「それ」は静かに動き出す(3)

「伝令! 伝令! しばし、しばしお待ち下さりませ!!」

 単騎で駆けてきた軽装の戦士が声を張り上げ、数十人からなる行列を止める。

 軽装といっても、正装であった。形式美より機能性をとるエレステルでは、実戦装備のカスタマイズが認められており、専用装備を持つことこそが一種のステータスであるため(ただし支給品の改造費および補修費は軍から支払われない)、格好が統一されるのは式典や登城のときくらいである。馬で駆けてきた男は準正装と言える軍隊式ジャケットに上質な革の胸当てをつけていて、その出で立ちは中央政府に属する伝令兵であることを示しており、伝令を受ける行列の主もまた、相当な人物であることは間違いない。

 伝令兵は最も大きな馬車のドア前で下馬して跪き、また溌剌と口上を述べた。

「御引き留めして申し訳ございません! エレステル最高評議院より書状をお預かりして参りました」

「うむ―――」

 それほど間を置かずにドアを開いたのはダカン=ハブセン、そして奥から現れたのはサジアート=ドレトナである。

 サジアートが降車すると若い伝令兵はさらに頭を下げる。地方領主の特例あってのこととはいえ弱冠三十四歳で最高評議院に席を置くサジアートは、若者たちの羨望の的なのである。

「………」

 差し出された封書を手にしたサジアートは目を細める。

「確かに受け取った。貴様、名は?」

「ラニエル=スクィートと申します」

「ダカン、ラニエルと馬に水と食料をやれ」

「畏まりました」

「あ、ありがとうございます…!」

 再び首を垂れるラニエルを視界の隅に置き、サジアートは封筒を部下の一人に開かせる。封筒から取り出された三つ折りの書状を受け取ると馬車のタラップに腰を下ろし、水を飲む伝令兵の前で自らは淹れたての紅茶が入ったカップを手に取り、口をつける。が…

「………何!? そんなことが……バカな!?」

 書状に目を通したサジアートがカップを落とす。カップは音を立てて砕け散る………ことはなく、茂っていた雑草に受け止められて欠けることもなかった。しかしただならぬ気配にラニエルは思わず聞き返してしまった。

「な、何があったのですかドレトナ様!」

「ラニエルよ…貴様、噂を耳にしていないか?」

「噂……ですか?」

「そうか。知らぬのも無理はない、任務のために不眠不休でやってきたのだろうからな…。実はここ数日、ある奇妙な噂が流れていた。バレーナ様とアルタナディア女王が決闘し、我らがバレーナ様が敗北したらしいと」

「はあ?」

 ラニエルが首を傾げるのも無理はない。バレーナはブロッケン盗賊団に自ら斬り込んでいった勇猛果敢な黒百合の戦姫。かたやアルタナディアは入国パレード(一般民衆の間ではそう捉えられている)で見た限りでは華奢で大人しく、それこそティースプーンより重いものを持ったことがなさそうなイメージだ。決闘の場に立つ姿そのものがイメージできるはずもない―――ラニエルの頭の中を見透かしたようにサジアートは頭を抱えた。

「貴様がそのような反応をするのも当然だ、私とてそのような戯言を信じる気にはなれなかった。だがここだけの話な……ここしばらく、バレーナ様はお出ましになっていない。病で伏せっておられると私は聞いていたのだがっ……だがっ!」

「ま、まさか…!?」

「あのアルタナディアがバレーナ様と一騎打ちなどできるはずなどない、必ず何か、騙し打ちのようなことをせねばこうはなるまい! そしてバレーナ様のことを隠していた最高評議院の一部勢力……はっ!? まさか突然現れたアルタナディアと通じていたのか!?」

「そ、そんな…!? それでは反乱―――」

「口を慎め!」

「も、申し訳ありませんっ!!」

 身を岩のように硬直させ、縮こまるラニエルだったが、サジアートは静かに歩み寄り、膝を曲げて若人の肩を叩く。

「わかる…わかるぞラニエル、お前の憤る気持ちが。伝令兵とはいえ、その若さで最高機密を預けられるほどだ。実力、精神力…そして何よりエレステルへの忠誠心に溢れる将来有望な戦士の一人に違いない。先王が急逝し、今こそ我らが一致団結しなければならないというのにこの様はなんだ! バレーナ様を幼いころよりお側で見てきた私は……胸が張り裂ける思いだ!」

「ドレトナ様…!」

 書状を握りしめ、天を仰ぐサジアート。その姿を見上げるラニエルの瞳は潤んでいるように見えなくもない―――。

「ラニエルよ、このことは胸に留めておけ。決して、決して口外するなよ…? だがこのまま横暴が許されるはずもない……もし事が起こったその時は、私のこの身を正義に捧げよう!」

「その時は自分も正義を貫く所存です…!」

「そうか! 貴様のような忠義の士こそ国の宝だ。ではその時は、頼んだぞラニエル」

「お任せ下さい! このラニエル=スクィート、正義のために闘い抜くことを誓います!!」

 決意を固めたラニエルは解き放たれた矢のように去っていった。その馬の疾駆する姿を見送りながら、サジアートは紅茶のおかわりを受け取る。

「おうおう、さすが中央に配属されるだけあって速いな……これなら噂もすぐに広まるだろう」

「サジアート様、書簡には何と?」

 ダカンの質問に答えるようにサジアートはくしゃくしゃの書状を投げ渡す。

「バレーナとアルタナディアが決闘したことが噂となって漏れているが、静観するように。噂を信じて騒ぎたてる者などが現れた場合、これを穏やかに鎮静化するように―――とのことだ」

「サジアート様が成されたことは真逆のことでございますが」

「当然だ、噂の出所は俺なのだからな。しかし予想以上に早く広い範囲で浸透している……貴様の手並みも見事だぞ、ダカン」

「恐れ入ります」

 サジアートの計画通り―――極めて順調であった。多数の都市で同時多発的に噂を流す。噂そのものは突拍子もないものだが、しかし問い詰められれば中央や最高評議院は否定しきれない。なにせ、まずバレーナがいない。それが致命的である。アルタナディア女王が来訪したが、なぜバレーナ様のお姿が見えないのか?―――思い返せば皆気付く。ここでさらに最高評議院に謀反の疑いをかけ、サジアートはエレステルにいないバレーナを奉りあげることで正当性を謳うのだ。

 もちろんサジアートが動かせる兵数は多くはなく、同調する領主と合わせてもその勢力は知れている。これから味方をどれくらい集められるかが肝だが、今回は根回しをしない。時間をかければ情報の精査が問われ、噂は噂でしかなくなってしまう上に、その間にバレーナが帰ってくる可能性も十分にある。ここは電撃的に作戦を実行するのがベストであろう。書状には「静観するように」―――つまり動静を見る、とある。すなわち中央は情報が不足しているか、手が出せないということ。たとえサジアートが犯人だと予想していても確定する証拠はないはずだ。当然準備も整っていない。中央の第一・第二大隊は合同演習が終わって解散したばかりで再集結は難しく、イオンハブスの兵も帰路に着いて国外に出た。現状で脅威となるのは国境警備に就いている第三から第五の大隊だが、サジアートが中央に迫れば迫るほど持ち場を離れて追う事ができなくなる―――……

「完璧だ…」

「盤石でございます」

 こんなバカみたいな作戦、思いついても実行に移しはしない……だがそこにつけ入る隙がある。もちろんそんな綱渡りのような想定だけで突撃したりはしない。予防策は十重二十重と巡らせてある。最大の要点はどの時点で勝利とするか、ということだが―――……

「…フッ。ダカン、行くぞ」

「はっ」

 ダカンは馬車のドアを開け、サジアートに続いて乗り込む。

 隣でほくそ笑むサジアートを盗み見、ダカンは改めてこのサジアートという男を推し量った。サジアートは自ら王になると公言しながら、それを戯言だと一笑に付されてきた男だ。無理もない、ダカンが仕え始めた十年前、まだ十歳に満たない幼女にアプローチを開始していた男である。頭がおかしいと思われても仕方がない……。

 しかしそんな奇抜な行動ばかりがサジアートの全てではない。むしろ貴族としての素養を誰よりも備えていると言えよう。それを示した一つが先程の伝令兵とのやり取りだ。一目で相手がいかほどの者か見抜いたサジアートはすぐに相手の名前を呼び、労い、軽食ではあるが食糧を与えた。すなわち略式ではあるが勲功を認め、褒賞を与えているのである。こうされれば兵士は誰しも弱い、というところを確実に突く。サジアートは功名心をくすぐる術を貴族として、天性の素質として持っている。

 間違いなく人の上に立つ器なのである。王になる器ではないと笑われながらも、この男ならばひょっとしたらやってくれるのではないかと期待してしまう―――それがサジアート=ドレトナなのである。

(これは挑戦なのです……私にとっても)




 サジアートは挙兵する。人生まだ三十四年、されど三十四年―――己を賭けてみるには、絶好の頃合いであった。




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