第5話 第三写(上)まるで目の前の光景から、何かヒントを探るかのように。
第三写
その困惑した表情の濃紺のビジネススーツ姿の女性が写真館にやってきたのは、夜の帳が商店街に下りようとする頃だった。このあと習い事にでも行くのか、肩から下げたバッグからは、編み棒のような棒が二本、緩んだファスナーの隙間からほんの少しだけ頭を覗かせている。
写真館の営業時間ももうすぐ終わりだが、店主はいつもの穏やかな表情で、女性にソファーを勧めてから名前と年齢を尋ねた。
「白鳥美香です。四十四歳です。」
「そのお姿ということは、お仕事の帰りですか。」
店主は美香のスーツやバッグにちらりと目をやってそう言った。
「はい。」
「それはお疲れのところ、ありがとうございます。ということは、お仕事関係のことで、お越しになられたのでしょうか。」
「はい。実は、部下の新入社員の指導のことで参りました。」
「今の若い方はしっかりしているという印象がありますが、それでも指導となればご苦労がおありなのでしょうね。」
店主は、先日写真館を訪れた学生の姿を思い浮かべながら言った。
「ええ、まあ。」
美香は困り顔でそう答えた。
「それでは、詳しくご事情お聞かせ願ってよろしいでしょうか。」
「はい。私は日用品を扱う会社の開発部門の課長を勤めているのですが、弊社では、若手職員に積極的に新商品のアイデアを出させています。社内のプレゼンで通れば、新人のアイデアでも商品化されるので、若手職員の励みになっています。」
「とすると、お困りはプレゼンに関してということになりますか。」
「はい、そうです。山崎みのりという新入の女性社員のことなのですが、なかなかよいアイデアを出せず、プレゼンの結果も散々で四苦八苦しているのです。」
「失礼ながら、そうした部下にアドバイスを行うのは、開発部門の課長さんとしてはお得意なのではないでしょうか。」
店主は少し首を傾げて言った。
「そうなんですが、山崎はとても優秀な成績で入社試験を通った社員なのです。実は私も面接官を行ったのですが、発想が独創的で、これは絶対に欲しい人材だと思いました。」
「私には開発の現場はよくわかりませんが、それならば、課長さんの少しのアドバイスで十分な気がいたしますが。」
「それが、私から見れば、よいアイデアが出ないと言ってもあと一歩なのです。何か殻を被っているようで、その殻を破れれば、斬新なアイデアを出せるはずです。なので、彼女には自力で殻を破ってもらいたく、直截的なアドバイスは行わないでいるのです。」
「そうですか。新入社員の育成もなかなか難しいものなのですね。それで、白鳥さんとしては、どうされたいのでしょうか。」
店主は再び首を傾げて言った。
「私には、彼女が『会社』とか、『商品』とかといった、何か制約に縛られているように感じてならないのです。そうした制約から離れて、ひとりの若者としての彼女の視線で、ものを見てほしいのです。」
「そうですか。そうしましたら、その方には彼女らしさを発揮してほしいということでしょうか。」
「はい。私の言葉ではなく、何か彼女の気付きに役立つものがあるといいのですが。」
「わかりました。それならば、写真館として、お手伝いできることがありそうですね。」
「ありがとうございます。」
美香の表情に明るさが出てきた。
「そうしましたら、その新入社員さん、山崎さんとおっしゃいましたか、山崎さんのお話を聞かせて下さい。白鳥さん、お時間は大丈夫ですか。」
「このあと少し別用がありますが、まだ大丈夫です。」
美香は自分のバッグに目をやってから、そう答えた。
「先ほど、面接試験の話が出ましたが、そこでのお話を伺うのがよさそうですね。」
「はい。少し前置きを話させていただくと、今はどの学生も面接対策をしっかり行ってきます。ネットには想定問答があふれていますし、そうしたセミナーも盛況です。」
「それは会社にとってはどうなのですか。」
「しっかり対策を行ってくる学生の努力は汲んであげたいのですが、どの学生もみんな同じ答えをしてくるので、差を付けられなくて困ります。」
「それでは、面接官はどうされるのですか。」
「こちらとしては少し意地悪な質問もしたいところですが、あまり変な質問をしたり、ましてや昔はよくあったいわゆる圧迫面接を行ったりしたら、ネットであっという間に広がって、会社の評判が下がってしまいます。」
「それは難しいところですね。」
「なので選ぶ側としても、許容される範囲で変化球を投げて、相手の反応を見るしかないのです。」
「つまり、ストライクゾーンぎりぎりを狙うのですね。」
「はい。それで、彼女たちの面接の際に使った質問に、『あなたの企画した商品の評判が散々で売り上げも振るいませんでした。その時あなたはどうしますか』というものがありました。」
「それは写真館にとっても身につまされる質問ですね。学生さんたちはどう答えるのですか。」
店主は店内をちょっと見回してからそう言った。
「大抵の学生は、『ネットで検索してその商品の評判を見て、お客様の立場から改善点を考える』とか、『より多くの視点から見ることができるよう、商品化のプロセスを見直す』とか答えます。」
「私でもそう答えるでしょうね。山崎さんはどう答えたのですか。」
「彼女が『ネットで検索してその商品の評判を見て』と言ったので私どもは『またか』と思ったのですが、彼女はそこからが違いました。彼女は『悪いと言われた点を直すのではなく、そこを更に目立たせて再発売する』と答えたのです。」
「それはどういうことですか。」
店主は驚いて尋ねた。
「我々もその意図を聞いたのですが、『もちろん更に売れないと思いますが、商品化できたということは、その商品に対して自分としては自信があったのだと思います。なので何がいけなかったかという点を、自分に叩き込む必要があると思います』とのことでした。」
「それが面接としては正解なのですか。」
「実はこの問題に正解はないのです。」
美香は少し笑顔を見せて言った。
「とおっしゃいますと。」
「商品化とその後の評価プロセスは、社内にもちろん標準的なものがあります。ただ、面接ではそれと同じものを求めている訳ではありません。新しい人材を採るには、今いる社員と異なった発想ができるかどうかがポイントになります。なので正解というものはないのです。」
「それでも山崎さんは合格だったのですね。」
「そうですね、会社としては商品が売れないと困るのですが、面接でそういうことが言える独創性や度胸を買いました。もちろん、その一問だけで決めた訳ではありませんが。」
「とすると山崎さんには、入社試験の頃の自分らしさを思い出してもらえればよいでしょうか。」
店主は店主にしては珍しく、少し自信なさげにそう言った。
「はい。なんとか彼女らしさを思い出してもらえればと思います。」
「自分らしさ、自分らしさ……」
店主はそう言って少しの間目を閉じた。そして目を開き美香の姿を一瞥し、また目を閉じて考え込んだ。まるで目の前の光景から、何かヒントを探るかのように。
そして、目を開いてこう言った。
「明日またここに来ていただけますか。お役に立てる写真がご用意できると思いますよ。」
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