第3話 して…欲しいの

剛士は暫くの間、緊張に固くなる悠里の心を解くために、優しく彼女を抱きしめて髪を撫でた。

次第に、悠里の身体から力が抜けていく。

悠里が甘えるように、剛士の胸に頬を擦り寄せてきた。

猫のようなその仕草が可愛くて、彼は小さく笑む。


時計の針は、21時を回っていた。

「……悠里。風呂、入ったら?」

彼女の柔らかな長い髪を指で楽しみながら、剛士は囁いた。

悠里が、そっと、顔を上げる。

「……よかったら、ゴウさんから、入って?」

大きな瞳が、緊張と甘い期待に揺らめいている。

剛士は、彼女を安心させるように、微笑んで頷いた。

「ん、わかった」


先ほど買ったばかりの、黒いパーカーとパンツ。

着替えを手にした剛士を、悠里はバスルームに案内する。

バスタオルを剛士に用意し、悠里は、はにかみながらも微笑んだ。

「ゆっくり入ってね」

「はいよ」

自分を見上げる様が可愛くて、剛士は軽いキスを彼女に落としてしまう。

「んっ……」

びっくりしたのか、悠里は微かな吐息を漏らした。

クシャクシャッと彼女の髪を撫で、剛士は笑った。

「じゃあ、お先に」

「ふふ、はい」

バイバイ、のあと、互いに指を絡め合う。

悠里は頬を染めて笑い、リビングに戻って行った。



ふぅっと、剛士は息を吐いた。


今のキスは、完全に無意識だった。

「……落ち着こう」

自分を戒めるために、口に出して呟く。


今日、勇気を出して、家に呼んでくれた悠里。


恥ずかしげな仕草、言葉。

何より、甘く震える大きな瞳から、彼女の気持ちが伝わってきた。


嬉しかった。


応えたい。

抱きしめたい。

悠里を、愛したい――


剛士の気持ちも、昂る一方だ。

はあっと、熱い溜め息をつく。

「落ち着けって……」


とにかく身体を洗って、風呂に入って。

油断すれば、悠里に向かって溢れ出してしまいそうな熱を流そう。

剛士は、バサバサと制服を脱ぎ、バスルームに入っていった。



自分にしては少し長めに風呂に浸かり、剛士はリビングに戻る。

部屋着に着替えた悠里が、笑顔で迎えてくれた。

彼女は、剛士が手に持っていた制服を受け取り、綺麗にハンガーにかけていく。

剛士はその小さな後ろ姿を、見つめた。

淡いピンク色で、モコモコした素材のパーカーに、短めのハーフパンツ。

膝から下は、暖かそうなレッグウォーマーに覆われている。


初めて見る悠里のラフな服装に、剛士は、ふっと微笑む。

悠里は振り返ると、頬を染めて首を傾げた。

「ゴウさん、何か飲む?」

「じゃあ、水がいいな」

「はぁい」


パタパタとキッチンに歩いて行く後ろ姿を、剛士は、つい目で追ってしまう。

その視線には気づかずに、程なくして悠里は、冷えたミネラルウォーターとコップを持ってきた。

「どうぞ」

「さんきゅ」


先ほどと同じように、2人並んでソファに腰掛ける。

水をひと口飲み、剛士は改めて、傍らにいる悠里を見つめた。

「お前の部屋着、初めて見た」

「ふふ、そうだね」

悠里は、はにかんだように頬を染め、笑う。

「すげえ可愛い」


剛士は彼女の髪を撫で、優しく微笑んだ。

自分の前で、無防備な日常の姿を見せてくれたことが、嬉しい。

お互いに寛げる格好になったからか、自然と2人の距離は近くなる。

取り留めのない話をしながら、手を繋いだり、寄り添ったり、暫く穏やかな時間を楽しんだ。



「ねえ、悠里」

悪戯っぽく、剛士が微笑む。

「おいで?」

「え?」

ポンポン、と自分の膝を示し、剛士は腕を広げてみせた。

悠里が、パッと顔を赤らめる。

「悠里」


甘い声に誘われるように、悠里はそっと、彼の脚の間に収まった。

剛士が悠里の脚を優しく抱え上げ、自分の腿に乗せてくれる。

座りながら、お姫様抱っこのような体勢になり、ますます悠里の頬は色づいた。

顔を見られるのは恥ずかしくて、彼の胸に顔をうずめる。


剛士が、髪を撫でてくれる。

けれど、いつもとは、少し違う。

指に、甘く絡められるような触れ方。

剛士の指が動くたびに、悠里は胸の高鳴りが、抑えられなくなる。


「ゴウ、さん……」

きゅっと、彼のパーカーを握り、悠里は小声で剛士を呼んだ。

「悠里」

大きな手が、優しく彼女を包み込む。

「……顔、上げて?」

おずおずと彼を見上げると、綺麗な黒の瞳が、悠里を映し出す。


剛士は優しく、彼女に唇を重ね合わせた。

緊張しながらも、悠里は柔らかく目を閉じ、彼からの愛情表現を受け止める。

降り注ぐ、甘やかなキス。

暖かくて、気持ちよくて。

悠里は無意識のうちに、もっと、というように剛士の首に腕を回していた。


長い指が、すうっと悠里の背中を撫で下ろす。

悠里は、ピクンと身体を震わせる。

「……ねえ、悠里?」

「あ……」

大きな瞳が、剛士を見つめた。

彼は優しく微笑んでみせると、悠里の耳元で囁いた。

「風呂。入っておいで」

「……はい」

きゅっと彼にしがみつき、悠里は小さく頷いた。



***



「ゴウさん。私の部屋で、待っていてくれる?」

「ん、いいよ」

緊張からか、パチパチと瞬きをする悠里の頭を撫で、剛士は微笑んだ。

ゆっくりと彼女は剛士の膝から滑り降り、彼の手を引く。

そうして連れ立って、2階の部屋に上がった。


悠里は自室のドアを開けると、パチリと電気をつける。

淡い色合いで統一された、女の子らしい部屋が照らされた。

「おお、綺麗な部屋」

「本当?嬉しいな」

照れ隠しに微笑み、悠里は答えた。

「うん。何か、悠里らしい部屋だよな」

「ふふっ」


可笑しくなって、2人で笑い合う。

「あ、俺の制服、ここに掛けといていい?」

ベッド脇の壁にあるハンガーフックを指し、剛士は尋ねた。

「うん」

そうして悠里は、小さく息を吸った。

「……じゃあ、お風呂、入ってくるね」

「ん」

剛士は制服を掛けると、悠里の傍に戻り、優しく抱きしめた。

「待ってる」

「うん……ゴウさん、ゆっくりしててね」

「はいよ」

ちゅっと、悠里の額にキスを落とし、剛士は微笑んだ。

悠里はまた、パチパチ、と瞬きをすると、はにかんだように目を伏せて笑う。

そして、いってきます、と手を振り、部屋を出て行った。


トン、トン、と階段を降りる、小さな足音。

剛士は、ふうっと息をつき、くるりと部屋を見渡した。


悠里の家には、これまで何度か遊びに来てはいたが、そのときは親友たちもいた。

いつもリビングで過ごしていたので、悠里の部屋に入ったのは、今日が初めてだ。


奥の壁には出窓があり、そこにはちょっとした化粧品や、小さなぬいぐるみが並んでいる。

窓の横には、シンプルな机と本棚。

そこには辞書や本が、綺麗に整理されて置いてあった。


ちらりと、部屋の右隅にあるベッドを見る。

ピンクがかった淡いベージュ色の布団が、足元の方にたたまれていた。


さすがに、ベッドに座って待つのは、あからさま過ぎるよな、と剛士は苦笑する。


彼は、部屋の中央に敷かれたラグの上にある、クッションに座る。

そして、目の前の小さなローテーブルに両肘を置いた。


悠里の部屋は、女の子らしさがありながらも、さっぱりと片付いていて、居心地がいい。

何より、ほのかに良い香りがした。

悠里が戻ってくる前に、この部屋の雰囲気に慣れておこうと、剛士は思う。


きっと彼女は、自分よりもずっと、緊張している。


優しくしてあげたい。

幸せな日にしてあげたい。

怖がらせたくない、だから――


はぁーっと、剛士は長い息を吐き出した。

「……落ち着こう」


ゆっくり、優しく。

悠里が嫌がることは、絶対にしない。

持てる理性を総動員する決意を固め、剛士は目を閉じた。



悠里は、丁寧に髪と身体を洗い、温かい湯船に浸かっていた。

剛士の笑顔、大きな手、そして優しいキス。

今日、彼がくれるもの全てが甘くて、思い返すだけで苦しいほど胸が高鳴る。


「ゴウ、さん……」

今夜、自分の全てを、剛士に捧げたい。

そのつもりで、彼を家に誘った。

悠里は、ぎゅっと胸の前で手を組む。

「貰って、ください……」

彼の顔を見ては、とても言えそうにない言葉。

悠里は、そっと呟いた。



風呂から出た悠里は、お気に入りのヘアオイルをつけた髪を乾かしていく。

剛士がいつも、綺麗だと褒めてくれる髪。

優しく撫でて貰える、長い髪。

今夜も、たくさん触れて、撫でて欲しい――


悠里はじっと、鏡の自分を見つめた。

髪を乾かしただけ。まだ、バスタオル1枚を纏っただけの自分。


『俺……期待していいの?』

耳元で囁いてくれた、剛士の甘い声が蘇る。


何を言わなくても、悠里の気持ちを感じてくれる、優しい剛士。


悠里は、先ほどまで着ていた部屋着に、視線を移す。

これを着て、2階に上がるつもりだった。


きっと、それでも大丈夫だ。

このまま剛士に全てを任せれば、幸せな夜になる。


けれど、それで良いだろうか。


自分からも、ちゃんと剛士に伝えたい。

剛士を求めていると。自分を、求めて欲しいと。

上手く言葉にできないのなら、行動で、気持ちを伝えたい――


悠里はもう一度、鏡の中の自分を見つめる。

そうして意を決して、バスルームを後にした。



***



「ゴウさん……」

そうっと、ドアを開けた。

悠里は、彼が振り返る前に、パチリと部屋の電気を消してしまう。


「……おお、おかえり」

予想外の悠里の行動に、やや驚きながらも、剛士は優しい声で迎える。

暗闇と一緒に室内に入り、悠里は剛士の傍らに座った。


遠慮がちに、腕にもたれかかってくる悠里。

その透けるような白い肩が、暗がりでも見て取れた。

剛士は、いま彼女の身体を守っているのが、バスタオル1枚だけなのだと察する。



悠里が戻ってくるまで、考えていた。

ゆっくりしよう。優しくしよう。

悠里を怖がらせないように――


そんなことばかりを、考えていた。

けれど、悠里がこうして素肌を見せて、自分の傍に来てくれた。

彼女の気持ちを思うと、剛士の中にあった躊躇いは、優しい暗闇に解けていく。



「悠里」

剛士は優しく、彼女の身体を抱き寄せた。

「寒いだろ? おいで」

悠里が、きゅうっと縋りついてくる。

「……ゴウさん、あのね」

消え入りそうなほど微かな声で、悠里は囁く。

「私、上手に言えなくて……」


「……大丈夫だよ、悠里」

大切に彼女を抱きしめ、剛士は長い髪を撫でてやる。

風呂から上がりたての身体は、ほんのりと暖かくて、髪からは良い香りがする。


「悠里はいつも、一生懸命、気持ちを伝えてくれるよな」

剛士は耳元で優しく、彼女に応えた。

「ありがとな。ちゃんと、伝わってるよ」

「ゴウ、さん……」

「……愛してる、悠里」

剛士は、素直な気持ちを伝えた。


「ありがとう、ゴウさん……」

上手に言えなくても、不器用な伝え方でも。

剛士はちゃんと、気持ちを感じてくれる。

悠里の身体を、言い知れぬ安心感が包み込んだ。


「ゴウさん。大好き……」

剛士を、好きになってよかった。

力いっぱい、彼の胸にしがみつく。

そうして、心のままに、悠里は囁いた。

「して……欲しいの……」


「悠里」

逞しい腕が、しっかりと悠里の身体を抱きしめた。

剛士の唇からも、素直な気持ちが零れ出る。

「俺も……悠里を、抱きたい」


少しの間、2人は強く抱きしめ合った。

お互いの熱が溶け合って、ひとつになっていく。

暖かくて、気持ちよくて。

理屈も、遠慮も、不安も、心地よく消えていく。

ただ愛おしくて堪らなくて、お互いが、欲しくなる。


剛士は、甘い声で囁いた。

「悠里……ベッド行こう?」

「……うん」

悠里は彼の胸に頬を寄せ、小さく頷いた。


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