第23話:逃げるor

 ソロとソアレのみ。それで逃げるのも至難の業。この根だけならどうにかなりそうだが、この前のゴブリンのように群れのまとめ役がいるかもしれない。と言うか十中八九いると考えて動くべきだろう。

 そうなれば脱出はさらに難しくなる。

(俺が囮になってソアレを逃がす。俺一人ならどうにでもなる。最悪どうにもならなくなったら死ぬだけだ。いやまあ、死にたくねーけどさ)

 それでも相手さえ捕捉できたなら、自分の立ち回り次第でどうにでもなる。もちろん勝つのは無理、あくまで逃げるだけ、の話だが。

 まとめ役のシュッツもいなくなった。巡礼札がどうこうって話もご破算であろう。なら、このまま旅を続ける意味はあるのだろうか。

 と言うか続けようがない。

 ソアレを国に戻して、そして――どうしようか。

 そんなことを考えていると、

「ねえ」

 ソアレが口を開いた。

「ん? どうしたよ」

「ごめんなさい。私、あなたを勘違いしていたみたいね」

「……何の話だ?」

「悲しみをぐっと飲み込む力。私はわめき散らして、泣き叫んで、あなたはぐっとこらえていた。薄情じゃない。あなたが私より強かっただけ」

「どーでもいいだろ。今はそんなこと」

 小声で会話するぐらいは問題ない。あらかた片付いたからか、先ほどまでのような活発さはその辺の根から感じなかった。

 とは言え、雑談をしている場合でもない。

「私は逃げない」

「……これこれお嬢さん。この状況は逃げ一択、他に選択肢はないって」

「根の隙間から地下へ向かうわ。魔の木の目的からしても、必ず通路を形成するでしょ。地下で成った魔物を地上へ送り込むために」

「あのね――」

「考えての行動よ。いつもの勘癪じゃないから」

「……」

 ソアレが浮かべた苦笑、それを見てソロの表情は険しくなった。

 熟考の末だとしたら尚更、よくない。

「この規模の木よ。成長したらどれだけ多くの魔物を生むかわからない。今しかないの。相手の準備が出来ていないのは」

「正論だよ。でも、無理だ。ソアレの話は勝てる場合のもんだ。勝てないってのが抜けてる。冷静になれ」

「私は勝つ」

「お前はルーナじゃないっ」

 言った瞬間、しまった、とソロは彼女から目をそらした。言うべきではないことを言った。言ってしまった。

「そうね。その通り。この場にお姉様がいれば、きっと私はすがったでしょうね。でも、此処にお姉様はいない」

「……逃げよう。な。とっつぁんのためにも、ルーナのためにも」

「私がやる」

「誰かがやるさ。それが駄目なら神に祈ればいい」

「私がやらなきゃいけないの」

「なんでだよ」

「私がソアレ・アンドレイア、ソアレ・アズゥだから」

 高貴なる者には責務がある。力ある者には義務がある。

 それを果たす。

 言葉にするまでもない。今更、全然似ていない姉妹の、似ている部分を知った。ソロにはわからない。見ず知らずの他人を守らねば、と思う気持ちが。

 だけど、この姉妹にとってそれは当たり前のことで――

「貴方は逃げなさい」

「……なあ」

「なぁに? 言っとくけど私、頑固よ?」

 自慢することじゃねえよ、とソロは思いながら、

「……俺に、出来ることはあるか?」

 この絶望の中、ただ一人戦おうとする少女へ問うた。

「そうね。ないわ、存分に逃げなさい、って、格好つけたいんだけど」

 その選択に恐怖がないわけじゃない。

 足が、手が、震えているのが此処からでもわかるから。

「でも、その、出来たらでいいんだけど……前みたいに相手を引き付けてくれたら、もちろん最後は逃げていいのよ。その上で、そうしてもらえたら――」

「任せろ」

 だから、ソロは即答した。

 真っすぐな眼で、真面目な表情で、

「出来るなら普段からその顔しなさいよ。もったいない」

 それを見て、ソアレの震えが少し収まった。ほんの少しだけ。

「じゃ、行くわ」

 そして姉と同じ笑みを浮かべながら、姉と同じくソロへ背を向け踏み出した。怖いだろうに、苦しいだろうに、そのひと足に迷いはない。

 其処まで似るなよ、とソロは苦笑する。

 勇者の歩みを見届け、

『どうすんの、相棒』

「決まってんだろ、逃げるんだよ。全力でな」

『うへえ』

 勇者を騙っていたぬすっともまたひと足、進む。


     ○


「くく、ふはははははは! 素晴らしい、実に素晴らしい。嗚呼、力が漲る。迸る。五臓六腑に染み渡る。カース・オーク、我が最高傑作。愛しき我が新たなる翅よ」

 生命の秘法を盗み出し、魔の木オークを創り上げたチームの中核メンバーである『魔樹』のクリファは狂喜していた。

 三百年の時によって蝕まれた、劣化した身体に続々とエネルギーが送り込まれてくるのだ。彼にとってもう一つの心臓とも呼べる、すでに魔の大樹と化したそれが軍団を生成するよりも重要な役割であった。

 少なくともこの男にとっては――

「見よ! このハリツヤを。取り戻してきた。帰ってきた! おお、髪もコシを取り戻し、髪型が決まる。完璧だ、完全無欠の、センター分け。イッツァ、シンメトリー! う、美しさが留まるところを知らないィ!」

 左右対称、美しいポーズを取り、クリファは大樹の成熟具合を見つめていた。かつて、自分たちが拠点としていた場所に居座るゴミどもはあらかた始末した。それゆえの急速な成長、成長速度すら従来のオークの比ではない。

「気持ち悪さも消えた。お、おお、パーフェクトが過ぎる」

 これは男の最高傑作なのだから。

 手間暇をかけて作った。唯一無二、己のために生み出したスペシャル。

 現状、コモン→アンコモンまでしかアスールへは投入していない。一応魔界ではレアまでは開発済みであるが、カースはそのさらに上である。

 全てはこの日のために。

 三百年伏してきたのだ。

 根の上、一番高く目立つところで狂喜乱舞するクリファ。

 当然、

「なあ、あいつ知ってる?」

 こっそりと大聖堂から脱出していたソロにも簡単に見つけられた。誰もいないことを良いことに、大声で喜び過ぎである。

『よー知らん。でも、たぶん元天使だ、あいつ』

「そうなん?」

『天使はやたら、シンメトリーな髪型を好むからな』

「は?」

『センター分け、ぱっつん、あえての坊主、みたいな。なんかそういう美意識みたいなのあるんじゃね? ってか、そんなに天使詳しくないのよ、オイラ』

「ふーん。でもさ」

『おん?』

「あいつがボスなのは間違いないよな?」

『おん。見たまんま。ってか、よくボスが地上にいるってわかったなぁ。普通なら木の下に、奥にボスが鎮座しているもんっしょ?』

「そりゃあもう勘よ勘」

『はえ~。相変わらず冴えてんね』

 トロとしてはボスもオークのコアも下で、地上の根をちょちょいと対処すればいい、ぐらいの感覚であった。おそらくソアレもそうだろう。

 でも、ソロだけが違ったのだ。この男だけが地上に陽動に値する相手がいると感じ取っていた。前回はともかく、今回は完全な山勘。

 勘弁してほしい、とトロは心の中で嘆く。

「そらどうも……よし、んじゃ、いつものいくぞ」

『やだぁ。オイラ逃げるぅ』

「だから逃げるじゃん?」

『そうじゃないぃぃ』

 駄々をこねるトロに苦笑しながらソロは敵の姿を目に焼き付けた。高みから馬鹿笑いしている姿を。シュッツを、ヴァイスを殺した敵を――

「で、会心の一撃教えて」

『……うう』

 魔剣、泣く。

 結局剣だし、使い手に従うしかないんだなぁ、とろすけ。

 と言うわけでごにょごにょと密談。

 それとほぼ同じタイミングで、

「……? 生き残りがいたのか?」

 クリファは地下で生まれてすぐ大樹を自動防衛する魔物たちと何かが交戦を開始したことに気づいた。

「数は、ひとり、精々数名だろう。ふっ、我が翼たるこの大樹を守護する魔物どもの慣らしとしよう。たかが下等生物、パーフェクトな私が出向くほどではない」

 気づいたが捨て置く。

 どうせ、此処まで成長した大樹。数多の血を吸い、土地の魔力も根こそぎ奪った以上、芽生える魔物のグレードも通常のオークとは桁が違う。

 人間風情にどうこうできるわけがない。

 まあ万が一何かあっても、自分が出向けば――

「おーい! 堕天使ー!」

 その一言は十二分にクリファを、元天使を振り向かせるものであった。

「か、下等生物が、こ、この私を、堕天使と? それで喜ぶのは『堕天』のみ。翅を自ら毟った奇特なアシンメトリーの男。私は許さぬよ、その不敬」

 下等生物の挑発。

 安い、と理解しながらも許す気はなかった。

 それでも特段、強烈な怒りを抱いていたわけではない。所詮虫けらの、翅を持たぬ生き物の戯言。そんなものに心が動く自分ではない、と。

 そう思っていた。


「やーい、翅無し!」


 それを言い放つ前までは――

「量産型センター! クソナルシスト不細工!」

 ただ処刑するのも生ぬるい。

「……下等生物、貴様は生かしてやろう。永遠に、我が大樹の下でなァ!」

 『魔樹』のクリファが両腕を広げると根の動きが再度活性化を始めた。

 うねるように、蛇のように、無数の巨大な根がソロへと押し寄せてきた。

「おし、釣れた。天使も魔物と変わらねえな、これじゃ」

『どうすんだよ、これ!』

「だから、逃げるんだよ!」

『無理ぃ!』

 ソロ、此処から約束通り全力の逃げを見せる。

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