第6話
尋ねて回答を得たものの、真紘はにわかに信じることはできなかった。
城戸がSwitchという噂は聞いたことがない。真紘が偶然目撃した二度のプレイでも、彼は優位にいた。昨夜もDomとして、Subの女を数多侍らせていた。
「先輩って、本当に鈍感だ」
城戸は猫のように瞳を細めると、真紘の手を掴み、指を絡めた。
「普通のDomだったら、Subから物を与えられたり、世話焼かれたり、こうやって甘えられたら、本能燻られるものだよ。そもそも、こんなにオーラも出してるのに。先輩はちっとも気づかないどころか、俺がSubだって信じられないって顔してる」
繋いだ手を城戸は自身の方へ引き寄せると、すりと頬擦りした。
「昨日の奴のGlareもちっとも効いてなかったみたいだし。こんなことしても先輩からはDomの気配が全然しないし。第二性欲がよっぽど薄いのかなぁ」
やわらかな風が吹き抜け、城戸の金髪がふんわりと靡く。その隙間から覗く、やわらかな影を伴った上目の微笑がそっと深まる。
「ますます先輩とプレイしてみたくなっちゃった」
ああ、どうしたものか。
オーラも欲もちっとも分からない、言葉だけではとてもじゃないが信じがたい。揶揄されているのではないかと思ってしまうけれど。
「あとで俺の保険証見せてあげる。そうしたらさすがに、信じてくれるでしょ」
なんて臆面なく告げてくるあたり、本当に城戸はSwitchなのかもしれない。そして、彼がSwitchだというのならば、真紘にはもう抵抗の余地がなかった。
城戸の言う通り、真紘は受験生で、我が校はバイト禁止。しかもそのバイト先がプレイクラブとなれば、学校からどんな処遇を下されるか、家族にどれだけの心配と迷惑をかけるか。想像すらしたくない。
「……言っとくけど、俺はプレイを一度もしたことない。できる限り頑張るけど、下手くそでも文句言うなよ。ちゃんと、約束は守れよ」
「ねぇ、先輩」
「なんだよ」
「顎にも牛乳はねてる」
城戸がハンカチで真紘の顎をそっと撫でる。
「はい、とれた」
「ありがとう」
「やっぱり、勘違いじゃなかったみたい」
きょとんとした真紘が城戸を見れば、城戸もこちらを見ていた。
その視線が絡んだとき、真紘の心臓がひとつ、大きく鳴った。
「さっきも、今も。俺、先輩の言葉で興奮してる」
城戸の、薄色の瞳の輪郭がかすかに溶けていた。白雪のような頬がほんのり淡く染まっていた。
「なんで」
さっきって、いつ。今のどこに興奮要素があったのか。ちっともぴんと来ていない。
だが、揶揄と思うには、演技と思うには、あまりに鮮明で繊細な色彩がそこにあった。
はじめて覚える心音が真紘の胸の中にあった。
「先輩って不思議な人だ」
城戸はふっと笑うと、ただでさえ近い距離を詰めてきた。
「先輩と話してると、なんか、変な感じがする」
不思議なのも変な感じを齎してくるのも圧倒的にお前の方だ、と真紘は思う。しかし、興奮を滲ませた城戸の姿に、妙に甘く婀娜っぽくなっていく空気に、真紘は喉に何かが引っ掛かっているみたいにうまく言葉を吐けない。
「これまでにDomのことを抱いたSubってどれくらいいるのかな」
「は……?」
「俺、先輩のこと、抱いてみたくなっちゃった。ねぇ先輩」
城戸の体重がまひろの方にかかる。
「セックスしよ」
低く掠れた声が耳元で囁かれる。
掛けられる体重に、甘ったるいプレッシャーに、飲まれそうになるけれど——。
「プレイだけって約束だろ!」
「っった!?」
はっとした真紘は咄嗟に城戸の股間に蹴りを入れた。飛び退いた城戸が日陰と日向の狭間に悶え転がっていく。
「不能になったらどうしてくれんの」
「知るか」
「先輩って結構好戦的なタイプだよね」
「白昼堂々襲ってくる輩に対する正当防衛だろ」
「俺が脅し草持ってるの分かってる?」
やっぱり、自分でも脅しと思ってるじゃないか、こいつ——真紘はため息をひとつ吐く。
「お前から言い出したんだろ。プレイをする代わりに消すって」
「俺がその約束を守るとは限らないでしょ」
「そうしたらお前を軽蔑する。それだけだ」
握られてしまった質を学校に晒されるのは、本当に想像もしたくない展開ではある。だからといって強引に証拠隠滅を働いたり、媚び諂うことはしたくなかった。真紘とて自分が規則を破っている自覚がある。そこによくないことを上塗りするのはなんとなく嫌だった。
真紘がきっぱりそう言うと、床で悶えていた城戸がぴたりと止まった。それから、ぷるぷると震え出す。
「城戸?」
そんなに蹴りどころが悪かったのだろうか。
正当防衛だと思ったのは本心だが、急所を狙ったのはやりすぎただろうかと真紘が近づこうとしたら、ぷっと声が漏れ聞こえてきた——それから、城戸は思いきり笑い出した。
なにがそんなに彼のツボに入ったのか、ぽかんとする真紘の横で城戸はしばらく盛大に哄笑した。それが少し落ち着いた頃にようやく「そうだね」と形のある言葉を発した。
「先輩に軽蔑されたくはないや」
まだ乱れたままの呼吸をしながら、城戸はゆっくりと上体を起こす。
「でも、口説くのはいいよね。抱かせて欲しいってアピールするのは、約束違反じゃないでしょ」
「いや、別に俺じゃなくても……誰かとやりたいなら、お前なら選り取り見取りだろ」
「誰かとじゃなくて、先輩としたいんだよ。先輩のことを、触って、舐って、とろとろにしたい」
少し離れた距離から真紘を捉え、うっとりと見つめてくる様は、まるで獲物を見つけた肉食獣だ。その態度も、抱きたいという言葉も、まるで世間的なSubの印象とはかけ離れている。本当にこいつはSub……というかSwitchなのだろうか。性懲りもない疑念を抱くと同時に、不思議が増す。
偶然の遭遇が三度続いたからって、真紘がちょっと特殊な体質を持ってるからって、そこまで関心を持つものだろうか。
真紘の容姿は平凡。性の面においては魅力も経験も皆無。そこが城戸には物珍しく見えて面白いと思われているのかもしれないけれど。それでも、自分で言うのもなんだが、わざわざ口説いてまで遊んでみる価値のあるおもちゃではないと思う。よっぽど、暇を持て余しているのだろうか。それとも、いかにもモテそうな彼にとって、靡かない真紘はよりいっそう面白おかしくうつったのか。
もし、そうならば——きっとこれも、所詮いつか過ぎ去っていく青嵐だ。
真紘が今まで何度もかち合ってきたちょっとしたトラブル、けれど時を待てばどうにかなってきたトラブルと同類に違いない。
今の城戸がどれだけ暇でも、真紘に興味を持っていたとしても。
真紘の下手くそなプレイを浴びたら。時間が経って冷静になったら。他の面白いおもちゃを見つけたら。その好奇心はあっさり萎れるだろう。城戸がいつまでも真紘を口説き続ける未来は、真紘が城戸に抱かれる未来はちっとも想像できない。
性に奔放な城戸と性に疎い真紘の奇妙な異文化交流は、そう遠くないうちに終わりを迎えるはずだ。
「好きにしたら」
それでも、今の城戸はどうやら真紘に興味津々だ。まだほんの少ししか関わっていないが、彼が口達者で底の見えない、なんとも食えない男であることも感じている。あっさり引いてくれるとも思えない。
口説かれて損なうものもないだろうから、それならば放っておくのが一番だろう、と真紘はため息まじりに応えた。
「うん。好きにする」
城戸はそっと眦を細めた。
「ね。先輩、プレイはいつする? 今日の放課後、空いてるよ、俺」
「今日の放課後は無理だ」
「えー、バイト?」
「さっきも言ったけど、俺はプレイしたことないんだよ。脅されてとはいえ、するなら、多少は勉強したほうがいいだろ。下手なプレイをすると、Subに負担がかかるって聞くし」
これだけ飄々強かな城戸であれば、真紘がどれだけ下手でも対して影響を受けなさそうだ。だが、やるからには出来うる限り嫌な思いをさせないように準備をしたいというのが真紘の心情で、せめて一日は勉強の時間を取らせろと訴えれば、城戸は愉快げに笑い出した。
「いいよ。じゃあ、明日ね。明日の放課後、プレイしよう」
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