第8話

 靴を履きかけて昇降口を出たら、城戸が先に待っていた。

 ただそこに立っているだけで、華やかな男は視線を集める。

 帰路につく人々の視線を集め、時には「璃凪くんだ」と声を掛けられている。城戸はそれに穏やかに手を振って答えていた。


「まるでアイドルだな」


 つい零せば、城戸の視線が女子たちから真紘の方に向いた。


「先輩」


 城戸の視線を奪われた後ろの女子たちは不満そうな面持ちで真紘の方を見てくる。誰あの人、なんで城戸くんといるの、といった幻聴が聞こえるな、なんて思っていると。


「はい」


 と、城戸が真紘の方に手を差し出してきた。


「え、なに」

「手、繋ごう」

「は? なんで」

「さっきは繋いでくれたじゃん」

「あれは繋いでたとは言わないだろ」


 肩を竦めて横を通り抜ければ、城戸は長い足ですぐに真紘に追いつく。


「お願い」

「嫌だ。誰かと手を繋いで帰りたいなら、さっき手を振ってた女子にでも声をかけろ」

「なに。もしかして、嫉妬?」

「別に俺はモテたい願望はない」

「そっちじゃなくてさ」


 校門を潜り抜けてもなお、城戸が集める視線の数は凄まじい。離れて歩きたいところだが、城戸はぴったりと真紘のそばをついてくる。


「俺が女の子に構ってたから嫉妬してるんじゃないかなって」

「お前が誰に構おうが、お前の勝手だろ。大変そうだなとは思うけど」

「そうかな」

「不特定多数の好奇の目に晒されたり、声を掛けられたり、騒がれたり……俺だったらものの数分でうんざりすると思う。まぁ、俺がお前の立場に立たされることはないけど。よくやるなぁって」


 二度の事故を除いても、校内で城戸を見かけたことを何度かあった。大抵城戸は輪の中心にいて、さらにその外側の人々からも注目と興味を集めていた。

 恋愛好きな友人のひとりは「イケメン羨ましい」とストレートな嫉妬を燃やしていたが、真紘は眩しいものには眩しいものなりの煩わしさがありそうだとぼんやり思っていた。

 だが城戸の態度を間近で見いている限り、そういった憂いはあまり感じない。そもそも底の見えない男だ、上手に隠しているだけの可能性もあるけれど……もしそうだとしたら、まさに、アイドルである。


「え」


 城戸の驚いた声と表情に、真紘は気付く——無意識に彼の頭に手を乗せていたことに。


「あ、悪い。癖で」


 ほんの少しだけ、無理をしてなければいいと思っただけ。

 無理しているようには見えないし、なんなら真紘は彼に脅されている立場なのだから心配してやるのもなんだかおかしな話なのだけれど。


「癖って」

「な、なに。なんでそんなに神妙な顔してんの。そんなに髪触られるの嫌だったか」

「別に嫌じゃない。それで、癖って」


 別に嫌じゃなかったのにそんなに気になるものだろうか。

 変なやつだと思いつつ「弟がいるんだよ」と答える。


「だから、頑張ってる年下見るとつい撫でたくなっちゃうんだよ」

「へぇ……」

「悪かったな」

「なにも悪くない」


 城戸は自身の頭にそっと手を伸ばしたかと思うと、髪に触れる前にぴたりと止めて、体側に戻す。

 だいぶ気にしているように見えるが、本当に嫌じゃなかったのだろうか。真紘とは違って、お洒落には気を遣っていそうだし、無闇に触らない方がいいのかもしれない……まぁ、今日を越したら会うことすらなくなるかもしれないけれど。


「というか、適当に歩いてきちゃったけど」

「こっちで大丈夫だよ」

「どこ行くんだ」

「さっき一緒に決めたでしょ。俺の家って」

「えっ」


 たしかに、城戸はそんなことを言っていた。真紘も、少しでも早くあの場を切り抜けたくてそれでいいみたいなことを返した。


「本当にお前の家行くの」

「嫌なの?」

「別に嫌ってわけじゃないけど……」


 真紘と城戸がこれからするのは楽しいゲーム大会や真面目な勉強会などではない。第二性欲を発散するためのプレイある。といっても、真紘には壊滅的に性欲もなければ経験もない、城戸も真紘に変な興味を持っているだけ。果たしてまともなプレイになり得るのだろうか。


「自分の家でプレイするのに抵抗ないの」

「ないと思う」

「ないと思うって」

「うちに誰か呼ぶの、先輩がはじめてだから」

「……そういうワードを使うべき先は、俺じゃないと思うんだけど」


 思わず半目になれば、城戸はくすくすと笑う。


「きゅんとしてくれた?」

「全然」

「残念。でも、本当だよ。うちに誰かを呼んだのは先輩がはじめてだし、先輩が俺の部屋に来るの想像したら、あがる」

「はぁ」

「信じてない?」

「いや、別に」

「どういう別に?」


 城戸の言っていることが本当だとして、彼の部屋のはじめての客人になれることへの感慨はなかった。テンションが上がると言われるのは、悪い気はしないけれど。

 学校の最寄り駅につき、電車に乗る。途中で乗り換えて、普段は使わない路線の景色を眺めるのは少し楽しかった。

 城戸が降りた駅は、市内では高級住宅街と類されるところだった。

 駅から歩いて徒歩十分ほどで、高く聳えるマンションに辿り着く。エレベーターで上がった五階の角部屋が、彼の住む家らしかった。


「お邪魔します」

「誰もいないよ。うち、共働きだから」

「そうなのか」


 実はうっすら手土産もなしにお邪魔しちゃ悪かっただろうかとも思っていた心がちょっぴり軽くなる。

 靴を脱ぎ揃えて上がり、城戸に先導されるまま手洗いを済ませて彼の部屋に向かう。

 真紘の部屋よりも二回りは広いそこは、整然としていた。ベッド、机、本棚とプラスチックの衣装ケース。淡い色を基調としたそれらが壁に沿うようにして配置されている。家具以外のものは床に置かれておらず、フローリングのつるりとした床が広々と晒されている。机上にテキストが広げられているのが少し意外に思った。噂で彼が成績優秀なのは聞いてはいたけれど、なんというか、ちゃんと勉強しているんだなと感心した。


「ねぇ、先輩」


 真紘を先に部屋に入れた城戸が、ドアを閉める。


「先輩って迂闊って言われることない?」

「え?」


 と、城戸の方を振り返ったとき。城戸は後ろでに、部屋の鍵をかちゃりと閉めた。

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