第零話 出勤

 日本国有鉄道 横須賀線 久里浜行 4号車 2030年5月7日

 休暇を終えて、彩華と共に故郷である京都から帰って来た。

 これから横須賀鎮守府へ向かい、第一潜水艦隊へ帰投する。


「彩華」


「何、紫雲ちゃん」


 彩華が私を紫雲と呼ぶのには理由がある。それは私が二重人格者であるからだ。

 正式名称は解離性同一性障害。

 分かり易く表裏で表すと、表は紫雲で私の事。裏は紫風と呼ばれている。

 これらは彩華が名付けた。公式の名簿では橘花きっかと記載されている。

 イメージ的には、橘花と書かれた大きな箱の中に、それぞれ紫雲・紫風と書かれた小さな箱が入っている感じだ。

 紫風は私より欲が強く、口調も荒っぽくて、一人称も「俺」である。


 彩華は銀髪ロングで、身長は平均身長位の157cm。

 それに対し私は黒…いや、紺髪で172cm。ほぼ真逆の髪色。


[次は、横須賀、横須賀。お出口は、左側です。電車とホームの間が空いている所がありますので、足元にご注意ください]


 荷物をまとめて、降りる準備をする

 NRカードを上の読み取り部分にタッチして席を離れる。


[本日もォ国鉄をご利用下さいましてェありがとうございましたァ。間もなくゥ、横須賀ァ、横須賀ァ。お出口はァ、左側でぇす]


 独特な車掌のアナウンスを聞きながら階段を下り、扉の前に立つ。

 電車はゆっくりホームに入る。


「ねぇ、紫雲ちゃん。今日も歩いて行く?」


「そうだな…今日はタクシー使おうか」


 いつもは歩きで行くが、今日はタクシーの気分。

 経費で落とせるかもだけど、実費でいいや。


 扉が開き、ホームに降りると見慣れた景色が広がっていた。

 いつもの横須賀駅。ホームが一つと、行き止まりの線路が一つ。


[横須賀、横須賀です。ご乗車ありがとうございました]


「帰って来た。横須賀」


「これからまた缶詰生活だね」


 彩華の言う通り、これからまた缶詰生活だ。

 長期間、潜れる鋼鉄の巨大な缶詰の中で音を発さず、聞き耳を立て続けるのが潜水艦乗りの宿命である。


 駅を出て、駅前のタクシー乗り場を見てみると、なんとタクシーが一台も居なかった。


「ありゃ、一台も居ない」


 その代わり、一台の黒塗り高級車が止まっていた。


「紫雲ちゃん、あれじゃない?」


「送迎?」


「うん」


 確かにそうかもしれない。

 この時間帯に帰って来る事は鎮守府も知っている。

 しかし、いつもは迎えは出してくれない。

 何故今日に限って…?


 少し考え込んでいると、高級車から海軍士官が出て来た。

 肩章を見てみると、少佐である事が分かった。

 私の知らない顔だ、鎮守府に居る陸上勤務の少佐だろう。


「七条中将、高山少将。お帰りなさい」


「「ただいま」」


「鎮守府までお送りします。どうぞ、お乗りください」


 そう言うと、少佐は車の後部扉を開けて乗る様に促す。

 少佐の促されるまま、車に乗り込む。

 車種はクラウンの様で、革張りの座席であった。

 座り心地は上々、流石高級車だ。


「それで、何で今日は送迎があるのかな」


「今日は逗子高校の生徒が見学に来てるんですよ」


「何の関係があるの?」


 彩華が不思議そうな顔をして少佐に問いかける。

 その疑問はもっともであり、私も感じていた事だ。

 高校の生徒が見学に来ている事と、この送迎の間の因果関係が分からない。


「高校の生徒達で門が混んでいるので、その中をお二人に歩かせるのはどうかとの、赤城中将のご配慮です」


 赤城 茂中将。横須賀鎮守府司令長官。

 前職は呉鎮守府司令長官で、ごく普通の中将だ。

 ただ、少し心配性なだけで。


「それ位気にしなくても良いのに」


「赤城中将らしいね」


「全くですよ」


 こうして、車に揺られる事数分。

 鎮守府の正面門が見えて来た。

 検問所には6台の大型バスが並んでいる。


「あれが逗子高校のバスかな」


 彩華が前に居るバスを指さしながら言う。


「はい。丁度到着した様ですね」


 バスの台数から察するに一クラス30~40名程度、多くて240人。少なく見積もっても180人。教員の人数も考えると、190人~250人位だろう。


「検問、時間かかるか」


「そうですね…6台ですからね、西門から入りましょうか?」


「彩華、どうする?」


「私はどっちでも良いかな。急いでないし」


「じゃ、このまま正門から入ろう」


「分かりました」


 5分の後、最後のバスが検問を通過した。

 そのバスに続いて検問所に入る。

 少佐が車の窓を開けて、軍務手帳を見せる。


「規則ですので、中将も少将も軍務手帳をお願いします」


 言われるがまま、私も彩華も軍務手帳を見せる。

 普段はただ敬礼されるだけで終わるのだが、この人は実に真面目だ。


 軍務手帳の確認が終わり、車は検問所を後にした。

 ここからは横須賀鎮守府の敷地内である。


 少し走ると、逗子高校の生徒を乗せたバスが生徒を降ろしている所に遭遇した。

 どうやら道端で降ろしている様だ。

 まぁ、ここの道路は広いから良いのだけれど…出来るだけ控えて貰いたい。

 お隣の駐車場で降ろして欲しい。

 そう考えていると、車はバスの最後部に連なるように停車した。

 停車した瞬間、彩華が疑問を投げかける。


「あれ、何で止まったの?」


「えっと…バスが止まっている場所が悪くて…庁舎の前に行く道路に入れなくて…」


「えぇ…隣に駐車場あるんだからそこに止めてよ…」


「このバスが動くまで動けませんね…」


「紫雲ちゃん、もう近くだし歩いてこうよ」


「そうね。待つより早そうだし」


「では、ここでお降りになられるんですね?」


「あぁ、庁舎まで歩く」


「分かりました、扉をお開けします」


 そう言うと、少佐は急いで後部座席の左扉を開ける。

 彩華が先に降りて、その後に私が降りた。

 降りた瞬間、高校生達の注目の的となった。


「あれ誰?」「俺銀髪初めて見た」「絶対偉い人じゃん」


 どうやら男子校の様だ。

 私と彩華は高校時代は女子高だった。まぁ、小中高全部女子高だったんだけど。

 何なら、女子高じゃなかったのって海軍大学校だけだった。


「私は車を戻してきます。それでは」


「うん、送迎ありがとね」


「はっ」


 彩華が礼を言う。

 敬礼をして、車に乗り込む少佐。

 さっきまでの優しい運転とは違い、結構速度を出して走り去っていった。


 バスはまだ停車中で、生徒を降ろしている最中だった。

 横断歩道は丁度バスが止まっている場所にあり、まだ渡れない。

 その上この生徒達の中を通る必要があった。


「じゃ、これから1,2,6組は鎮守府庁舎の見学だから。しっかり付いて来いよ」


 結構雑な指示。これが男子校か。

 さて、バスはいつ去るのか。


「3,4,5組は船の見学だから、川口先生に付いて行くように」


「「「「はーい」」」」


 先生が生徒達に指示している間に、バスは走り去っていった。

 これで横断歩道を渡る事が出来る。


「庁舎見学の生徒達に付いて行こう」


「うん」


 庁舎見学の生徒達の少し後ろを着いて行くことにした。

 学ランを来た学生達がゾロゾロ歩いて行く。

 軍服とは違った圧がある。


 少し歩くと、鎮守府庁舎が見えて来た。

 この庁舎は旧海軍時代から使用されている物で、一時期はGHQに接収されたが現在は返還された。

 横須賀に居た米海軍もほぼ全て四国の宇和島へと移動した。

 尚、宇和島米海軍基地の建設費用はすべて日本持ちである。

 しかし、そのお陰で米軍が整備した施設をも使用出来る事となった。

 私の家もこの中にある。

 集合住宅では無く、一軒家であり、彩華と同棲している。


 生徒達を追い越し、先に庁舎内に入る。

 エントランスホールに入るや否や、私と彩華に気づいた人から敬礼してきた。

 最初の頃は少し動揺したが、今は慣れた。


「さ、赤城中将の所に行こう」



 横須賀鎮守府 鎮守府司令長官室


「休暇から帰って来ました。中将」


「うむ。確か、二人共実家に帰っていたんだろう」


「えぇ。そうですね」


「明日から通常の任務に戻って貰う」


 予定通りの日程だ。

 明日からは中国海軍の新型原潜の情報収集を行う。


「ひとまず、今日は帰って貰っても構わない。艦隊の様子を見たければ、見て貰って構わない」


「「了解しました」」


「まぁ、自由にしていい。分かってはいるだろうが、機密保持には十分警戒してくれ。逗子高校の生徒達が居る」


「「はっ」」


「下がっていい」


「「失礼します」」


 赤城中将に敬礼をして、司令長官室を出る。

 取りあえず、今日はどうしようか。

 時刻は0911。まだ昼食と言う時間でも無い。


「取りあえず、艦隊の様子でも見に行こうか」


「OK」

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