第4話

「先生も驚くくらい似ているのだな。あの女にも、この姿を見せてやったのだ」


 絶句して固まる辰蘭しんらんに、桂磊けいらい──の、姿をした鏈瑣れんさが得意げな笑みを浮かべて近づいて来る。


 桂磊なら絶対にしなかったであろう、ぞんざいかつ無作法な振る舞い。声だけは化けきれないのか、常の鏈瑣のままの耳障りなびた声。ただでさえ混乱した辰蘭の頭が、強烈な違和感によってかき回される。


「この顔で恋人の真似事をしてやっても良いし、皇帝がこの姿に見えるようにしてやることもできる、と言ったのに。あの女、なぜだか急に怒り出したのだ。ものを投げつけたりかんざしで刺そうとしたり、うるさく泣き喚いて──」


 理不尽なことをされた、と言わんばかりの面持ちで。同情を引こうとするかのように眉を提げて唇を尖らせて、亡き友の姿の化物が訴える。懐かしいのに見たくなくて、辰蘭は両手で顔を覆って突っ伏した。


「……先生?」


 ざらついた声が怪訝そうに問うが、まだ顔は上げない。声からは、鏈瑣が変化の術だか何だかを解いてくれたのか分からないから。それに、腹の底から込み上げる何かしらの衝動を呑み込むのに、口を抑えておきたかった。


「──ああ、そうだろうな。怒って当然だ」

「いったいどうしたのだ、先生」


 化物なりに、不審と不安を感じたらしい。鏈瑣が覗き込む気配に、辰蘭は首を振って何でもない、と伝えた。


 桂磊の姿を真似られたのは不愉快極まりないことだった。だが同時に、救われた思いがしたのも確かだった。

 化物の不可思議な技を目の当たりにして、梓媚しびは何よりもまず怒ったのだ。権力争いに利用することを考えるよりも先に、涙を流してまで。あの娘が我を忘れて泣き喚くなど、ほんの幼いころにしか見なかったのに。


(あいつも、まだ桂磊を想っていたのか)


 鏈瑣にそのつもりはまったくなかっただろうが、図らずも妹の真意を垣間見ることができたのかもしれない。

 亡き婚約者を想い続ける情があるというなら、今少し梓媚を信じてみても良いだろう。意に反して嫁がされる皓君こうくんを哀れんで、手を差し伸べることにしたのだろう、と。


「──私の役割については、心配いらぬ。誠心誠意、務めることにしよう」

「そう、か?」


 ゆっくりと顔を上げると、幸いなことに鏈瑣はもとの姿に戻っていた。先ほどまで煮え切らない態度だった辰蘭が、迷いなく言い切ったのが解せぬのだろう、しきりに首を捻っている。


「ならば、良いが。俺は、今回のただ働きについては諦めた。だが、やるからには成功させねば。せめて先生のを高めよう。また新しい依頼が舞い込むように、な」


 そうすれば何かしらの怪異を喰えるかもしれないから、という鏈瑣の言外の主張は、人間である辰蘭には頷きがたい。意図せぬところで勝手に評判を広められるのも、困ったものだ、とも思う。

 だが、やるからには成功させねば、という部分については否定する余地がない。諸々の反論はひとまずいて、辰蘭は大きく頷いた。


「評判云々うんぬんはともかくとして。令嬢と打ち合わせる機会はもう持てぬであろう。何があっても対応できるよう、こちらで色々と詰めておかねばならぬな。の準備もあるだろうし──」


 子不語しふご堂で扱う依頼は特にこれ、とは定めていない。だが、このように役者めいたことをするようになるとは、号を掲げた時には思ってもみなかった。


(まあ、君子がまずしないことには間違いない、か……)


 辰蘭が心中で溜息を吐いてから、数日後。りゅう家から急ぎの報せが来た。恐らくは屋敷の主人による、乱れた筆跡はこう伝えていた。


 桂花けいかの樹精に憑かれていた令嬢、皓君がついに息絶えた、と。


      * * *


 駆けつけた辰蘭しんらん鏈瑣れんさの顔を見るなり、劉大人たいじんは唾を飛ばして詰め寄ってきた。


「若君の御力がありながらどうしてこのような──いえ、それよりも! 我が家に未婚の娘はひとりしかおりませぬ! かく郎中ろうちゅうに何と言えば──どうにか、ならぬのですか……!?」


 皓君の代わりに嫁がせられる娘がいたら良かったのに、と聞こえた気がして辰蘭の口中に苦いものが湧いた。劉大人の目には涙が浮かんでいるが、娘を悼んでのものではない。縁談が流れること、それによって家にもたらされる不利益を案じて嘆いているのだ。


(……貴女は父君の本心を察していたのだろうな? だから、家よりも恋を選んだのだ)


 溜息を呑み込んだ辰蘭の視線の先で、皓君は目を閉じて横たわっている。緊急の事態ゆえに、辰蘭たちは人目につかぬように邸内の奥に招き入れていたのだ。


 皓君は、例の桂花の大樹の傍らで倒れているところを発見されたとのことだった。辰蘭たちの訪問の後、いよいよ食欲が失せてふらついて弱ったところ、樹精に最後の精気を吸い取られた──と、劉大人は信じ込んでいるようだった。そして実際、皓君の白い顔色も脱力しきった四肢も、一見して死んだと思い込むのも無理もない様子ではあった。


 仮に、ということで安置された寝台から皓君を抱き上げて、辰蘭は顔を顰めた。身体が綿のように軽いのは、精気を奪われた病人を装うためにあらかじめ食を断っていたからだろう。それは、皓君の覚悟を示すものだからまだ良いとして──


(息も脈もごく弱い。梓媚め、の調合に誤りはないのだろうな……!?)


 皓君は、無論、死んでなど

 後宮に仕えた時の縁で、梓媚と皓君の間にはまだ交流があるのだとか。その縁を理由にした婚礼の祝いの品の名目で、計画のためのが送られていたのだ。と、前回の訪問の時に、辰蘭は彼女から聞いている。皓君は、その薬を桂花の樹の下で飲み干したのだ。


 死と見紛うばかりの深い眠りに陥らせる薬を、後宮ではいったいどのように使うのかは考えたくもないが──幸か不幸か、今のところ計画は誰にも気づかれていない。


 皓君の生の気配に気取られぬよう、痩せた身体を抱え込みながら、辰蘭はおごそかに告げた。


「──策は、ないわけではありません」

「ほ、本当ですか!?」


 劉大人が食いついてくれたのは、思い通り、のはずだった。辰蘭は頭を煩わせるることなく、用意した台詞をそのまま述べれば良いのだから。


(だが、どうも喜べないな……)


 何しろ、そのとは、真面目な顔で口にするのはあまりに荒唐無稽で馬鹿馬鹿しいものだった。覚悟を決めたつもりでも、重々しい口調を装うことは辛うじてできても、頬に血が上るのは意思の力ではどうしようもない。辰蘭の顔は羞恥に赤く染まっているはずだった。


「……ご息女の肉体は、もはや樹精の餌食となり果てました。ですが、魂だけならまだ救えるかもしれません」

「そ、それはどういう……?」


 劉大人が縋るように見つめてくるのが、不思議でならなかった。

 確かに辰蘭は皇帝の寵妃の兄で、多少の才を謳われたこともある。だが、だからといって──あるいはだからこそ、このような怪しげな発言は疑ってかかるべきだろうに。


(私のことを道士か何かと思い違いしてくれたのかな。梓媚は何をどう伝えたのやら)


 一応、視覚的な効果も考えて、辰蘭と鏈瑣はゆったりとした道服どうふくを纏ってきてはいる。身分にそぐわぬ、かつ、着慣れぬ衣装で人前に出るのもまた決まりが悪いことだし、劉大人が疑問に思ってくれないようなのも誠に不可解なことではあった

 だが──僥倖と思うしかないのだろう。


「樹精の巣食った肉体は、炎できよめるほかありません。ご息女の魂を取り出すことができたなら。そして、ちょうど良いがあれば、あるいは……!」


 でき得る限り堂々と、躊躇いもなく自信たっぷりに──そう見えるように、辰蘭は言い切った。

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