第24話 蕎麦屋にて

「さあ、何でも頼め」


 嬉々として暖簾をくぐる藤田。

 宣言通り天丼セットの大盛を頼んだ藤田の前に座りながら、伊藤がボソッと言う。


「俺はモリの……大盛で」


 来るまでに店の中を見るともなく眺めていると、壁に貼られたチラシに目が留まった。

 立ち上がってじっくりと読んでいる伊藤に店員が声を掛ける。


「ご興味がおありでしたら、是非覗いてみてください」


「ええ、これは誰かに頼まれて貼られたのですか?」


「私が頼んで貼ってもらいました。ボランティアで活動しているんです」


「そうですか。チラシの余分はありますか? ぜひ行かせてもらいますよ」


 店員は喜んでチラシを持ってきた。

 藤田が手元を覗き込む。


「何ですか?」


「障害児の作品展示会だ」


「あっ……ああ、なるほど」


 伊藤の一人息子が障がい者手帳を持っていることを知っている藤田は言葉を濁した。


「うちのは違うが、中には凄い子もいるんだぜ? ほら、見てみろよ」


「サバン症候群? へぇ……これってホントですか?」


「そうさ。何かと引き換えに信じられんほどの能力を神が与えたんだろうぜ」


「写真と寸分たがわぬ? マジすか」


「開催は来月だな。俺は行くけど付き合うか?」


「ええ、良いですよ。なんか興味があります」


 蕎麦が運ばれ、蕎麦を啜る音だけが店内に響く。

 残った出汁に蕎麦湯を注ぎ足しながら藤田が言った。


「インドネシアか……どんなところなんですかねえ」


 お茶を注ぎに来た先ほどの若い店員が声を出す。


「うちにもいますよ、インドネシアの人が」


 二人は弾かれた様に顔を上げた。


「その蕎麦も彼が打ったのです。今は手が空いていますから呼びましょうか?」


「ああ、是非頼む」


 目と眉が日本人より少しだけはっきりした印象の浅黒い肌をした男性が奥から顔を出した。


「I'm sorry to bother you」


 藤田が悠長に英語で挨拶をした。


「どうぞ、日本語で」


 ニコニコと笑いながらその男が言う。


「お上手ですね。驚きました」


「ええ、もう長いですから。今年で六年目です」


「お仕事で?」


「いいえ、留学生です。来年卒業します」


「ここはバイトですか?」


「ホームステイさせてもらっています。蕎麦打ちはとても面白いです。向うに帰ったら蕎麦屋でも始めようかな」


 楽しそうに笑う男性の後ろで店主らしい中年の男が声を出した。


「ブディは僧侶の息子です。私もインドネシア生まれです。戦時中に駐在していた父が、現地妻に産ませたのが私ですよ。敗戦後は私のような日系の子供はいじめの対象でしたから、祖父を頼って日本に来ました。祖父の店を継いでもうずっとここで暮らしています」


「そうですか、それはご苦労されたのですね。ブディさんとはそのご縁で?」


「ブディに限らず、私はずっと留学生を引き受けてきました。ここはインドネシア大使館にも近いですから、そこから話が来ます。良い思い出が無いとしても母の故郷ですから、できることなら協力したいと思ったのが切っ掛けですよ。妻も賛成してくれましてね」


「なるほど。ブディさんは僧侶の息子ということですが、イスラム教徒ですか?」


「いいえ、私は少数派の仏教徒です。ちなみに好きな食べ物は鶏肉です」


 必要のない情報をどんどん口にするブディに笑うしかない二人。

 店主が助け舟を出した。


「ブディの故郷はジャワ島です。あそこは首都がある島ですが、バリ島のように観光地化してないので、古き良き時代のままですね。ボロブドゥール寺院があるので有名ですね」


「ああ、その寺院なら聞いたことがありますよ。でも一般公開されてないでしょう?」


 伊藤が聞きかじった知識を口にした。

 ブディがひとつ頷いた。


「いいえ、公開はされていますよ。最近世界遺産になったでしょう? 観光客も増えたと聞いています」


「ああ……そうですか。ご実家はそのお近くですか?」


「ええそうです。でもどちらかと言うとパオンの方に近いかな」


 ついていけない伊藤は曖昧に笑うしかない。


「どうぞごゆっくり」


 特別な話ではないと判断した店主は店の奥に戻って行った。

 何気なく藤田が聞く。


「そう言えばインドネシアってシーサーみたいな置物がありますよね? 何て言ったっけ」


「ああ、ボマ バロン アノマン ハノマンですね? あれは神様の顔です。目が特徴的でしょう? 金持ちはあの目に宝石を埋め込むんです。寺によっては仏像にもはめ込みますね」


 伊藤が顔を上げる。


「仏像に宝石を?」


「ええ、何と言うか権威の象徴的な? ずっと昔の寺から発掘された仏像には宝石が埋め込まれていた跡があるそうです」


 伊藤の中で得体のしれない何かが騒めいた。


「それは対になっていますか?」


「どうかな……先ほど言ったボマ バロン アノマン ハノマンなら目ですから対ですけど、仏像はどうでしょう」


「すみません、変なことを聞いて。忘れてください」


 ブディが不思議そうな顔で首を傾げた。


「私は詳しくないので、大使館に問い合わせてみるのも手かもしれません。まあジャワにはたくさんの伝説がありますからね。今でも信じている人はとても多いですから、興味深い話も聞けるかもしれませんよ」


「あ、いや……ちょっと聞いてみただけなので……お会計をお願いします」


 にっこりと頷いたブディが奥に下がり、若い女性店員が出てきた。


「お会計はご一緒ですか?」


 頷いた伊藤が胸ポケットから財布を出す。

 藤田はすでに暖簾をめくって待っていた。

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