練習4(2078文字、ちょっと怖いので閲覧注意!、タイトルつけるなら「ズレた恋」)

 冷たい風が僕の脇を通り抜けていく。微かに桜の香りがした。愛する人を待つ時間は凍えるようだけれどとても甘く感じられる。

 僕は駅の改札から少し離れたところで深呼吸をする。舞い上がる僕の気持ちを冷気が柔らかく静めていく。ここからは静かにすることが肝要だ。この前彼女、渕上咲良ふちがみさくらさんに会った時は酷く怒らせてしまったから、本当は仲直りをしなければならない。けれど、きっと彼女は僕の言葉を聞いてはくれないのだろう。そう思うと、胸の奥が少しだけ寂しくざわつく。それでも、甘い空気は変わらなかった。桜が一枚、僕の目の前を流れていった。

 電車が到着する度、沢山の仕事帰りのサラリーマンやOL達が疲れた顔をして改札を抜けていく。僕はその中に咲良さんの姿を探す。しかし、今の電車には乗っていなかったみたいだ。彼女の姿は見当たらない。

 今日は残業でもあるのだろうか。いつもならこの電車に乗って帰ってくるはずなのに。

 街灯や駅構内の照明は酷く眩しいけれど、それでも僕は遠い夜空にオリオン座を見つける。きらりと輝くベテルギウスに咲良さんの顔を見る。どうしたら、許してもらえるのだろう。


 次の電車がホームに到着した。僕は息を呑んで降りる人の中に咲良さんを探す。

 あ……。

 咲良さんが奥から歩いてくるのが見えた。ライトブラウンのロングコートに臙脂色のマフラー、控えめな黒の鞄は恋人からもらったものだ。すらっとした背丈の高い彼女は歩く姿も華麗だった。しかし、片道一時間の電車はきっと満員で疲れていたのだろう、心なしか顔色が暗い。

 大丈夫かな……。

 心配になりながらも、僕はその場を動けない。どう声を掛けたらいいか迷ってしまう。冬の最後の嘆きのような風が僕の耳元を掠めて過ぎていく。その風は彼女のところにまで届くのだろうか。

 咲良さんは改札を出るとすぐに辺りをキョロキョロと見回した。僕のことを探しているのだとすぐに気付いた。声を掛けてもよかったが、待つことにした。けれど、彼女は僕の姿を見つけることは出来ず、ため息を吐いて家の方に向かってしまう。僕は少しだけ残念な気持ちになりながら、彼女の後を追いかけた。

 春の訪れを感じさせる桜の花びらが地面に散っている。彼女はそれを踏みつけて、僕はそれを避けて歩く。彼女には桜の花が見えていないのだろうか。それとも、僕がその桜に囚われているのだろうか。


 線路沿いをすたすたと歩く咲良さんはずんずん先へと行ってしまう。僕は彼女の少し後ろをなんとか歩いてついていく。

 ふと、彼女が足を止めた。

 僕も足を止める。

 咲良さんの肩は小さく震えているようだった。

 寒いのだろうか。上着だったら貸してあげられるのだけど。

 そんなことを考えていると、咲良さんがゆっくりとこちらを振り返った。

 目が合う。

 その瞬間、彼女が息を呑む音が聞こえた。それはまるで小さい悲鳴のようだった。

 僕はビクリとして、慌てて小さく右手をあげる。

「やあ」

 僕の声をきっかけに、咲良さんは本格的に震え出して、腰を抜かした。胸に鞄から会社でつけていたらしいブローチが落ちる。

 彼女は目を大きく見開いた。まるで何かもの凄いバケモノを見るかのような目だった。でも、それを見ても僕は驚かなかった。きっとそうなるとわかっていたから。

 咲良さんは、この間のことで怒っているんだよね。だから、僕のことをそんな目で見るんだ。

「あのね、咲良さん」

 声を掛けると、彼女が這うように後ろに下がる。

「この間は、ごめんなさい。最近全然会ってくれないからって会社に押し掛けたのは本当に悪かった。考えが浅はかだったよ。すごい、反省してる。今日はそれをどうしても謝りたくて会いに来たんだ」

 僕は、ごめんなさい、と頭を下げた。


 咲良さんはしばらく泣き出しそうな顔をしながら止まっていたが、やがて口を開いた。

「もう……、私の前に姿を見せないでって、言ったよね……」

「うん……、でも謝らなきゃと思ったし、会えなくなるのは嫌だよ」

「……なんなの」

 咲良さんは地面に手をついて何かに怯えているかのように酷く震えていた。

 かわいそうに、どうしたんだろう。

 僕は一歩前に出ると、彼女が怒鳴った。

「来ないで!」

「どうして……」

「キモイキモイキモイキモイ!」

 彼女は何かに取り憑かれたように「キモイ」と繰り返し叫んで取り乱し、鞄を持って立ち上がると走り出した。

「待って……」

 僕の声は突風に掻き消されて彼女の耳には届かなかった。咲良さんは、夜の暗い街の奥の方へとそのまま姿を消した。

 きっと、また警察を呼ばれるのだろう。

 咲良さん、誤解なんだって。危害を加えるつもりはないんだ。僕はただ、あなたと一緒にいたいだけなのに。

 ため息を吐くと、地面に残されたブローチが街灯を反射するのが見えた。それを拾い上げると、微かに桜の花のような香りがした。咲良さんの香水だ。胸にブローチを押し当てると、自然と心が安らいだ。幸せだ。

 ふと、何かが耳元を掠める。

 雪だ。

 空を見上げるとさっきまで見えていた夜空はまるきり雲に隠れてしまっていて、なんだか泣いているかのように感じられた。

 何で泣いているのか、僕にはわからない。

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