第3話 第二写(上)まるでその時の光景を、しっかりと思い浮かべるかのように。
第二写
その日写真館にやってきたのは、二十歳過ぎくらいの、思い詰めたような表情をした若い女性。成人式や卒業記念の写真撮影で若い女性が写真館を訪れることはあるが、ひとりでやってくることは珍しい。
とは言え店主は他の客と変わらず、女性にソファーを勧めてから名前と年齢を尋ねた。
「池野双葉です。二十二歳になりました。」
「二十二歳ですか、とすると働いていらっしゃるのかな。それとも学生さんですか。」
「大学生です。来年卒業になります。」
「人生の転機の季節ですね。いろいろ悩まれることもあるかと思います。」
客の緊張をほぐそうとしてか、店主は柔らかな語調で話を続けた。
「今は就職活動の時期は以前よりずっと早いと聞いていますが、もうお決まりですか。」
「おかげさまで、第一志望のところから内定をいただきました。」
「それはよかったですね。ただ、それにしては浮かないお顔をされていますね。とするとご友人かどなたかに、就職活動がうまく行かなかった方がいらっしゃるのでしょうか。」
双葉は、しばしの逡巡ののち話し始めた。
「実は、私には大学に入ってからお付き合いを始めた方がいて、お付き合いももう三年になります。」
「その方のお話なのですね。」
「はい。彼も熱心に就職活動に取り組んでいたのですが、競争率の高い業界を志望していてどこもうまくいかなくて、結局は志望とは異なるところから内定をもらいました。」
「そうですか。難しいものですね。それで、彼氏さんは、今はどうされていますか。」
「すっかり落ち込んでしまっていて。いえ、彼は優しい人なので、私と一緒にいる時には以前と同じように振る舞っているのですが、私にはわかるのです。」
「志望以外のところに入っても、後で考えれば、それでよかったということはあるのですけれどね。」
「私もそう思います。彼が内定をもらったところも、とてもよい会社なんです。ただ、私が第一志望のところに内定をもらったので、それと比べてしまっている感じなんです。」
店主はちょっと困った表情を浮かべた。
「それは少しやっかいですね。別に池野さんに何か落ち度がある訳ではないですし。」
「そうなんです。私も彼の前でははしゃがないようにしています。」
「励ます、というのも違う感じがしますね。」
「そうなんです。これは彼の前では言えないのですが、私にだって働くことについて不安がない訳ではないんです。」
「それはそうですよね。では、池野さんはどうされたいのですか。」
「彼とはこれからも一緒に人生を歩んでいきたいし、お互い支え合いたいと思っているのですが……」
「そうしたら、彼氏さんのお気持ちの問題でしょうか。それならば、写真館として、お手伝いできることがありそうですね。」
店主はいつもの穏やかな表情に戻ってそう言った。
「そうですか!ありがとうございます。お願いできれば嬉しいです。」
双葉の表情にも明るさが出てきた。
「そうしたら、お二人が出会われた頃のお話を伺ってよろしいでしょうか。」
「二人は、あの、店主さんの前で言うのはちょっと恥ずかしいのですが、大学の写真部で出会ったんです。」
「恥ずかしいことは全然ないですよ。」
「私は写真に全然詳しくなくて、スマホで撮った写真をフォトブックにしてみたいな、くらいの気持ちで入部したんです。」
「それはいいきっかけではないですか。」
「彼は高校から写真部に入っていて、デジタルだけでなくフィルムでも撮っていました。白黒写真の暗室作業もできて、いろいろ教えてもらいました。」
「それは頼もしいですね。うちはいまだにフィルム中心で、デジタルには四苦八苦しているのですよ。いや、余計なことでしたね。」
「いえ。それで、そうやって教えてもらっているうちに段々親しくなって、一緒に出かけるようになったんです。」
「どんなところに行ったのですか。」
「最初は公園とか動物園とかへ、写真を撮りに行くっていう感じだったのですが、映画に誘われた時は、『あ、これはデートかな』と思いました。」
「その時の池野さんのお気持ちは、どのようなものだったのでしょうか。」
「彼との距離が、段々と縮まってくることが嬉しかったです。」
「それで、これはどうにもお伺いしづらいのですが、お付き合いされることになったのはどのような状況で……」
「は、はい。私の実家の近くの神社で花火大会があって、それを二人で見に行きました。そろそろ花火が終わろうかという時に、彼が『来年も再来年もこの花火を君と一緒に見たい』と言って、私が『はい』と。」
「わ、わかりました。」
店主は照れた表情で双葉の話を遮った。
「その時はお二人とも、これからも一緒にいたいと思われたのですね。」
「はい。私は今でもそう思っていますし、彼もそう思ってくれていると信じています。」
「少しお待ち下さいね。」
店主はそう言って少しの間目を閉じた。まるでその時の光景を、しっかりと思い浮かべるかのように。
そして、目を開いてこう言った。
「明日またここに来ていただけますか。お役に立てる写真がご用意できると思いますよ。あ、そうそう、その前に、私とラインでお友達になっていただけますか。いえ、この件が済めば解除してもらってかまいませんので。」
店主はスマホを取り出したが、自分のアカウントのQRコードを表示させようと四苦八苦した。見かねた双葉が手際よく店主に操作を教え、無事友だち登録を終えた。
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