初恋相手

 その日の夜。

僕はけいの部屋の扉をノックした。


「どうぞでゴザルー」

中から返事が返ってきたので、扉を開けて中に入る。

けいは浴衣姿でベッドに腰かけて本を読んでいた。


「邪魔するよ」

「拙者になにか用でゴザルか?」

けいは本を閉じてこっちに視線を向けた。


「さっきのことだよ。松本先輩の」

「松本殿がどうしたんでゴザル?」


「いや、とぼけないでよ。僕が何を言いたいかくらい分かるでしょ?」

「全然分からんでゴザルな」

そう言ってけいはそっぽ向いた。


「ほんとに分かんないならはっきり言うけど」


そこまで言ったところで僕は言葉を詰まらせた。


この先はなんとなく口に出してはいけないことのような気がしたのだ。


この話をけいにする時は毎回こうなってしまう。


それでもやっぱり見て見ぬふりをするわけにもいかず、結局僕はいつもこのことに言及する。


「けいにとっての天姉は」

僕が核心に触れようとした瞬間、けいはすっと立ち上がって僕の前に来た。


「何度も言ってるでゴザろう? それは恭介殿の勘違いでゴザルよ」

「それはない。そんな言葉で誤魔化せると思うな」


「うるさいでゴザルな。まったく、若いもんってのは何でもかんでも色恋に結び付けようとするからいかんでゴザル」


「そんなんじゃない。ずっと一緒にいたから分かるんだよ。天姉はけいの初」


遮るようにけいが僕の両肩をガシッと掴んだ。


「いいか。それは恭介の勘違いだ。勘違いなんだよ。だから……もう、やめてくれないかな」


けいは絞り出すようにそう言ってから、祈るように僕の目を見て力なく笑った。


僕はそれ以上何も言わないことにした。


「……分かった。もう首は突っ込まない。余計なこと言って悪かった」

「別にいいでゴザルよ」


けいは僕の肩から手を離すとニコッと笑った。

そして再びベッドに腰を下ろすと話題を変えた。


「話変わるでゴザルけど、明日学校何着ていくでゴザル?」


「そっか。そういえば明日からは別に何着て行ってもいいんだったね。でもよく考えたら洋服持ってないな」

「今度買いに行かないといけないでゴザルな」


「まぁ明日は制服にしとこうかな。和服で行ってもいいけど、とりあえず様子見ってことで。クラスの人たちとかが普段どんな恰好してるのか分からないし」


「そうでゴザルか。んーでもなー。拙者は制服あんまり合わんかったんでゴザルよ」

「サイズが、ってこと?」


「サイズは別に大丈夫でゴザったよ。んーなんというか、肌に合わないというか。とにかく落ち着かないんでゴザルよ」

「先生みたいなこと言ってるな」


「そういえば先生も和服じゃないと落ち着かないとか言ってたでゴザルな」

「じゃあ和服着ていくの?」

「そうするでゴザル」

「結構寒いからちゃんと羽織って行けよ」


「分かってるでゴザルよ。羽織を羽織っていくでゴザル。ん? 羽織を羽織るって合ってるでゴザルか?」


「さあ。元々は羽織を着ることを羽織るって言ってたのが、今は軽く肩にかける感じに着ることを羽織るって言うようになったんだと思う。だから多分合ってるんじゃない? 知らんけど」

「そうでゴザルか」



 その後、自分の部屋に戻った僕は一人で反省し始めた。


余計なことを言ってしまった。


あの瞬間、けいは頼むから放っておいてくれという顔をしていた。


何かを堪えるように口は固く結ばれ、瞳には諦念が満ちていた。


でも、本当に知らないふりをすることが正しいのだろうか。


親しき中にも礼儀ありという言葉がある。


さっきの様子からも分かるように、けいにとって天姉への気持ちを問われることは決して望ましいことではない。


しかし、だからといって気がついているのに気づいていないふりをして、兄弟があんな顔をするのを黙って見てるのが、はたして礼儀をわきまえるということになるのだろうか。


仮にそれが礼儀をわきまえることだったとして、そうすることが本当に正しいのだろうか。


たとえ本人が望んでいなくても、礼儀知らずでもなんでも、話を聞いて寄り添ってあげるほうが正しいような気もする。


そんなことを考えながら悶々としていると、スマホから着信音が。


桜からだった。


「もしもしー。私ですけど。今話せます?」

「うん。なんか久しぶりだね」


「はい。ご無沙汰してます。いや、ラッコーどうだったかなーと思って電話してみたんですけど」


「今日行ってみてやっぱり面白そうなところだと思ったよ。ここにして良かった」


「それはそれは。安心しました。私が勧めた手前、酷いところだったらどうしようかとハラハラしてました」

「別にそんなこと気にしなくていいのに」


「私もそろそろ入試で、それに無事受かったら四月からは先輩後輩の関係ですね」

「そうだね」


「ってか入試来週です」

「おーそうなんだ。頑張ってね」


「はい。頑張ります。でも頑張るためには入試の前にしておかなければならないことがあるんですよ。なんだか分かりますか?」

「へぇー何だろ。分からん」


「あなたに会わなければならないんです」

「? そうなんだ。なにゆえ?」


「元気と勇気と愛情を貰うためです」

「はぁ」


「いや、ツッコんでくださいよ。愛情なら毎日与えとるやろがいっ! って」


「? 最近会ってもないし電話もしてなかったと思うけど」


「いや遠くから念を送ってた的な、そんな感じの」

「?」


「もういいですよ。私がわけわからんことを言いました。どうもすみませんでした。ってか真面目な話マジで会わないとヤバいんですよ」

「どういうこと?」


「最近目を閉じたらあなたの姿が浮かぶから全然目閉じれないんです。そのせいでまったく集中できないし。しまいには夢にまで出てくるし。一体どういうつもりなんですか? 毎日毎日私の夢に出てこないでくれます?」

「桜は僕のことトラウマにでもなってるの?」


「さあ。なんか知らないですけど、最近ずっとそんな感じなんですよ。こんな状態で試験に臨むわけにはいかないじゃないですか。まぁそんなわけでして、この不可解な現象も本人に会ったら治るかなってことで、今週の土曜とか空いてます?」


「空いてるね」

「会いましょう」


「分かった。場所と時間はどうする?」

「そうですねー。初めて会った公園覚えてます?」

「うん」


「じゃああの公園にしましょう。時間は朝の十一時くらいにしときましょうか。大丈夫ですかね?」

「いいよ」


「ではそのように。夜分遅くに失礼しました。おやすみなさい」

「おやすみ」


通話が終了した後、僕は部屋の電気を消して布団に潜り込んだ。


色々考えたいことはあったが、明日も早いので今日はもう寝ることにした。

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