第13話 私の王子様
クラフトイベントから無事帰宅したマロンは、ずいぶんと軽くなったキャリーケースから、空のお弁当箱を取り出して台所で水につける。
そのままお風呂を沸かす準備だ。今日は疲れているから、手早く済ませられてリラックスできるお風呂にしようと、マロンはバブルバス用の入浴剤を手に取り浴槽に入れ、お湯を入れる。
それからポットで紅茶を入れ、一息ついた。今日は一日、接客で忙しくて緊張していたのでだいぶ疲れているようだ。
紅茶を飲みながら、イベント後にドラコと一緒に行った打ち上げのことを思い出す。イベントのあとはとにかくおなかが空くと言って、ドラコは分厚いステーキを食べながら、パンを何度もおかわりしていたっけ。
疲れたけれども楽しかった一日を思い返し、マロンの口元がほころぶ。
紅茶を飲み終わり、ティーカップを一緒にお弁当箱を洗ってしまおうとキッチンに立つ。温水でちいさなお弁当箱と大きなお弁当箱を洗いながら、お昼時のことが頭に浮かぶ。
「ドラコちゃん、お弁当おいしいって言ってくれてよかったなぁ」
ぽつりとそうつぶやいて、大きいお弁当箱を指で撫でる。このお弁当箱は、普段マロンが使うものではない。ドラコと一緒に出かけるときに、ドラコ用のお弁当を用意するためだけに購入したものだ。
学生時代から、ドラコはよく動くしよく食べる。その快活な姿といい食べっぷりを思い返すと、マロンの顔が熱くなった。
丁寧にお弁当箱を洗って水分を切り、しっかりと拭いてから食器棚の中に片付けると、お風呂が沸いたことを知らせるメロディが聞こえた。お風呂の中を確認すると、浴槽にはたっぷりの泡が立っていて、百合の香りが漂っている。
早速お風呂に入ろうと、脱衣所でマスクを外し、服を脱いでお風呂に入る。少しぬるめのお湯に浸かると、緊張と疲れが溶けていった。
疲れているときにバブルバスはなにかと都合がいい。浴槽の中で身体を擦るだけで汚れが落ちるので、頭を洗う以外はこれで済ませられるからだ。
ゆっくりあたたまりながら時折手で身体を擦って、ぼんやりと王子様のことを思い浮かべる。
「今日はずっと一緒にいられてよかったな」
ぽつりとそうつぶやいて、マロンはかすかに熱くなる頬に手をやる。
マロンは今日、一日中大好きな王子様と一緒にいられたのだ。ドラコはいつの間に王子様が来たのかと不思議そうにしていたけれども、王子様はずっとマロンの隣にいた。
ドラコは気づいていないけれども、マロンの王子様というのは、ドラコのことなのだ。
理想の彼氏を虚無から作るんだと意気込んで入学した錬金術師学校でドラコと出会って、理想の人は作らなくても存在するんだと知った。その理想の人がドラコだというのは、本人にはなかなか言えないけれども。
そんな王子様に、親しげに話しかけてきたケイトを見たときは警戒した。ペリエを紹介されたときも警戒した。
なぜなら、ドラコのようなすてきな人なら、彼氏がいてもおかしくないだろうとマロンは思っている。でも、それと同時に、彼氏なんていて欲しくないという思いもある。だから、親しげな男性が現れると警戒してしまうのだ。結局、ケイトはドラコの弟で、ペリエはただの友人ということだったけれど。
いや、正直言えばペリエについては少し疑っている。ケイトは家族だからドラコの恋人になることはないだろうけれど、ペリエはいつ気が変わるかわからないからだ。
他の人にドラコを取られる前に気持ちを伝えたい。ドラコになら、マスクを取った顔を見せてもいいと思っているのだから。
いつかきっと思いを伝えるんだ。今はその機会をうかがっているだけなんだ。マロンはそう自分に言い聞かせる。
ドラコはマロンのことを好きだといってくれるけれど、それはあくまでも友人としてだ。そうではなく、マロンはドラコに自分と同じ好きを抱いて欲しい。できることなら、マロンがドラコに恋を教えたいのだ。まだ恋を知らないというドラコに。
夢見心地でドラコのことを考えながら百合の香りのバブルバスに浸かっていると、なんとなく夢でもドラコに会える気がした。
お風呂から上がって着替え、部屋用のマスクを着けたマロンは、スマートフォンでドラコにおつかれさまのメッセージを送る。すると、すぐに返信が来た。
「おつかれさま。こっちは委託販売店に納品のメールを送ったところだよ」
「そうなの? ドラコちゃんは忙しいなぁ」
「納品するのに発送準備もしたしね」
「ほんとに忙しいね?」
そんなやりとりをメッセージアプリでしながら、マロンはくすくすと笑う。こうやって無理をしがちなドラコを見ると放っておけないけれど、なぜか微笑ましい。
ふと、ドラコがこんなことを言った。
「そういえば、結局今日はマロンの王子様に挨拶できなかったね。残念だ。
あ、でも、私が声かけたら悪いか」
そのメッセージを見て、マロンはこう返す。
「ドラコちゃんが声をかけても、王子様は困ったりしないよ」
そう。ドラコが声をかけて困るはずがないのだ。自分自身に声をかけて困る人などいないのだから。
マロンがうっとりしながらドラコからのメッセージを見ていると、ドラコが今度はこう訊ねてきた。
「そういえば、マロンは王子様のどんなところが好きなの?」
思わずスマートフォンを撫でていた指が止まる。
王子様のどんなところが好きなのか。そんなのひとことでは言い表せない。けれども、好きなところを全部書いて送るのも、なんだか気恥ずかしい。
だから、当たり障りがないだろうという部分を選んでメッセージアプリに打ち込む。
「がんばり屋で、少し気まぐれで、ちょっとそそっかしくて、無理しがちだから放っておけないところかな」
「無理しがちな人なの?
それじゃあ、あんまり無理しないようにマロンがしっかり見張ってないとね」
なにも気づいていないドラコの言葉に、思わず笑みがこぼれる。
「そうだね」
無理をしているというのはドラコのことなのにと思いながら、ひとことだけ返す。
そんな話をしている間に、時計の針が天頂を指した。そろそろ寝ないといけない時間だ。
「マロンは明日荷物の整理でしょ?
そろそろ寝ないとだね。おやすみ」
「うん、おやすみ。
ドラコちゃんもこの後ちゃんと寝るんだよ?」
「努力します」
簡単におやすみの挨拶をしてメッセージアプリを閉じる。もう寝ないとと、マロンはスマートフォンを充電器にセットしてベッドに入り部屋の灯りを消す。
あたたかいベッドの中で、マロンはうとうとと学生時代のことを思い出す。
学生時代、マロンに言い寄るたちの悪い男達から守ってくれたのは、他の誰でもないドラコだった。
男達から逆恨みされながらも、ドラコは法律を使うこともためらわずに、しっかりとマロンのことを守り続けてくれた。その時のことがあるから、マロンは今、自分で自分の身を守れているのだ。
自分を守ってくれるドラコを見て、理想の人だと確信したあの時から、ドラコはずっとマロンの王子様だ。そんな人を好きにならないはずはない。
いつかドラコはこの気持ちに気づいてくれる。気づいてくれたら、この口で改めて好きだと伝えよう。
何度も抱えたその思いと共に、マロンは眠りについた。
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