第16話 パートナーの有用性

 嘘をついても一フェルンの得にもならないから、目の前の女性がギーナ・フォン・オレンハウアーで間違いないのだろう。いかにも男性受けしそうな華やかかつ可愛らしさを感じさせる美貌の持ち主で、歳はメラニーと同じ十八歳のはずだ。

 浮気調査によると、太陽学院時代にオイゲーンと出会い、彼が卒業したあとも関係が続いていたらしい。


(どうして、彼女がここに……ああ、そうか。招待客のパートナーとして、ここに潜り込んだのかもしれませんね)


 それならば、納得がいく。いかに公爵夫妻が苦労して招待客を選別しているとはいえ、招待客のパートナーを追い返すわけにはいかないだろう。仮に公爵夫妻が会場で目を光らせているとしても、パートナーの男性が彼らと挨拶しているときは席を外せばバレにくい。

 それにしても、彼女はなぜ、わざわざ自分に声をかけてきたのだろう。まさか、謝罪したり平手打ちされたりするためではないだろうし。


「アルテンブルク伯って、地味で勉強しかできない人だと思っていましたけど、ちゃあんといい男を捕まえる方法をご存知だったのですね。驚きました」


「いい男」とはディートシウスのことだろう。遠くから見ている分には、そう見えるのかもしれない。


(……まあ、性格が合う人にとっては、十分「いい男」なのでしょうけれど)


 カルリアナは素っ気なく応じる。


「それはどうも」


 ギーナは出鼻を挫かれたようだった。少し顔をゆがめたあとで、さらにこちらを嘲弄してくる。


「でも、おかわいそうなこと。王弟殿下に放っておかれてしまいましたの?」

「喉が渇いたので、少し席を外しているだけですよ。それに、殿下はとても人脈の広いお方ですから、わたし抜きでお話しになりたいこともあられるでしょう」

「まあ、言い訳がお上手ですこと」

「あなたこそ、パートナーの方はどちらに?」

「わたしはあなたの姿が見えたから、こちらまで来て差し上げただけですわ」

「そうですか。あなたもお暇な方ですね。自分が奪った男の元許嫁いいなずけと対面してうれしいですか? わたしはあなた個人を責めず、ご両親から慰謝料をいただくだけで済ませて差し上げたのに」


 ギーナの額に青筋が浮いたように見えた。


「あなたが慰謝料を請求したせいで、わたしが家でどんな立場になったかわかっていて言ってるの!? おかげで大嫌いな妹からも軽蔑されるし散々だわ! こちらこそこうしてあなたに嫌味を言うだけで済ませてあげようと思ってるのよ! オイゲーンさまと破談になったおかげで王弟殿下を捕まえられたんだから少しは感謝しなさいよ!」


 感謝? この女の頭の中身はどうなっているのだろうか?


「いい加減にしてください。わたしがあなたに感謝することは、未来永劫えいごうあり得ません。せいぜい、ご自分の過ちを一生後悔しつづけてください」

「なっ……!!」


 拳か平手打ちが飛んでくるかと思ったが、ギーナは握りしめた手を引っ込め、周囲を気にしている。彼女の剣幕に気づいた人たちが、遠巻きにこちらを取り囲んでいるのだ。


「あの物静かなアルテンブルク伯が口論なさるなんて……もしかして、あの女性が元許嫁の浮気相手なのかしら」

「だとしたら、あの女性はどこの家の令嬢だ?」


 旗色が悪くなってきたからだろう。ギーナは顔を両手で覆い、泣きまねを始めた。


「ひどいわ……人違いだと申し上げているのに、そんなことをおっしゃるなんて……」


 カルリアナは心底呆れ、その場を去ろうとした。自分の評判が多少悪くなっても構わない。ただ、この女と同じ空気を吸っていたくなかった。

 そのとき。


「カルリアナ、大丈夫?」


 ディートシウスだった。彼は心配そうな顔でこちらに駆け寄ってくる。

 ディートシウスの麗しい容姿を間近に見たギーナが、「え!」と驚きの表情を浮かべる。彼を「いい男」だと形容していても、ここまで美しいとは思っていなかったのだろう。

 カルリアナがディートシウスに返答する前に、ギーナが彼に話しかけた。


「殿下、お聞きください! アルテンブルク伯がわたしに言いがかりをつけてこられたのです! わたしが伯爵の許嫁を奪った女だって……それでわたし……」


 ディートシウスは黙り込んだあとで、プッと吹き出した。


「君、嘘がうまいね」

「……え?」

「君がアルテンブルク伯の許嫁を奪ったっていう令嬢で間違いないんだろ?」

「そ、そんな! 誤解です!」

「言い逃れはできないよ。さっきからずっと見ていたからね。君のほうから彼女に近づいてきたよね? それに、伯爵が自分を苦しめた相手を間違えて、無関係な相手を責めるような間抜けなこと、するわけがない」


 ディートシウスに追い詰められたギーナは口をパクパクさせた。言い逃れができないと悟ったのか、彼女は瞳を潤ませ、上目遣いに尋ねた。


「殿下は伯爵なんかのどこがお気に召したのですか? 許嫁に捨てられるような女性ですよ?」

「それ、自分で可愛いと思ってやってる? はっきり言って不快なだけだよ。君、新しい恋人か誰かのパートナーとして、このパーティー会場に入ったんだろ? ホルトハウス公爵夫妻が伯爵の元許嫁を招待するはずがないしね。つまり、伯爵の元許嫁とは別れたってことだよね? 君が捨てたのかそれ以外の理由なのかはどうでもいいけど。わたしは人の許嫁を奪った挙げ句、ポイ捨てするような女より、アルテンブルク伯のような知的で慎み深い女性が好みでね。それにさ」


 ディートシウスはギーナを冷たく見下ろしながら続けた。


「アルテンブルク伯をおとしめる噂の出どころを調べさせたんだけど、ある令嬢が率先してその話をしていたっていう証言があるんだよね。それ、君だろ?」


 そんな話は初耳だ。確かにギーナならやりかねないことではあるが。

 徹底的にやり込められたうえ、過去にしでかしたことを暴かれたギーナは唇を震わせ、青ざめている。

 ディートシウスはニコッと笑った。


「君、人のものを欲しがっちゃうタイプ? しかも自分の悪事がバレないように、婚約破棄の原因をアルテンブルク伯のせいにするなんて、性格真っ黒だよね。悪いけど、わたしが伯爵を差しおいて君になびくようなことは絶対にないから」


 ギーナは悔しそうな顔をしたあとで、きびすを返した。周囲を取り囲んでいた人々の中から男性が飛び出し、ギーナに走り寄っていく。


「ギーナ! 君は過去にそんなことをしていたのか! 話が違うじゃないか!」

「うるっさいわね! どうでもいいでしょ!」


 二人は口論しながら大広間の出入り口へと向かっていった。

 ディートシウスが愉快そうにつぶやく。


「あーあ、もしかして新たな破局の原因を作っちゃったかな? ま、自業自得だね」


 カルリアナはディートシウスの顔を見上げた。正直「すごく性格の悪い人」だとは思ったが、辛辣なのは自分も同じなので、不快な気分にはならなかった。むしろ、曇り空の間から光が差し込んだような気分だ。


「殿下」

「ん?」

「ありがとう存じます」


 ディートシウスは緑がかった青い目を丸くしたあとで、優しく笑った。


「どういたしまして。というより、わたしがしたかったことをしただけだから」

「途中まで、黙ってご覧になっていらっしゃったわけですしね」

「てへ、君のほうが優勢だと思ってー」


 ディートシウスは悪びれた様子もなく笑う。どこにでもいる普通の青年の顔だった。それからまた表情を変え、少年のようにあどけない顔つきでこちらを見つめる。

 先ほどのギーナへの言動といい、メラニーを注意したことといい、彼はこういう表情ができるわりに、女性に優しくないところがある。なのにどうして、自分には柔らかい眼差しを向けてくれるのだろう。


(そういえば、さっき、わたしのことを「好み」、だと……)


 思い出すだけで恥ずかしくなってしまい、カルリアナはうつむいた。

 ディートシウスのおもしろがるような声が聞こえる。


「あれー? どうしたのー?」

「な、なんでもございません!」


 カルリアナがガバッと顔を上げて主張すると、ディートシウスが「そっか」と言ってほほえみ、右肘を差し出してきた。


「まだ、君を存分に見せびらかしていないからね。今度はいなくならないで付き合ってよ」

「はい……」


 カルリアナはディートシウスの腕にそっと手を添えた。

 彼の身体に触れている。今はそれだけで満たされた気分になれた。

 今なら聞ける。


「あの、殿下、わたしを側近として専属司書になさった理由は……もしかして、わたしの悪評を消すためですか?」

「あ、気づいちゃったか。さすがカルリアナ」


 ディートシウスはほほえむと、こちらを愛おしそうに見つめた。

 心臓の音がうるさい。ディートシウスの腕に添えた左手に、ついつい力が入る。カルリアナが慌てて手の力を緩めると、ディートシウスは眉を下げ、残念そうな顔をした。


(どうしましょう。……可愛い)


 動揺したカルリアナは、「……ありがとう存じます」と消え入りそうな声で感謝を伝えるのが精一杯だった。

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