建墓トリシュナー
木古おうみ
凍狂
殺し屋を名乗って、信じてもらえた試しがない。
隠密が必要な殺し屋としてはいいことなのかもしれないが、こういうときは少し困る。
元におれを見上げているチンピラは心底疑わしげな目をしていた。
「お前みたいな殺し屋がいるか。安っぽい眼帯つけやがって。ものもらいか?」
おれは右目を覆う眼帯に手をやった。百均で買ったガーゼは血を吸って重くなっている。替えを持ってくるのを忘れていた。
「ものもらいじゃないけど……参ったな。おれは本当に殺し屋なんだよ」
男は切れた唇から血を吐いて嘲笑った。
「信じられねえな。どうやって殺し屋になった?」
「何から説明すればいいんだろう。おれが大学生のとき、中華料理店でバイトしてて。おれは近代文学をやりたくて文学部に入ったのに、二年生までずっと古典や漢文をやらされて嫌になってて……」
話しながら、絶対にこんなところから話すべきしなかったと後悔する。でも、結論から話すと毎回訳がわからないと言われるから、ここから話すしかない。
おれは面倒になって男に銃口を向けた。
「そろそろこっちの質問にも答えてくれよ」
「何が目的だ……」
「さっきから言ってるだろ。暗黒街の王、
男が青痣で潰れた目を見開く。やっと殺し屋だと気づいてくれたらしい。
「そうか、お前、白眼帯の……!」
眼帯の話をした時点で気づいてほしかった。男がシャツの下からナイフを取り出し、おれに向かってくる。引鉄を引いてから、結局何も聞き出せなかったなと思った。
馬鹿な子どもが野放図に作ったレゴブロックの塊のような違法建築のビルを見上げながら、おれは眼帯のガーゼを取り替える。
紐の部分にまで血が染みてるから買い替えるしかない。貧乏くさい話だとは思う。
殺し屋だというのも、凍龍の友だちだというのも、信じられなくて当然だ。でも、両方本当のことだ。
凍龍はつい三日前までこの暗黒街、
龍の尾のように伸ばした黒髪、背中と肩を覆う凍雲と龍の刺青。知らない奴はいない。
対して、おれは全然知られていない。
この眼帯をつける羽目になったのは、凍龍から最初に言い渡された仕事のときだった。しくじって右目を潰されたけど、ふたつある器官でよかったと思った。
凍龍は呆れ顔で「お前、自分の身体のパーツをサラダ油の買い置き程度に思ってるのか」と言った。だいたい真実だ。
思い出に浸るのはやるべきことを終えてからにしよう。
俺は雑居ビルの錆びた階段を上がり、ドアの代わりに入り口に垂れ下がる不潔なタペストリーを押した。
ショートカットの女、
「収穫は?」
「あったら情報屋に来てないよ」
「相変わらず抜けてるね」
おれも百円のライターで煙草に火をつける。昔、凍龍から高そうなジッポをもらったが、オイルの補充し方がわからなくて使えなくなった。正直にそれを伝えたら、凍龍は哀れな生き物を見る目でおれを見た。
月斗は煙に透ける過去を見るように目を細めた。
「まさか凍龍が本当に殺られるとはね。あいつの首を夢見てた奴はごまんといるけど、みんな夢で終わるはずだった」
「まだ死体を見てないから死んだと決まった訳じゃない」
月斗は呆れて肩を竦めると、机に山積みの紙束を捲り出した。
「あんたが欲しいのはこれでしょ? 凍龍が消えてから自分が殺ったって名乗りを上げた連中のリスト」
「そうは言っても、幽楽町で名乗りを上げてないのが少ない」
「そうだね。殺し屋集団だけ見ても
「十鬼園はさっきおれが潰したよ」
「本当に殺し屋だったんだね」
「そう言ってるだろ」
月斗は煙草を押し付けるように身を乗り出した。
「凍龍にスカウトされて殺し屋になったって本当? あの男に見出されるなんて、一体どうやったの」
「何から話せばいいかな……学生の頃、中華料理店でバイトしてて、そこで客のサプライズ、誕生日会やプロポーズなんかをやることがあって……」
「それ、結論まで何分かかる?」
「三分くらい」
「もういい」
おれが話すと毎回こうだ。月斗は資料の山から一枚の紙を抜き出した。
「凍龍殺しの有力候補がこれ。あいつとシノギを削りあってた武器商人グループの
おれは地図が印刷された紙を受け取る。
「おれがバイトしてたところだ」
月斗は屠殺場に送られる豚を見るような目でおれを見た。
「あんた本当に大丈夫? 敵討ちなんてガラじゃないでしょ」
「でも、凍龍と約束したんだ」
「約束だけで生きていけるなら皆不死身だよ。長年情報屋をやってるけど、あんたの名前なんか殺し屋界で聞いたことないし……」
みんなそう言うけど、おれは殺し屋として名が売れるのはいいことだとは思わない。凍龍だけはわかっていた。
おれが名前を知られていないのは目撃者を残さないからだ。
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