第7話 第四写(上)果たして受けてよい依頼なのだろうか。

 第四写


 その日、その客たちが帰ったあと、店主はずっと考え込んでいた。おそらく自分にできない依頼ではない、ただ、果たして受けてよい依頼なのだろうかと。


「それでは、お二人のお名前とお年を伺いましょうか。」

 その日も、いつものように店主は客にソファーを勧めそう尋ねた。客は硬い表情の若い男女の二人連れ。男性の方が若干年上か。

「笠松史郎です。二十九歳です。」

「妹の佳乃です。二十六歳です。」

「ご兄妹でいらっしゃいますか。とすると、親御さんのお話でしょうか。」


 兄妹で顔を見合わせてから、兄の方が口を開いた。

「はい。五十二歳になる母のことでお願いがあり参りました。」

「お母様のことですね。それで、お母様はどうされたのですか。」

 店主の問いに、少しの沈黙のあと、話しづらそうに史郎が答えた。

「あの、実は、母は三年前にガンを患いました。最初の手術はうまくいったのですが、その後再発してしまい、また手術も行い、今は自宅療養で抗がん剤治療を行っています。」

 そう言って史郎は口を閉じたが、店主は兄妹が話を続けるのを待った。


「再発時のショックはいったん乗り越えたようで、母は今、抗がん剤治療の辛さに耐えて頑張っています。ただ、この先の不安もあり、最近は元気をなくしがちなんです。」

「抗がん剤投与を受けてからの数日間は、吐き気が続き、辛そうで、見ていてとても切なく感じるんです。」

 史郎の言葉を佳乃が継いだ。 


「そうでしたか。このようなことしか申し上げられず恐縮ですが、心からお見舞い申し上げます。」

 店主は頭を下げそう言った。

「そんな母の姿を見るのは私たちもとてもつらいのですが、見守るくらいしか、二人にできることが見つからなかったのです。」

 佳乃はそう言い唇を噛んだ。


「お気持ちお察しいたします。」

「ところが、先日、この写真館のことを聞きまして、ほかにも二人にできることはないかと思って、今日ここに来た次第です。」

 史郎が軽く頭を下げた。

「そうでしたか。そうしますと、今日お越しになったのは、何かお母様のお力になれるものをということでしょうか。」

「はい。」


「それならば、もしかしたら、写真館として、お手伝いできることがあるかもしれません。」

 史郎の言葉に対して、店主は慎重に言葉を選びながら話した。

「ありがとうございます。そうお願いできれば助かります。」

 史郎が言い、今度は兄妹で頭を下げた。


「そうしましたら、お母様のことをお話しいただけないでしょうか。もちろん、お話しいただける範囲でかまいませんので。」

「はい。私たちは、早くに父を事故で亡くしています。父が亡くなってから、母はひとりで私たち兄妹を育ててくれました。」

「とても働き者で気丈な母なのです。」

「私たちは高校を出たら働こうとしたのですが、母はそれを許さず、二人とも大学に進学しました。」


「進学費用を出すのも大変だったと思いますが、三年前に、ようやく私も就職しました。それで、やっと母に楽をさせてあげられると思いました。」

 史郎と佳乃が交互に答えた。

「そうでしたか。その時はお母様は安心されたでしょうね。若い頃のお母様は、どんな方でしたか。」

 店主が言葉を継いだ。 


「若い頃の母はとても活発で、ひとりで海外旅行に何度も行ったそうです。詳しいことは教えてくれてはいませんが、父と知り合ったのも、ひとりで行ったハワイ旅行の最中だったそうです。」

「私たち子供が大きくなったら、家族で海外旅行に行くのが父と母の夢だったようです。しかし、父が亡くなって、その夢を果たすところではなくなってしまいました。」


「お父様もさぞやご無念だったでしょうね。」

 店主は目を伏せながら言った。 

「はい。それでも、母は家族で海外旅行に行く夢を捨てませんでした。母の口癖は『将来お金を貯めたら、三人で絶対海外旅行に行こうね』でした。私たちの成長もそうですが、それも母の心の支えだったようです。」

「それで、私も就職したので、母へのお礼の気持ちを込めて、父と母の出会いの場所であるハワイに、三人で旅行することを計画したんです。そんな矢先に、母にガンが見つかりました。」

「そうだったのですか。」

 店主は再び目を伏せた。 


「最初の手術が成功したので、母も私たちも安心しました。ハワイ旅行はいったん延期しましたが、母の体力が回復したら、必ず行こうと思っていたんです。」

「そして、そろそろ旅行に行っても大丈夫かなと思った時に、再発がわかったんです。」

「それはお母様にとっても、お二人にとっても大変お辛いことかと思います。写真館としても、なんとかお力になれたらと存じます。」

「そう言っていただけると、本当に助かります。それで、お願いしたいことは……」

 途中で口ごもった史郎に代り、店主の目を見て佳乃が続けた。


「私たち三人のハワイ旅行の写真が欲しいのです。」

「えっ。」

 いつも客の依頼に穏やかに対応している店主が、驚きの表情を見せた。

「それはつまり、まだ行っていない三人でのハワイ旅行の写真が、ご入り用ということですか。」

「はい。それは無理なお願いでしょうか。」

 佳乃は再び店主の目を見て言った。


「無理というよりは、それをお母様はどうご覧になるか……」

 今度は店主が口ごもった。

「失礼ながら、AIが作った写真と母には言います。この光景をぜひ実現させようと言えば、母はきっと元気が出ると思うんです。」

「母の、いえ、三人の夢がより具体的にイメージできて、母にとって、治療を進める力になると思うんです。」

 史郎と佳乃が、代わる代わる身を乗り出して言った。

「「ご無理は承知ですが、ぜひお願いしたいのです。」」

 二人の声が揃った。


「少し考えさせていただけますか。明日にでも電話いたします。」

 珍しく、店主は即答できなかった。


 二人が帰ったあと、店主は考え込んだ。これまで依頼に応じてきた写真は、それぞれ実際にあった光景である。店主はそれをプリントやデータとして再現したに過ぎない。しかし今回は父母はともかくも、史郎と佳乃はハワイには行っていない。三人での旅行というならなおさらだ。


 技術的に自分にできるかできないかといえば、おそらくできる。ただ、写真とは文字通り、「真」を「写す」ものである。今回依頼に応じたとしたら、自分は写真以外のものを作ることになる。兄妹が用意した「AIが作った」という「種明かし」に、そのまま乗ればよいというものではい。


 とはいえ、技術的にできないと言って断ることは正直ではない。それに何より、母を元気付けたいという兄妹の願いには応えてあげたい。もし断れば、母を力付ける機会をひとつ奪ってしまう。

 その時、先日、自分が白鳥美香に言った言葉を思い出した。

「私も、写真というものをもっと自由に考えてよいのかもしれないですね。」


 そう、百パーセント「真」ではなくても、写真の根っこのところに、「真」あればよいのではないか。それに、そもそも、どの依頼者の想いも、「真」以外の何者でもない。

 そう思ったところで、店主はしばらくの間目を閉じた。まるで何かの光景を、必死に思い出すかのように。


 翌日、店主は兄妹に電話をかけた。

「ご依頼の写真ができましたので、写真館にお越しになって下さい。」

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