想い出写真館

結 励琉

第1話 プロローグ~第一写(上)それならば、写真館として、お手伝いできることがありそうですね。

 そのさほど大きくない私鉄の駅を降りて駅前の商店街を歩くこと数分、そろそろ商店街も尽きようかという少し寂しい場所に、その写真館は建っている。正面入口の上には福野写真館という看板がかかり、看板の下には昔は誰でもお世話になったカラーフィルムのロゴが今も残っている。


 入口の左右のウインドウに所狭しと飾られているのは、七五三や入学記念、成人式といった家族の記念写真。もう使われなくなったのか、二眼レフのカメラも置かれている。 

 どこにでもある写真館、いや、どこにでもあった写真館と言った方が正しいか。


 デジタルカメラ、そしてスマートフォンの普及により、写真は誰でも、いつでも、いくらでも撮れる、誰にとってもごくごく身近なものとなった。一方、フィルムで写真を撮り、写真館に現像や引き延ばしを頼むことは、趣味的なものとしては残ってはいるが、当たり前のものではなくなっている。


 人生の節目節目に写真館で記念写真を撮って、引き延ばした写真を自宅に飾るということは根強く残っているものの、写真館として厳しい時代となったことは否めない。


 それでも、この福野写真館はひっそりではあるが、三十年以上変わらず営業を続けている。店主は白髪交じりの小柄な男性。常に穏やかな笑顔を浮かべており、その確かな撮影技術とともに、客の評判はよい。ただ、この写真館に客が来るのはそれだけ故ではない。


 この写真館は客の間で密かにこう呼ばれている。「想い出写真館」と。


 第一写


「さて、まずはお客様のお名前とお年を伺いましょうか。」


 その日写真館にやってきた客は、若干緊張の表情を湛えた中年の男性。店主はその男性にソファーを勧めてから、そう尋ねた。写真館にしては似つかわしくない質問だが、噂を聞いてこの写真館を訪ねた客たちは心得ている。


「長森健一といいます。五十二歳です。」

「わかりました、長森さん。それで、今日お越しになったのは、どなたについてでしょうか。そのお年だと、ご用向きはお子さんか親御さんか、どちらかの場合が多いのですが。」

「実は、今年八十歳になった父のことになります。」

「八十歳ですか。お元気でお過ごしですか。」

 旧知の知人について尋ねるかのように、店主は話を続けた。


「それが、少し前から認知症を患っていまして、徐々に症状が進んできています。」

「それはとてもご心配ですね。お話することはできていますか。」

「そこが心配なところなのです。施設に入所しているのですが、面会に行くと、私のことが誰だかわからない時があるのです。わかってくれて会話のできる時もあるのですが、最近はわかってくれない時の方が多くなってしまっています。」


「まだら認知症と言われる症状でしょうか。」

「お医者さんからはそう言われています。普通に話ができる時はいいのですが、そうでない時は、とても悲しく感じます。子供としては、いつまでも私の父でいてほしいのです。」

「お気持ちお察しいたします。」


「それで、考えたのですが、父が私のことをわからない時には、父が私についての記憶を呼び覚ます何かを見せてあげてはどうかと。」

「わかりました。もちろん私は医者ではないので治療ができる訳ではありませんが、それならば、写真館として、お手伝いできることがありそうですね。」

 店主は身を乗り出してそう言った。

「ありがとうございます。よろしくお願いします。」

 健一の表情が少し和らいだ。


「そうしましたら、長森さんとお父様のお話をお聞きしていきましょう。」

 そう言ってから店主はお茶を淹れ、健一に勧めた。

「まずは、長森さんがまだ小さい時のお話から伺いましょうか。お子さんが小さい時のことは、どの親御さんも結構覚えているものですよ。その頃は、どんなお父様でいらっしゃいましたか。」


「その頃は、高度成長期こそ終わってはいましたが、父は忙しく働いていました。」

「まだまだ日本経済に活気が残っていた頃ですね。」

「私はひとりっ子で、父は私を可愛がってくれてはいましたが、毎日朝は早く出勤し、夜は遅くに帰ってきていました。休日出勤も多く、なかなか遊んでくれる時間がなかったことを覚えています。」

「昔はそういう働き方が普通でしたものね。普段はともかくも、夏休みはどうでしたか。」


「夏休みは父や母の故郷に里帰りをすることが多かったのですが、そんな時も、父は母と私たちを送り届けて、とんぼ返りをしていました。」

「とすると、故郷での想い出もあんまりなさそうですね。虫取りとか、魚釣りとかの想い出があればよかったのですが。」

 店主はちょっと困り顔を見せたが、すぐにいつもの柔和な表情に戻り話を続けた。


「ちょっと話を変えましょうか。長森さんご自身は、どんなお子さんだったのですか。」

「あまり手のかかる子ではなかったと思います。自慢ではありませんが、成績もそんなには悪くありませんでしたし。」

「そうすると、お父様に勉強を見てもらったということもありませんでしたか。」

「あまりなかったかと思います。」


「長森さんの好きな遊びは何でしたか。」

「野球でしたね。学校から帰るとランドセルを放り出してグローブとバットをつかみ、近所の広場に駆け出していったものです。」

「そうしたら、お父様とキャッチボールをしたことはありませんでしたか。」

 健一は少し考え込んでから、顔をぱっとあげてこう答えた。

「あ、ありました。そんなに回数は多くありませんでしたが、キャッチボールはしたことがあります。」


「その時のお父様は、どんなご様子だったのでしょう。」

「どんな様子だったか……そうですね、父の投げる球がとても速かったことを覚えています。実際どうだったかはわかりませんが、子供にとっては速く感じたのかもしれません。」

「その時の長森さんお気持ちはどうでした。」

「そうですね、お父さんはすごいなって感じたのだと思います。」


「お父様も、忙しい日々のなか、お子さんとキャッチボールができて、さぞや嬉しかったでしょうね。」

 店主はそう言って少しの間目を閉じた。まるでその時の光景を、網膜に焼き付けるかのように。


 そして、目を開いてこう言った。

「明日またここに来ていただけますか。お役に立てる写真がご用意できると思いますよ。」

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