エピソード 2/3

 その日を境に、久しく元気のなかった望実のスマートフォンは活気を取り戻した。「おはよう。今日も頑張ろうね」といった挨拶はもとより、「昼飯は地元の海鮮。ここ、おすすめ」、「初めての革靴磨き」といった何気ない会話も、距離や時間に縛られることになく送られてくる。直接話す時よりも饒舌なそれも、いつしか届かないと寂しく感じるようになっていた。


 緊張する、という理由から電話をすることはなかったが、その影響からか、望実は画面越しの無機質な文字に、初めて会った時の遼の笑顔と声を重ねては口元を緩ませる。鏡に映った自分の顔を見た時、「恋をしている」と感じた。


 出会ってから半年が過ぎた頃、休日の日程を合わせて二人きりで会うことになった。東京に来る遼のことを、空港まで迎えに行く。「お勧めスポット、案内してよ」そう言われて考えていたプランは、到着ロビーで手を振る遼の顔を見た瞬間、全て忘れた。


 二人の関係が変わったのは、二人だけの時間を三回ほど過ごした、秋の眠りと冬の起床が重なり合う頃だった。その日は桜木町で買い物をした後、家で手料理を振舞うことになっていた。


「ごめんね、まだ引っ越ししたばっかりで、家具とか全然揃ってなくて」

「いやいや。逆に落ち着きがあってオシャレだよ。一人暮らしはもう慣れた?」

「今はまだ、親のありがたみを感じてるとこ。あ、適当に座って」


「失礼します」と言うと遼は身体をすぼめ、一人用ソファの三分の一程度の幅に座る。「狭いけど広々使ってよ」望実は笑ったが、「取り敢えず様子見で」と、頑なにその姿勢を崩さなかった。


 少し手の込んだ料理を作ろうと思っていたが、「今年一番の冷え込み」という天気予報が的中したことで、メニューは急遽変更となり、ホワイトシチューを作ることにした。その分浮いた予算を使って、鶏肉は国産の良さそうなお肉にした。


 料理を作っている間、ソワソワする遼は愛おしかった。


「お待たせ。さ、食べよう」

「おいしそー。子どもみたいって思うかもだけど、俺、シチュー大好きなんだ」

「思わないよ。シチューは幾つになっても美味しいもん」


 望実が微笑むと、遼は弾けそうな笑顔で応える。その顔は子どもみたいだな――望実は胸の内でそう思った。


「ああー……、やっぱりシチューにして正解。美味しかったし、身体も温まった」

「本当だね。今日はシチューにすべき日だったのかも」


 そんな他愛もない会話をしていると、遼の視線が不意に外へと向かう。


「あ、もしかして振ってるんじゃ……?」遼はすっと立ち上がり、カーテンを開けた。


「うわ……この時期に都内で雪が降るなんて珍しい」


 窓の外には、はらはらと雪が舞い降りてきている。街灯に照らされるその様は、まるで無数の真珠のようだった。


「ここから見える雪、めちゃくちゃキレイだね……。雪なんて地元で見慣れてるはずなのに、今日のは格段にキレイかも」

「街灯の位置とか、家の照明の具合が丁度良いのかもね。良かった、二人で一緒にこの雪を見られて」


 そこからはしばらく、互いに無言のまま、ただただ散りゆく雪を眺めていた。その雪もいつかは溶けるということを――考えることもなく。

 遼がゆっくりと息を吐く。望実は何気なしに、その顔を見つめた。そして、その時は訪れる。


「長田さん……俺、長田さんのことが好き。遠距離にはなっちゃうんだけど……もし良かったら、俺と付き合ってくれませんか?」


 体温調整が出来ない――そう感じる程、望実の身体はみるみるうちに熱を帯びた。逸らしたいと思いながらも、遼から目を離せない。心臓がうるさい。呼吸が苦しい。言葉が出ない。


 気が付けば無言のまま、望実は窓を開けていた。身を震わす寒ささえ感じない。そんな望実を正気に戻らせたのは、風に乗って迷い込んだ一粒の雪だった。雪は望実の頬に当たると、程なくして姿を変え、涙のように流れゆく。


 体温を帯びたその雪は、涙が出るほど温かかった。


「……よろしくお願いします」


 そう答えた望実の身体は、自身のそれより遥かに温かな遼の身体に引き寄せられた――。

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