2018年9月30日は、『岸辺のアルバム』の最終回みたいな日だった…
21世紀に入ってから24年目になるけど、その辺りからヒンパンに災害が発生するようになった。
ことし(2024年)は、元旦に能登半島地震が発生した。
その2ヶ月後の3月中頃と4月17日に緊急地震速報が発令されたレベルの大地震が発生した。
とくに、4月17日に発生した大地震は南海トラフ巨大地震の想定震源域内で発生した。
マグニチュードが6・7以下で震源が深いところで生じたので、南海トラフ巨大地震に関連する臨時情報は出なかった…
ぼくが生まれてから今までの間に、いろんな大規模災害のニュースを見た。
雲仙普賢岳大噴火…
平成3年台風19号災害…
北海道南西沖地震…
8・6水害(九州南部で発生した大水害)…
平成の大渇水…
北海道東方沖地震…
三陸はるか沖地震…
阪神淡路大震災…
有珠山大噴火…
………
そして、2001年3月24日に芸予地震が発生した時を境に四国地方は毎年のように災害に見舞われた。
2004年夏ごろは、西日本に相次いで台風が接近上陸することがつづいた。
この時、愛媛県のあちらこちらで風水害による被害が多発した。
その年の秋に新潟県中越地震…
暮れにスマトラ沖大地震が発生した。
2008年には、岩手宮城内陸地震が発生した。
2010年には、平成のチリ津波が発生した。
2011年は、カンタベリー大地震・東日本大震災・ワン地震(トルコで発生した)・新潟福島豪雨・9月豪雨(台風接近時に近畿地方南部の山沿いで豪雨災害が発生した紀伊半島豪雨)
2013年に気象特別警報の運用が始まった。
それにもかかわらず、特別警報級の大雨がヒンパンに降るようになった。
2014年には、木曽の
2015年に鬼怒川が大氾らんを起したことによって、下流域の茨城県側で大規模な洪水が発生した。
2016年には、熊本地震が発生した。
この年、台風は西日本ではなくめったに台風が来ない北日本へ来襲した。
それによって、東北北部で大規模な被害が多発した。
2017年7月6日に九州北部豪雨が発生した。
福岡県筑後地方と大分県西部の山沿いの地域が大規模な被害を受けた。
同じ年の9月18日に西日本に非常に強い台風が接近した。
重信川の堤防が決壊する危機にさらされた。
ヘタすれば、流域の出合地区が水没するおそれがあった。
2018年夏、あの西日本豪雨に襲われた。
7月6日の17時頃に、九州北部に大雨特別警報が発令された…
19時過ぎに中国地方に大雨特別警報が発令された。
その2時間後に、よりし烈な雨音が降りしきった。
水圧でぺちゃんこにつぶされるレベルの豪雨だった。
もしかしたら市街地が水没するのではないか…
…と思った。
翌朝、野村ダム(西予市)で緊急操作が行われたことによって、西予市と大洲市で大規模な洪水が発生した。
7月8日の明け方に、四国地方に大雨特別警報が発令された。
この時、宇和島市吉田町で大規模な洪水が発生した。
それから2~3日後に、四国地方の梅雨が明けた。
豪雨の被害は、西日本一帯から東海地方にまで及んだ。
あの時、ホンマに人生が終わるのかと思ったワ…
それから2ヶ月後の9月4日に、台風21号が西日本に接近した。
関西国際空港が高潮で水没した…
同時に、流されたタンカーによって連絡橋が破損した事故が発生した。
大阪府下で、暴風による被害が多発した。
ぼくは、その時の様子を夕方のNHK総合テレビの『シブ5時』で見たので、背筋が凍った。
1991年の台風19号災害の時に、愛媛県で大規模な被害が出た時を思い出したのでよけこわかった…
その後、北海道胆振東部地震が発生した。
あの恐怖をニュースで見たから『次は、わが身かもしれん…』と感じた。
そしたらやーな予感が的中した…
それが、9月21日に発生した台風24号であった。
名称はチャーミー台風…
名称はかわいいけど、カテゴリー5に相当する凶暴な台風…
『平成の伊勢湾台風』と言うてもカゴンではない。
台風24号が四国地方に接近した2018年9月30日は家にいた。
朝からテレビをつけてNHK総合テレビの台風情報を見ていた。
昼前に、台風の中心が足摺岬の沖に来たときから不安が増幅した。
15時頃に、台風の中心が室戸岬沖に到達した…
この時点でヤバイと感じた。
その時に、玉川ダムで緊急操作が行われると言うテロップが表示された。
ヘタすれば、街が水没するかもしれない…
西日本豪雨で被害を受けた西予市や大洲市の様子を見た関係で不安がさらに増幅した。
この時、避難準備を始めた。
警戒レベル3の情報が出た時に、避難した。
ぼくは、仕事道具を持って今治国際ホテルへ避難した。
避難した後、最上階のラウンジレストランにいた。
そこから街の状況を注視した。
もしかしたら、蒼社川が氾らんするかもしれない…
緊急操作が確実に行われるかもしれない…
そんな時であった。
ぼくは、1977年に山陽放送で金曜日22時から放送していた『岸辺のアルバム』の最終回を思い出した。
山田太一先生の脚本の辛口ホームドラマである。
主人公の家族は、八千草薫さんと中田喜子さんと国広富之さんと杉浦直樹さんの4人であった。
最終回に至るまでの14回の話は、家庭内で抱えている深刻な問題が描かれていた。
最終回は、多摩川洪水が発生した日のことが描かれていた。
(ドラマは、実際に多摩川流域で発生した大規模洪水のことが描かれている)
『岸辺のアルバム』のドラマの4人家族は、あの日どんな想いでわが家の最期を見届けたのか…
し烈な暴風雨にさらされている
家族4人は、家族の思い出が詰まったアルバムを取り出した。
そして、避難する前に長女(中田喜子さん)と長男(国広富之さん)が家のそれぞれの部屋に『さよなら』…とあいさつした。
家族は、その後家から離れた。
それから数分後だった…
わが家は、濁流に流された。
ドラマの一番最後で、一家4人が壊れた家の屋根にこしかけて話していたシーンがあった。
4人家族は『命が助かったことに感謝して、生きて行こう…』と話し合った。
話を戻す。
ぼくは、西日本豪雨を機に気象庁のホームページを見るようになった。
特に、早期注意情報はものすごく気になる…
いつ、大雨警報が発令されるかもしれない…
だから、その時に備えて見ている。
自分が暮らしている地域のハザードマップを開いて避難所がどこにあるのかを確認する…
ふだんの散歩で避難経路を歩いて確かめる…
…など、できることから始めましょう。
特別警報が発令されたはもう手遅れだと思ってほしい…
早期に避難する(警戒レベル3の高齢者など避難開始・避難準備の時を言う)ことで命が助かります。
(避難指示が出た時に、避難所が満杯になることがある)
周囲の状況が悪化したら一巻の終わりや。
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