異世界帰りの引き立て役は、平穏な暮らしに戻りたい

けいぜんともゆき/関村イムヤ

1・ベルルシアの失態

第1話

「ベルルシア・クレヴァリー!!」


 半年にわたる教育を受けた新人侍女達は、その雷鳴のような怒鳴り声に身をすくませた。

 侍女官長の厳しさと恐ろしさは、初日から嫌と言うほど叩き込まれている。


 夏の休暇を迎え、やっと教育期間にもひと段落ついた。

 なのに今更こんな怒られ方をするなんて、一体何をやらかしたのだ……と、視線は自然と怒鳴られた娘へと集まった。


「あら、あの子……引き立て役の子じゃない?」


 そうして、クスクスと囁き声で嘲笑あざわらう。


「女学校時代に高貴な方々にまとわりついて、恥知らずなほどあちこちの社交界に顔を出していたって話の?」

「そう、それ。地味で目立たないのが取り柄なのに、何をしでかしたのかしらね」


 怒鳴りつけられたベルルシア・クレヴァリーは、そ声を聞こえなかったことにして、ただひたすらに頭を下げるしかなかった。


「大変申し訳ありません――」

「休暇のうちに、仕事のやり方を忘れるほど遊び呆けていたのですか?」

「……いいえ。体調を崩し、自宅で療養をしておりました」

「それで? 病で全て忘れたとでも?」


 侍女官長にピシャリと言い据えられ、何も言えずに口をつぐむ。

 寝込んでいたのは事実だ。だがそれが言い訳にもならない事を、ベルルシアは理解していた。


 ここカラティオンの都から避暑地カイレルの城へと宮廷が移り、閑散期に入ると与えられる20日間の休暇。

 多くの新人官僚は、教え込まれた仕事の研鑽に努め、休暇明けに向けた勉強に励む。


 だというのに、ベルルシアは今日一日、全くと言っていいほど碌な働きをしなかった。


 資料を探してこいと言われれば、いつまでも戻ってこない。

 提出した書類は不備だらけで、突っ返されても碌に直せない。

 簡単な雑務にさえ手間取り、右往左往する始末。


 罰としてやらされた魔光灯まこうとうに魔力を篭めるという単純作業も失敗し、魔光灯を割ったところで侍女官長の雷が落ちた。

 

 誰が見ても、これまで教えられた仕事の手順や段取りが全く身についていないというべき勤務態度だ。


「3日間の謹慎処分とします。すぐに退出し、寮ではなく自宅に帰りなさい。謹慎明けは入城後、私の執務室に来るように」

「……はい」


 謹慎を申しつけられたベルルシアは、暗鬱な気持ちで頷く。

 頭を下げて顔を伏せ、悔しさに唇を噛んだ。


 努力の末に歩み始めた筈の女官の道が、たったの半年で潰えかけていた。




 外宮を退出したベルルシアは、家への道をとぼとぼと歩く。


 しがない廷臣の家であるクレヴァリー男爵家の街屋敷は、城から最も遠い、貴族街の外縁地区に位置している。 

 寮に寄ることを許されなかったため、馬車を拾うお金も手元にはなく、ベルルシアはただ歩くしかなかった。


(――本当は、この帰路も罰のうちなのかもしれませんね)


 働きに出ているとはいえ、女官は身分のある娘達だ。長い距離を歩くような事は、日常的にほとんど無い。


 ベルルシアはため息を吐いた。

 この帰路がなんの苦でもないという事実に対して、深く深く、息を吐いた。


 それが間違いだったと気付いたのは、裏路地から酔った男がふらりと近づいてきてからだった。


「おやおや、どうしたんですかお嬢さん? そんなに悲壮な顔をして!」


 親切ぶった言葉とは裏腹に、その声はどこか高揚していて、ベルルシアの神経を逆撫でする。


「放っておいてください」

「そういう訳にもいかない。私のような身分ある男には、傷心の女性をお慰めする義務がある」

「必要ありません!」


 周囲に人通りは無い。

 馬車通りから外れた閑散とした歩道は、テラスハウスにより夕日が遮られ、影が落ちている。

 そこよりもさらに暗い裏路地へと、男はベルルシアを引き摺り込もうとしていた。


「大丈夫、大丈夫。心配は無いよ――君みたいな地味な娘、私ほど親切でなければ他の誰も慰めてくれんだろう。ありがたく思いなさい」


 ニタニタ笑う男の手と酒臭い息が絡みついて、嫌悪感で鳥肌が立つ。


「離してっ!」


 ベルルシアは身を捻る勢いと共に、右の踵で男の足首を外側へと蹴り払った。


 うぉお? と訳も分からない様子の呻き声が上がり、ぐにゃりと男の身体がくずおれる。

 間髪入れず、無防備に晒された顎に向けて掌底を振り下ろす。


 酔った男にはそれで十分でだった。

 盛大に頭を揺らされた男は、地面に這いつくばったまま嘔吐き始める。


 その隙をついて、ベルルシアは素早くその場を離れた。


 多少の揉め事があったのだ。いつ周囲の家から様子を伺いに人が出てきてもおかしくない。


 仮にも謹慎の身だ。正当防衛とはいえ、騒ぎを起こして今以上に侍女官長の印象を悪くするわけにはいかなかった。


「も、嫌……」


 平穏な暮らしに戻りたかっただけなのに。


 堪えきれなくなった涙が溢れ、早足だったベルルシアの歩調は、自然と駆け足になった。



 路地裏で静かに様子を伺っていた人影は、予想外の出来事にしばらく考え込んだ。


「……ふぅん? うまい誤魔化しだね」


 デイドレスの長い裾を目眩しに、足首を蹴って姿勢を崩す。次撃は押しのけたように見せかけて、顎に攻撃を入れ、頭を揺らした。


 一見すれば非力な女性の無我夢中の抵抗にしか見えない一連の流れ。

 その中に、狙い澄ました攻撃が隠されていた。


 未だ地面に転がったままの貴族の男を眺めて、彼は小さく首を傾げる。

 男はダメージがなかなか抜けないようで、吐瀉物を撒き散らしては呻いている。


「あれだけ小柄なのに、ずいぶん威力の高い攻撃ができるようだね……。魔術でも使っていたのか?」


 だとすれば、未登録の魔術士が王宮に居ることになる。


 逃げ去った女の服の襟には、宮廷女官の徽章が留めてあった。現在カラティオンの城に詰める女官に、魔術士の届けを出している者はいなかった筈だ。


 即座にベルトにある通信陣の魔道具に手を伸ばし、魔力を流しながら一定の拍子で陣を叩く。

 不穏な存在を放っておくつもりは無かった。


 魔痕鑑定まこんかんていのできる部下が一人、その場に合流したのは、ヨロヨロと立ち上がった貴族の男がやっとどこかへ去った直後の事だった。


「ユラン様、魔痕鑑定やるのってまさかあのゲロまみれの所ですか?」

「そうだよ」


 心底嫌そうな部下に構う様子もなく、人影――ユランは通信陣の魔道具を叩き続ける。絶え間ない指示はすでに、逃げ去った女の基本情報を掴ませていた。


「早く鑑定してきてくれる。3日のうちに調べるだけ調べて、どうするか決めるから」

「はあ……何を?」

「処分方法」


 当然のように答えるユランに、部下は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 目をつけられた哀れで迂闊な何者かにほんの少しだけ同情すると、部下の男は渋々、吐瀉物塗れの路地へと進み出た。

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