『クイズダービー』がどんな番組であったかを説明します。

ぼくのもとに20代の読者の方から『クイズダービーって、トークダービー(テレビ愛媛で木曜21時からしよった『とんねるずのみなさまのおかげでした』)のパクりではないか?』…と言う問い合わせがあった。


なので、『クイズダービー』がどんな番組であったかを説明します。


『クイズダービー』は、1976年1月3日から1992年12月19日まで山陽放送(TBSテレビ系)で土曜19時30分からしよったロート製薬1社提供のクイズ番組である。


1992年10月に伊予テレビが開局してネット放送が始まったが、伊予テレビ放送分は9回だけであった。


長崎放送は、1984年3月までは土曜日の19時~22時までの枠が日テレの番組同時ネットだったので金曜19時(遅れネット)で放送された〜1984年4月にJNNの協定が変わったので土曜19時30分本放送に変わった。


テレビ山口は、土曜19時に『オレたちひょうきん族』を放送していた関係で『クイズダービー』は放送されなかった。


MCは、大橋巨泉さん…


1990年3月最後の放送で大橋巨泉さんがセミリタイヤしたあとは、日本テレビのアナウンサーだった徳光和夫さん(ミッツマングローブさんのおじさま)が1992年12月12日放送分までMCを務めた。


1992年12月19日の最終回は、大橋巨泉さんのMCで、5枠に徳光和夫さんが座る…と言う形で放送された。


番組の回答者は、5つの枠の競走馬とジョッキー…


回答者の席に表示される数字は、オッズ(倍率)…


プレーヤー(かけ手さん)は、ハガキで申し込んだ出場者(二人ひと組…三人ひと組の時もある)


プレーヤーは、一般視聴者さま・話題のアニメ映画に出演する声優さん・ミス〇〇(自治体ごとのキャンペーンガール)…


いろんな方々が参加していた。


出題される問題は8問(『お正月だヨ!クイズダービー』のような特番の時は12問フル出題された)…


1・3・5・8は、通常問題…


2・4・7は、三択問題…


6問目は、音楽問題…


…で構成されている。


出題される問題のジャンルは…


『著名人のエピソード』『著名人の明言』『事件簿』『アンケート』『アメリカンジョーク』『ダジャレ』…である。


音楽問題は、歌詞あてか歌にまつわるエピソードが出題される。


アシスタントさんが問題を読み上げたあと『倍率ドン』…でオッズが表示される。


(最終問題は、その上に2倍上乗せされて高配当になる)


その後、プレーヤーは正解すると思う解答者さんに点数をかける(スタートは3000点から…持ち点が10万点を超えればゲーム終了…持ち点がなくなるとゲームオーバーになる)


プレーヤーが持ち点をかけ終えたあと、『草競馬』の歌のインストが流れる…


解答者さんのシンキングタイムである。


解答者さんは、油性のマジックペンで回転式のペーパーに答えを書く。


通常問題と音楽問題は、ひとりずつ『せーのドン!』で開けて答えを出す。


三択問題は、一斉に『せーのドン!』で開けて答えを出す。


プレーヤーがかけた回答者が正解かどうかが気になる瞬間だから、ドキドキしながらみていた…


バック画面が赤色は正解、青色は違う答えである…


ここまでは、番組の構成について説明しました。


次に『(枠番に座っている)解答者さんはどんな方がいたのですか?』の問いにお答えします。


1枠


鈴木武樹(ドイツ文学者・評論家…番組開始時の1枠)


和久俊三(作家・『赤かぶ検事』シリーズの作者…1977年7月12日~)


篠沢秀夫(学習院大学教授・フランス文学者…1977年10月8日~…1枠に一番長く座っていた)


北野大(明大の教授、修徳大学でも教授を務めた…ビートたけしさんのおにいさま)

植草克秀(少年隊のかっちゃん)


2枠・女優枠


五月みどり(1976年1月3日~…『男はつらいよ』シリーズ・『釣りバカ日誌3』・『マダムスキャンダル』(にっかつポルノロマン)…)


沢たまき(1977年2月5日~…『プレイガール』『非情のライセンス』…)


うつみ宮土理(1977年10月8日~…愛川欽也さんの奥さま、『ロンパールーム』のおねえさん・昼ドラ『女優京子』のヒロインのモデルと言えば分かる)


南田洋子(1978年9月から1年間…長門裕之さんの奥さま)


長山藍子(1979年10月6日~…『肝っ玉かあさん』『渡る世間は鬼ばかり』シリーズ…)


宮崎美子(1981年9月26日~…『リコカツ』の紘一(永山瑛太)の母親…)


斉藤慶子(1983年10月1日~…)


山崎浩子(198年4月6日~…1984年ロスアンゼルスオリンピックの新体操の選手…いつも解答が遅かったので、巨泉さんから『浩子!!早くしなさい!!』とどやされた)


井森美幸(1988年2月20日~…1987年12月19日放送分でゲスト出演した時に巨泉さんから『恐怖の7000兆ドル女』または『井森ショック』と言われていじられた)


3枠・マンガ家


黒鉄ヒロシ(番組開始時のマンガ家に座っていた)


はらたいら(1977年1月22日~ずっと座っていた…正答率が高いので一番人気であった)


はらたいらさんがお休みしていた時、別の名前の人が3枠に座っていた時があった…


やっぱり、はらたいらさん3枠じゃないと楽しめなかった…


4枠は、女子大生タレント枠といよった…


萩尾みどり(1976年1月3日~…いろんなドラマに出演していた)


岸じゅんこ(1976年6月5日~…)


プレーヤーたちから『三択の女王』と呼ばれていた竹下景子さんが4枠に座ったのは1976年10月16日放送分からであった。


竹下景子さんは、大卒後もずっと4枠に座っていた。


竹下景子さんが出産で番組を離れていた1986年3月22日と29日放送分は宮崎美子さん、同年4月5日と12日放送分は市毛良枝さん、1988年10月15日と22日放送分は原日出子さんがそれぞれ4枠に座っていた。


(竹下景子さんのお子さまは男の子で、タレントさんである)


5枠は、ゲスト出演枠である。


1976年1月3日放送分は、特別に6枠目が設けられていた。


その時のゲスト回答者さんは、5枠がガッツ石松さん・6枠が植木等さんであった。


(長く1枠を務めた篠沢秀夫さんが5枠で出演した回の時、1枠に座っている北野大さんの方をみて『オレも1枠に座っていたよな~』とつぶやいたエピソードがあった…)


最後に、番組内でとくにドキドキした場面のハナシをします。


2・4・7問目の三択問題は、いつもドキドキしながら見ていた。


大橋巨泉さん(徳光和夫さん)が『3つに分かれました…』と言うたあとのパターンは…


〇(答え)2人・△(答え)2人・▲(答え)1人…


〇3人・△1人・▲1人…


〇3人・△2人…


5人中、〇4人で△が1人の時は『ひとりをのぞいてみんな同じ答え…』と大橋巨泉さん(徳光和夫さん)と言うたあと、△の答えを書いた解答者さんの名前は言わない。


言われた解答者さんは『もしかしてオレ?』と思ってドキッとする…


そして『せーのドン!』で開けた時が分かれ目である。


4人正解1人不正解…


このパターンは、井森美幸さんや篠沢秀夫さんや北野大さんなどに多かった…


たまにはらたいらさんと竹下景子さんが不正解の時もあった…


あるいは、1人だけ正解と言うパターンがあった…


…………


他にもいろんなエピソードがありました。


あの頃は、楽しかったな〜…

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