、兄貴」

 出かけようとする腕を彼女が掴む。ただでさえ非力なのに、今はさらに弱々しくなった。それにソロは顔を歪める。

「いいんす。ただ、せめて、ごほっ、最後まで、いっしょに」

「弱気になるな。俺に盗めないものはねえ。知ってるだろ、黄金の左腕だって」

「……」

 ほとんどない力。でも、必死に引き留めようとしているのは感じていた。全部わかっている。わかっているけれど――

「……行ってくる」

「……いってらっしゃい」

 ソロは諦め切れずに家を出て、彼女は諦めて手を放し見送った。

 ただいま、おかえりなさい、その約束が小さな家で果たされることはない。

 最初に門前払いを喰らった医者の所に来た。乗り込み、盗み出す。もはや手段を選ぶ余裕はない。力ずくで、ずっと封じていた暴力を用いてでも目的を果たす。

 その覚悟で乗り込み、実際ソロは医者の首根っこを掴み押し倒し、薬のありかを聞き出した。大事な妹分を救い出すため、殺してでも奪い取る。

 覚悟はあった。あったのだ。

 でも、

「あなた!」

「おとうさん!」

 騒ぎを聞きつけ父の仕事場に現れた女房と息子、それが目に入りソロの覚悟が揺らいだ。見ず知らずの他人である。知ったことかと首を締め上げればよかった。騒げば殺すぞ、そう脅して黙らせれば救えたかもしれない。

 だけどソロは手を放してしまった。

 そして、その場から逃げる選択肢を取った。自分でもなぜそうしたのかはわからない。ただ、逃げ出してすぐ「盗人だ!」と叫ばれ、ちょうど見回り中の兵士たちに出くわし、無事お縄となった。

 そのまま拘束され、牢獄行き。結局未遂であったこともあり、拘束期間はそれほど長くなかったけれど――

「……すまない」

 小さな家には息を引き取った彼女の遺体だけがあった。開いた木窓、それはソロを待っていた彼女の意思に思えた。

 待っていた。ずっと、ずっと、答えを出すことからも逃げた男を。

「間抜けだよなぁ」

「……」

 さすがに泣いた。涙に意味はないと知っていても泣いた。謝罪もした。向き合ってやれずに済まないと、今も心の中でそう思う。

 それでも一日もせず涙は枯れ果て、残った間抜けな男は彼女の亡骸と共に小さな家を出た。埋葬するためのスコップを手に入れ、彼女を見送る。

 もう二度と使うまい、と墓の近くに捨てて彼は酒場に赴いた。

 何処へ行くか、何をするか、酒を入れて考えよう、と。悲しみを、死をいつまでも引きずり続けても意味がない。前向きに、空元気でも笑う。

 そしてソロはあの噂話を聞き、お手製の墓へ戻ってスコップを回収して旅立った。

 あとは、

「ルーナに出会って、ドラゴンに襲われて、始まりだ」

 ソロの冒険が始まる。若干自暴自棄に、空元気から始まった冒険だった。適当に売り捌いて小金を稼ぐ、そのために聖剣を取りに行った。

 正直、取れなくてもよかったのだ。

 ただ、取りに行く過程が必要であっただけで――

「結構色々あったのぉ」

「これでも掻い摘んだっすよ」

「ふむ。して、自分を顧みてどう思った?」

 猫師匠の問い。

 それに対し、

「最初は向き合うことしか知らなかった。戦い、奪い、そんな自分がいたこと、すっかり忘れていた。暴力の連鎖から逃げるために盗みを鍛えた。上手くなった。生き残るのも随分と楽になった。そしていつしか、癖になった」

 ソロは苦笑しながら答える。

「逃げることが……悪いことばかりじゃない。それで角は立たなくなった。賢くなったし、器用にもなった。でも、弱くなった」

 始まりを思い出した。

 此処に至るまでの過程を思い返した。

「そろそろ……戦わなきゃなって、思った」

 ソロが空元気も込みの笑みを深めた瞬間、彼の夢が砕けた。

 景色が変わる。

 炎渦巻く地獄の景色。黒き龍の暴力が渦巻く、彼が逃げ出した光景である。しかし今、黒き龍が倒れ込んだ。

 二人の勇者が叫ぶ。

 銀の雷と金の雷、二つの雷を剣と共に掲げて――

「だからまず、夢には勝ったぜ。二人がかりだけどな」

「にゃにゃにゃ! わしと振り返りながら、その裏でずっと戦っておったか。そして夢とは言え、あの『黒天』フェルニグを、あの狂龍を相手に勝利した、と」

「所詮夢だけどなぁ」

「よかろう、合格じゃ。よくぞ己を知り、己を越えた!」

 夢を完全に制御し、その上で悪夢に打ち勝った。

 想像以上の出来に、猫師匠は満面の笑みを浮かべながら両の手、肉球を打ち付ける。さらに世界は砕け、

「ふぁあ」

「ふにゃああ」

 一人と一匹は夢の世界より帰還する。

「さて、試練其の二をそなたはクリアしたわけじゃが……気分はどうじゃ?」

「寝起きっす」

「うむ、冗談を言える余裕があるのならこのまますぐに試練其の三、最終試練に移行するが、覚悟はよいかの」

「まあ、どんとこいって感じですかね」

「よくぞ申した!」

「あ、でも、内容次第なところもあるかもです」

 最後の言い訳は聞き流し、

「試練其の三は基礎を高め、欠けを埋め、その状態で必要に挑む。此処までは身の危険自体は存在せぬ修行であったが、此処から先はその保証はない」

「……え、と、少し体調が」

「じゃが、逃げぬと言ったそなたの覚悟、わしがしかと汲み取った!」

「一切逃げないわけじゃ、その、勝てない相手からは普通に逃げるんすけど……」

「これより試練其の三を始める!」

 言い訳無用と猫師匠は始まりを告げる。

 修行の最終段階へと、ようやくソロは移行する。

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